2014年07月
2014年07月31日
入院日記その95
2006年1月26日木曜日
入院生活90日目。
1年の4分の1が過ぎた。
長いなぁ。
そしてこれからどれくらいこの病気とつきあっていくのだろう?
退院しても通院はしないとならないだろうし。
去年、年明けには仕事復帰したいと言っていたのが恥ずかしい。
しょうがないのだろうが。
やはり今日も大きな変化はない。
しかし病室と同じ階のみは杖のみで移動の許可が出た。
僕にはわからないが前よりしっかり歩くことが出来ているということなんだろうか。
午後、にしおかすみこが来てくれた。
入院前にSMの女王様に扮してやるネタの相談をされ、自分に合っているかどうか分らないと言っていた。
「インパクトはあるし、とりあえずやってみたら」
と答えたのだが、今もそのネタでがんばっているらしい。
バイトがあるらしくすぐ帰っていった。
それにしても同じお笑い芸人なのに悩みの質が違いすぎるな。
夕方母が来た。
いつも1時間もしないで茨城に帰っていく。
週一は必ず来てくれるが別にやさしい言葉もかけてこない。
そんなんされたら気持ち悪いが。
今日も食堂でコーヒーを飲んで帰った。
ただ、心配しているのはよくわかる。
親の立場だったら、子供の見舞いに来るって辛いやろうな。
そういう意味でも、僕は親不孝者だ。
入院生活90日目。
1年の4分の1が過ぎた。
長いなぁ。
そしてこれからどれくらいこの病気とつきあっていくのだろう?
退院しても通院はしないとならないだろうし。
去年、年明けには仕事復帰したいと言っていたのが恥ずかしい。
しょうがないのだろうが。
やはり今日も大きな変化はない。
しかし病室と同じ階のみは杖のみで移動の許可が出た。
僕にはわからないが前よりしっかり歩くことが出来ているということなんだろうか。
午後、にしおかすみこが来てくれた。
入院前にSMの女王様に扮してやるネタの相談をされ、自分に合っているかどうか分らないと言っていた。
「インパクトはあるし、とりあえずやってみたら」
と答えたのだが、今もそのネタでがんばっているらしい。
バイトがあるらしくすぐ帰っていった。
それにしても同じお笑い芸人なのに悩みの質が違いすぎるな。
夕方母が来た。
いつも1時間もしないで茨城に帰っていく。
週一は必ず来てくれるが別にやさしい言葉もかけてこない。
そんなんされたら気持ち悪いが。
今日も食堂でコーヒーを飲んで帰った。
ただ、心配しているのはよくわかる。
親の立場だったら、子供の見舞いに来るって辛いやろうな。
そういう意味でも、僕は親不孝者だ。
2014年07月30日
入院日記その94
2006年1月25日水曜日
ホント、何の進歩もない気がする。
排尿もダメ。
足の動きもダメ。
足の痺れも強いし、足の裏も痺れるしなんか熱く感じる。
しかし実際触ってみると熱くない。
ストレスが溜まっている。
グッと我慢するしかないのだが、大声をあげたい。
バットでも振り回したい。
そんな衝動にかられる。
日記も書く気がしない。
ホント、何の進歩もない気がする。
排尿もダメ。
足の動きもダメ。
足の痺れも強いし、足の裏も痺れるしなんか熱く感じる。
しかし実際触ってみると熱くない。
ストレスが溜まっている。
グッと我慢するしかないのだが、大声をあげたい。
バットでも振り回したい。
そんな衝動にかられる。
日記も書く気がしない。
2014年07月29日
入院日記その93
2006年1月24日火曜日
リハビリの先生は
「少しずつ良くなっていますねぇ」
と言ってくれるのだが本人には自覚なし。
こんな時にリハビリをするのはとてもしんどい。
しんどいというのは肉体的にではなく精神的にである。
しかし回復の道程はスロープではなく階段のようなものだと思っているので、今の地道なリハビリが突然効果を現すと信じている。
とはいえ、あまりテンションは上がらない。
この病院はベッドに1台ずつテレビが完備されているので以前の病院に入院していた時より世の中の動きについていけている。
年末にダチョウ倶楽部のステージを観に行った時、リーダーがヒューザーの小島社長のモノマネをしていたのだが、爆笑をしているお客さんの中で僕一人だけ誰?と取り残されていた。
その点、今は大丈夫。
ホリエモンの逮捕も見たし。
