「ああ藤原湖」作詞 西条八十
春はあかるき山ざくら
秋は武尊の祭り笛よ
おもいで多き あの森この丘
いまこそ沈む 波の底
なつかし藤原
ああ湖底のふるさと
渡鳥さえ巣は恋し
まして産土うまれた里よ
幼き夢のあの花この花
かぞえて君も我も泣く
なつかし藤原
ああ湖底のふるさと
この歌については、群馬県の詩人おの・ちゅうこう著『奥利根の歴史と旅』(崙書房・昭和57年)のなかに、次のように、掲載されていた。
「湯檜曾には本家旅館の他に林家旅館、なかや旅館などがある。こうした三峡の宿は都塵を洗って心をしずめるにはよい所だ。・・・西条八十が依頼されてダムに沈んだ村人のために作詞したというのを、宿の女中が歌うのを聞いた。いかにも西条八十らしい哀愁にみちた巧な歌詞だ。」
藤原ダムは、利根川本川の群馬県利根郡みなかみ町藤原地先に昭和34年に完成した。昭和22年9月カスリーン台風で群馬県、埼玉県、東京都などは甚大な被害を被り、そのために利根川流域の洪水調節と河川維持用水と電力供給の目的をもって築造された。ダムの諸元は堤高95m、堤頂長230m、総貯水容量5249万m3、型式は重力式コンクリートダムである。ダム建設により159戸が湖底に沈み、村人たちは移転を余儀なくされ、故郷をあとにした。八十はその村人たちの心情を、渡り鳥さえ巣は恋しいものだと、歌う。
なお、日本ダム協会・ダム便覧によると「ああ藤原湖」は、昭和30年8月作曲 古関裕而 歌 伊藤久雄 奈良光江でコロンビアレコードが製作したとある。
(2010年1月15日、古賀邦雄)