そしてCMで見たロボットのアシモの歩き方に親近感を覚えた。
明日あたり劇的な回復せんかなぁ。
リハビリの先生は
「少しずつ良くなっていますねぇ」
と言ってくれるのだが本人には自覚なし。
こんな時にリハビリをするのはとてもしんどい。
しんどいというのは肉体的にではなく精神的にである。
しかし回復の道程はスロープではなく階段のようなものだと思っているので、今の地道なリハビリが突然効果を現すと信じている。
とはいえ、あまりテンションは上がらない。
この病院はベッドに1台ずつテレビが完備されているので以前の病院に入院していた時より世の中の動きについていけている。
年末にダチョウ倶楽部のステージを観に行った時、リーダーがヒューザーの小島社長のモノマネをしていたのだが、爆笑をしているお客さんの中で僕一人だけ誰?と取り残されていた。
その点、今は大丈夫。
ホリエモンの逮捕も見たし。
そしてCMで見たロボットのアシモの歩き方に親近感を覚えた。
明日あたり劇的な回復せんかなぁ。
2014年07月28日
入院日記その92
2006年1月23日月曜日
昨夜は寝つきが悪く、眠っても浅かった。
そういう夜はおねしょはしていない。
ぐっすり眠ってしまうと尿意に気付かないのか?
眠れないとそれもストレスになるから、良くなるまでは多少のおねしょは我慢しないといけないのかも。
しょうがない、割り切ろう。
午前、午後のリハビリとも黙々と集中して出来た。
目立った進歩は無かったが。
夕方カメレオンブラザースの獅子丸がエロDVDを持ってやってきた。
入れ替わりに土田晃之がガンダムの新シリーズのDVDを持ってきてくれた。
人柄の違いがDVDに出ている。
お見舞いに来てくれると、話しているうちにお茶やコーヒーなどを結構多く飲んでしまう。
するとトイレに行きたくなるのだが、すぐに戻りたいので時間のかかる導尿を避ける。
するとすぐにまたトイレに行きたくなる。
悪循環だ。
健康な時のようには、あらゆる面で行動できないのだ。
それを自覚して受け入れないと。
昨夜は寝つきが悪く、眠っても浅かった。
そういう夜はおねしょはしていない。
ぐっすり眠ってしまうと尿意に気付かないのか?
眠れないとそれもストレスになるから、良くなるまでは多少のおねしょは我慢しないといけないのかも。
しょうがない、割り切ろう。
午前、午後のリハビリとも黙々と集中して出来た。
目立った進歩は無かったが。
夕方カメレオンブラザースの獅子丸がエロDVDを持ってやってきた。
入れ替わりに土田晃之がガンダムの新シリーズのDVDを持ってきてくれた。
人柄の違いがDVDに出ている。
お見舞いに来てくれると、話しているうちにお茶やコーヒーなどを結構多く飲んでしまう。
するとトイレに行きたくなるのだが、すぐに戻りたいので時間のかかる導尿を避ける。
するとすぐにまたトイレに行きたくなる。
悪循環だ。
健康な時のようには、あらゆる面で行動できないのだ。
それを自覚して受け入れないと。
2014年07月27日
入院日記その91
2006年1月22日日曜日
雪は止んだのだが、少し積もっている。
夕方まで家の中でぬくぬく、ダラダラ過ごす。
午後5時、病院に戻るために気合を入れて彼女と家を出る。
昨日とは違うルートで行こうと地下鉄の乗り場行きのエレベーターを探すが見当たらない。
数分後、車椅子でウロウロしていたので僕たちがエレベーターを探していることに気づいたやさしいおばちゃんが場所を教えてくれた。
何これ?看板出てないやん。
エレベーターのボタンのところに小さく『地下鉄改札』って書いているだけ。
隠しているみたいで、何のためのエレベーターかわからない。
浅草で降りて地上に上がり東武線に乗り換えるのだが、浅草駅は古いからかエレベーターがない。
まず地下鉄浅草駅では普段は折り畳まれているリフトのようなもの駅員さんが出してくれ、それに乗って階段を上がった。
東武浅草駅では、まず駅員に連絡して下りエスカレーターをストップする。
そして底板の一枚に車椅子を乗せる器具をセットして上にあげてもらった。
どちらも駅員さんに親切にしてもらったのだが、その優しさに
「悪いなあ」
と思ってしまったのも事実。
街中で親切を受けても、こういう気持ちをいちいち味わっていたら外出するのも億劫になるだろう。
障害者が一人で誰に気兼ねなく行動できる設備を整える社会になっていってほしい。
こんなことを思ったのも車椅子で電車やバスに乗ったからこそである。
もっと言えばこの病気になったから。
これもいい経験なのかな。
病院に着いたらもう面会時間は終了していた。
なので彼女は、僕を病室まで連れて行ってすぐに家に戻っていった。
本当に申し訳ない。
そしてありがとう。
雪は止んだのだが、少し積もっている。
夕方まで家の中でぬくぬく、ダラダラ過ごす。
午後5時、病院に戻るために気合を入れて彼女と家を出る。
昨日とは違うルートで行こうと地下鉄の乗り場行きのエレベーターを探すが見当たらない。
数分後、車椅子でウロウロしていたので僕たちがエレベーターを探していることに気づいたやさしいおばちゃんが場所を教えてくれた。
何これ?看板出てないやん。
エレベーターのボタンのところに小さく『地下鉄改札』って書いているだけ。
隠しているみたいで、何のためのエレベーターかわからない。
浅草で降りて地上に上がり東武線に乗り換えるのだが、浅草駅は古いからかエレベーターがない。
まず地下鉄浅草駅では普段は折り畳まれているリフトのようなもの駅員さんが出してくれ、それに乗って階段を上がった。
東武浅草駅では、まず駅員に連絡して下りエスカレーターをストップする。
そして底板の一枚に車椅子を乗せる器具をセットして上にあげてもらった。
どちらも駅員さんに親切にしてもらったのだが、その優しさに
「悪いなあ」
と思ってしまったのも事実。
街中で親切を受けても、こういう気持ちをいちいち味わっていたら外出するのも億劫になるだろう。
障害者が一人で誰に気兼ねなく行動できる設備を整える社会になっていってほしい。
こんなことを思ったのも車椅子で電車やバスに乗ったからこそである。
もっと言えばこの病気になったから。
これもいい経験なのかな。
病院に着いたらもう面会時間は終了していた。
なので彼女は、僕を病室まで連れて行ってすぐに家に戻っていった。
本当に申し訳ない。
そしてありがとう。
2014年07月26日
入院日記その90
2006年1月21日土曜日
朝起きるといつもより明るく感じたので、窓の外を見ると雪がかなり強い勢いで降っていてびっくりする。
この病院では、リハビリ病院という性質上、退院後の生活に慣れる意味で週末自宅へ帰ることを勧めている。
僕も今週末は帰ることにしていたのだが、この大雪、しかも車椅子を使うことを条件に許可が出ているので少々不安になる。
午前のみ自主トレ中心にリハビリをして、彼女が迎えに来てくれるのを待つ。
お昼に彼女が到着、そのまま病院をあとにする。
相変わらず雪は降っていた。
病院の前から両国駅行きのバスに乗る。
車椅子をたたみ、彼女に支えられて乗り込む。
ノンステップバスだったのでまだ良かったがこれだけで一苦労。
また、始発から終点まで乗車したので乗り降りをゆっくりできたが、これが途中だったら、他の乗客に悪い気がして気軽にバスを利用できないかもしれない。
駅ではエレベーターを探して乗車、乗り換え、下車を行う。
僕の場合、少しは歩けるので電車への乗り降りの際は車椅子を降りて行うことができるからよいが、ずっと車椅子だったら他人に車椅子を持ち上げてもらわねばならず、それをいちいち頼むだけでもかなりのストレスになるだろう。
最寄り駅でごはんを食べて降り続く雪の中家まで車椅子を歩行器代わりに、ゆっくり歩いて帰る。
途中、寒いしオシッコはしたくなるし、足は動かなくなるし、でも
「リハビリ、リハビリ」
と自分に言い聞かせてなんとか帰宅する。
疲れていたのだろう、お風呂に入って暖かい部屋でテレビを見ていたら自然に寝てしまった。
朝起きるといつもより明るく感じたので、窓の外を見ると雪がかなり強い勢いで降っていてびっくりする。
この病院では、リハビリ病院という性質上、退院後の生活に慣れる意味で週末自宅へ帰ることを勧めている。
僕も今週末は帰ることにしていたのだが、この大雪、しかも車椅子を使うことを条件に許可が出ているので少々不安になる。
午前のみ自主トレ中心にリハビリをして、彼女が迎えに来てくれるのを待つ。
お昼に彼女が到着、そのまま病院をあとにする。
相変わらず雪は降っていた。
病院の前から両国駅行きのバスに乗る。
車椅子をたたみ、彼女に支えられて乗り込む。
ノンステップバスだったのでまだ良かったがこれだけで一苦労。
また、始発から終点まで乗車したので乗り降りをゆっくりできたが、これが途中だったら、他の乗客に悪い気がして気軽にバスを利用できないかもしれない。
駅ではエレベーターを探して乗車、乗り換え、下車を行う。
僕の場合、少しは歩けるので電車への乗り降りの際は車椅子を降りて行うことができるからよいが、ずっと車椅子だったら他人に車椅子を持ち上げてもらわねばならず、それをいちいち頼むだけでもかなりのストレスになるだろう。
最寄り駅でごはんを食べて降り続く雪の中家まで車椅子を歩行器代わりに、ゆっくり歩いて帰る。
途中、寒いしオシッコはしたくなるし、足は動かなくなるし、でも
「リハビリ、リハビリ」
と自分に言い聞かせてなんとか帰宅する。
疲れていたのだろう、お風呂に入って暖かい部屋でテレビを見ていたら自然に寝てしまった。
2014年07月25日
入院日記その89
2006年1月20日金曜日
このリハビリ病院にも泌尿器科があり、午前中診察を受ける。
担当になったのは、よくしゃべるのに何を言っているのか聞き取りにくい初老の先生なのだが、はっきり
「オシッコが元通りになるには1年以上かかる」
と言われた。
ショックではあったが意外に尾を引かなかった。
そういう診断なのだから聞いてよかった。
事実は変わらないのだし。
あんまりはっきり言わない医者が多いのだが、言われた直後はショックでも現実を受け止めないと前に進めない気もする。
まあ、僕の病気は症例が少ない病気なのではっきり言えない、わからない部分もあるのだろうが。
そして今後の治療法としては、膀胱の特性上、無理に力んで排尿しようとするのはよくないので1日6回以上は導尿をして膀胱に負担を掛けないようにする。
また、膀胱は空っぽにすることで自然に膀胱内の殺菌をするそうだ。
その上で薬を服用して正常に戻していく。
あと、オシッコが気になって水分摂取量が少なくなることがないようにしろとのことだった。
長丁場になりそうだが、出来れば1年以内には治したいところだ。
ちなみに、その泌尿器科の先生が言っていたが、ADEMは東京で1年に15〜20人くらいしか発症しないそうだ。
えらい高確率に当たったもんです。
このリハビリ病院にも泌尿器科があり、午前中診察を受ける。
担当になったのは、よくしゃべるのに何を言っているのか聞き取りにくい初老の先生なのだが、はっきり
「オシッコが元通りになるには1年以上かかる」
と言われた。
ショックではあったが意外に尾を引かなかった。
そういう診断なのだから聞いてよかった。
事実は変わらないのだし。
あんまりはっきり言わない医者が多いのだが、言われた直後はショックでも現実を受け止めないと前に進めない気もする。
まあ、僕の病気は症例が少ない病気なのではっきり言えない、わからない部分もあるのだろうが。
そして今後の治療法としては、膀胱の特性上、無理に力んで排尿しようとするのはよくないので1日6回以上は導尿をして膀胱に負担を掛けないようにする。
また、膀胱は空っぽにすることで自然に膀胱内の殺菌をするそうだ。
その上で薬を服用して正常に戻していく。
あと、オシッコが気になって水分摂取量が少なくなることがないようにしろとのことだった。
長丁場になりそうだが、出来れば1年以内には治したいところだ。
ちなみに、その泌尿器科の先生が言っていたが、ADEMは東京で1年に15〜20人くらいしか発症しないそうだ。
えらい高確率に当たったもんです。
2014年07月24日
入院日記その88
2006年1月19日木曜日
昨夜『24』シリーズのシーズンIIIまで見終わったのだが、長期の入院生活にはDVDでも漫画でも小説でもシリーズ物は持ってこいだ。
いろいろな作品を並行して楽しんでいるのだが、今日は土田晃之が持ってきてくれた『機動戦士ガンダム』シリーズを見終わった。
アムロが主人公のもの以外に作品があることも初めて知った。
予想以上におもしろかった。
敵の人生も描いていることが興味をひいた。
仮面ライダーでいったらショッカーが主役のものがあったりする。
大人がはまっているのもうなずける。
次はどんなシリーズのお世話になろうかな?
いやいやそれより早く退院せんと。
左右とも膝を中心に痺れが強くなっている。
昨夜『24』シリーズのシーズンIIIまで見終わったのだが、長期の入院生活にはDVDでも漫画でも小説でもシリーズ物は持ってこいだ。
いろいろな作品を並行して楽しんでいるのだが、今日は土田晃之が持ってきてくれた『機動戦士ガンダム』シリーズを見終わった。
アムロが主人公のもの以外に作品があることも初めて知った。
予想以上におもしろかった。
敵の人生も描いていることが興味をひいた。
仮面ライダーでいったらショッカーが主役のものがあったりする。
大人がはまっているのもうなずける。
次はどんなシリーズのお世話になろうかな?
いやいやそれより早く退院せんと。
左右とも膝を中心に痺れが強くなっている。
2014年07月23日
入院日記その87
2006年1月18日水曜日
今日から病棟内は歩行器(赤ちゃんがハイハイの時に使うものの大きい版)で移動してもよいことになる。
車椅子より数段移動が楽になる。
足が徐々に動くようになってきているので、筋トレの量を増やしているのだが
すぐに足が重くなり関節も曲がらなくなる。
筋肉の緊張によるのだろうが、おかしな動きのままで歩いたりして変なクセをつけないようにしないと。
やはりリハビリ室には前の病院にはない活気が溢れている。
患者の年齢が若いこともあるのだろうが、みんなの目の色が違う。
こうやってリハビリばかりやっていると知識も少しついてきた。
そしてわかったこと。
『クララはあんなに急に歩けない』
アルプスの少女ハイジでの有名なシーンだが、あれだけ長期に渡って車椅子生活をしていたらリハビリをしないとたとえ健康になっていたとしてもすぐには歩けないはずだ。
そしてそのリハビリは地味な根気の要る作業である。
僕もこの病気になるまでは、怪我や病気が治ればすぐに歩けると思っていたが大きな間違いである。
特に僕のように中枢神経をやられた場合、もう一度神経に動きを思い出させないといけないので時間もかかるのだ。
このリハビリ室には、それこそクララくらいの年齢の少女が義足をつけて必死に歩行練習をしていたりする。
これから生きていくためにリハビリをしないとしょうがないと言ってしまえばそれまでだが、ここに至るまで気持ちを持ってきたことがすごい。
そんな人たちに刺激を受けながら、集中してやっていきたい。
今日から病棟内は歩行器(赤ちゃんがハイハイの時に使うものの大きい版)で移動してもよいことになる。
車椅子より数段移動が楽になる。
足が徐々に動くようになってきているので、筋トレの量を増やしているのだが
すぐに足が重くなり関節も曲がらなくなる。
筋肉の緊張によるのだろうが、おかしな動きのままで歩いたりして変なクセをつけないようにしないと。
やはりリハビリ室には前の病院にはない活気が溢れている。
患者の年齢が若いこともあるのだろうが、みんなの目の色が違う。
こうやってリハビリばかりやっていると知識も少しついてきた。
そしてわかったこと。
『クララはあんなに急に歩けない』
アルプスの少女ハイジでの有名なシーンだが、あれだけ長期に渡って車椅子生活をしていたらリハビリをしないとたとえ健康になっていたとしてもすぐには歩けないはずだ。
そしてそのリハビリは地味な根気の要る作業である。
僕もこの病気になるまでは、怪我や病気が治ればすぐに歩けると思っていたが大きな間違いである。
特に僕のように中枢神経をやられた場合、もう一度神経に動きを思い出させないといけないので時間もかかるのだ。
このリハビリ室には、それこそクララくらいの年齢の少女が義足をつけて必死に歩行練習をしていたりする。
これから生きていくためにリハビリをしないとしょうがないと言ってしまえばそれまでだが、ここに至るまで気持ちを持ってきたことがすごい。
そんな人たちに刺激を受けながら、集中してやっていきたい。
2014年07月22日
入院日記その86
2006年1月17日火曜日
今日から朝もリハビリ。
午前と午後の2回するのは僕だけらしく、あまり他の患者さんには言わないでということだった。
午後のリハビリの前に導尿をしたのにリハビリ中に2回もトイレに行く。
トレーニング中に尿意をもよおすと、すぐに戻りたいので導尿をせずに自尿で出すのだが少ししか出ず、また少しすると尿意をもよおすという悪循環。
本当、うっとおしい。
今日から朝もリハビリ。
午前と午後の2回するのは僕だけらしく、あまり他の患者さんには言わないでということだった。
午後のリハビリの前に導尿をしたのにリハビリ中に2回もトイレに行く。
トレーニング中に尿意をもよおすと、すぐに戻りたいので導尿をせずに自尿で出すのだが少ししか出ず、また少しすると尿意をもよおすという悪循環。
本当、うっとおしい。
2014年07月21日
入院日記その85
2006年1月16日月曜日
入院生活80日目。
この病院に来て4日目。
いよいよ今日からリハビリ開始だと思ったら...午前中はなく、午後からのみということ。
なんやそれ、前の病院の方がリハビリの時間長いやん。
オシッコの調子も良くないし、朝からイライラがつのる。
昼食後、待望のリハビリ。
なんかおかしいな。
リハビリして治すことが目的なのにリハビリすることに満足しているぞ。
リハビリの担当は真面目そうな女性であった。
初日なので体のチェックを行う。
やはり腹筋などの体幹をしっかり鍛えることが一番らしい。
そして毎日午前、午後の二回リハビリをしたいと申し出る。
結構強くお願いしたら、
「午前は自主トレ中心なら」
ということでOKをもらう。
ようやく始まったリハビリ病院でのリハビリ。
吉野家でようやく牛丼を食えたようなものである。
気になるお味の方は...ま、1日ではわからんかな。
病棟は活気がないのだが、さすがにリハビリ室は前の病院に比べて広く、設備も充実している。
若い人も多いので『治すぞ』という気が充満しているように感じる。
刺激もかなり受けそうだ。
仕事終わりで彼女が来てくれる。
病院が遠いのであまり一緒にいる時間がない。
1時間ほどして、寒い夜道を一人で帰っていく姿に胸が痛む。
入院生活80日目。
この病院に来て4日目。
いよいよ今日からリハビリ開始だと思ったら...午前中はなく、午後からのみということ。
なんやそれ、前の病院の方がリハビリの時間長いやん。
オシッコの調子も良くないし、朝からイライラがつのる。
昼食後、待望のリハビリ。
なんかおかしいな。
リハビリして治すことが目的なのにリハビリすることに満足しているぞ。
リハビリの担当は真面目そうな女性であった。
初日なので体のチェックを行う。
やはり腹筋などの体幹をしっかり鍛えることが一番らしい。
そして毎日午前、午後の二回リハビリをしたいと申し出る。
結構強くお願いしたら、
「午前は自主トレ中心なら」
ということでOKをもらう。
ようやく始まったリハビリ病院でのリハビリ。
吉野家でようやく牛丼を食えたようなものである。
気になるお味の方は...ま、1日ではわからんかな。
病棟は活気がないのだが、さすがにリハビリ室は前の病院に比べて広く、設備も充実している。
若い人も多いので『治すぞ』という気が充満しているように感じる。
刺激もかなり受けそうだ。
仕事終わりで彼女が来てくれる。
病院が遠いのであまり一緒にいる時間がない。
1時間ほどして、寒い夜道を一人で帰っていく姿に胸が痛む。
2014年07月20日
入院日記その84
2006年1月15日日曜日
新しい病院生活がとても憂鬱なのに夜はよく眠れる。
しかし、朝起きると少し漏らしているので気分の悪い目覚めであった。
今日までリハビリがないのだが、昼過ぎに彼女が来てから一緒に病院の近所を散歩する。
この病院は大きい公園と隅田川に挟まれていて散歩するには良い環境である。
その足で駅前の方まで行くが、かなりさびれていた。
東京とは思えないといった感じだ。
さて、この病院は週3回決まった曜日と時間にお風呂に入ることになっている。
今日の朝入ったのだが、その前が金曜の夕方。
で、あと1回は火曜の午前。
土曜はリハビリが休みのことが多いから平日に比べると汗をかかない。
だから日曜の朝の風呂って効率悪すぎなのだ。
...どうでもいいかも知れないが。
新しい病院生活がとても憂鬱なのに夜はよく眠れる。
しかし、朝起きると少し漏らしているので気分の悪い目覚めであった。
今日までリハビリがないのだが、昼過ぎに彼女が来てから一緒に病院の近所を散歩する。
この病院は大きい公園と隅田川に挟まれていて散歩するには良い環境である。
その足で駅前の方まで行くが、かなりさびれていた。
東京とは思えないといった感じだ。
さて、この病院は週3回決まった曜日と時間にお風呂に入ることになっている。
今日の朝入ったのだが、その前が金曜の夕方。
で、あと1回は火曜の午前。
土曜はリハビリが休みのことが多いから平日に比べると汗をかかない。
だから日曜の朝の風呂って効率悪すぎなのだ。
...どうでもいいかも知れないが。
2014年07月19日
入院日記その83
2006年1月14日土曜日
冬にはめずらしい大雨の一日。
天候同様、気分も晴れず。
ホンマに病院の雰囲気が暗いなあ。
昨日から、一日の排尿のパターンをつかめるかも等の理由で排尿の記録をつけることにした。
彼女が午後3時頃来てくれるが、ここに来るだけでも遠くて大変だから無理をしないでと言う。
とはいえ、人恋しくなっているのではあるが。
病院から駅まで少し歩くので病院の目の前から出ているバスで帰ると、彼女が終バスの時間である午後7時30分頃病室を後にする。
静かな病室で一人落ち込んでいるところに劇団ひとりがやってきた。
タイミングもあるのだろうが、なんか妙にうれしくて、ちょっとだけグッときてしまった。
わざわざ竜兵会の新年会の写真をプリントアウトして持ってきてくれた。
10人以上いるおっさん芸人達が全員笑顔という貴重な素敵な写真であった。
少し元気をもらったぞ。
明日からリハビリ!
と思ったら明日は日曜でリハビリなしだった。
出ばなをくじかれる!
冬にはめずらしい大雨の一日。
天候同様、気分も晴れず。
ホンマに病院の雰囲気が暗いなあ。
昨日から、一日の排尿のパターンをつかめるかも等の理由で排尿の記録をつけることにした。
彼女が午後3時頃来てくれるが、ここに来るだけでも遠くて大変だから無理をしないでと言う。
とはいえ、人恋しくなっているのではあるが。
病院から駅まで少し歩くので病院の目の前から出ているバスで帰ると、彼女が終バスの時間である午後7時30分頃病室を後にする。
静かな病室で一人落ち込んでいるところに劇団ひとりがやってきた。
タイミングもあるのだろうが、なんか妙にうれしくて、ちょっとだけグッときてしまった。
わざわざ竜兵会の新年会の写真をプリントアウトして持ってきてくれた。
10人以上いるおっさん芸人達が全員笑顔という貴重な素敵な写真であった。
少し元気をもらったぞ。
明日からリハビリ!
と思ったら明日は日曜でリハビリなしだった。
出ばなをくじかれる!
2014年07月18日
入院日記その82
2006年1月13日金曜日
「いよいよ転院だ」
と思っていたら遠足の時みたいに午前4時には目を覚ましてしまった。
午前8時に彼女が迎えに来てくれる。
主治医の先生もベッドに来てくれてしばし談笑。
ナースステーション、リハビリ室にあいさつして、彼女に支えられながら歩いて病院の外に出る。
みんなが、支えられながらも歩いている僕を見て
「すごい、すごい」
と大喜びしてくれた。
こんな見送られ方をされると無性にうれしく、余計に寂しく、転院したくなくなる。
タクシーで東京タワーの麓から墨田区のリハビリ病院へ。
高速道路は空いていてすいすい進む。
同じ東京でも港区の風景からどんどん庶民的な風景に変わっていく。
建物が低くなっていく。
30分足らずで到着。
担当の看護士さんに病室に案内される。
前の病室のベッドが南向きの窓側だったのに今度は北向きの、しかも廊下側だったので暗い。
はぁ...。
その後、この病院での主治医となる先生の診察をうけたり、病院の説明を聞いたりした。
話によるとリハビリ開始は来週月曜日かららしい。
え?じゃあ何のために金曜日に来たん?
リハビリ病院でリハビリできないって、そば屋にそばがないみたいもんやん。
なんでそばの例えを出したかは自分でもわからんけど。
夜、彼女が帰る頃には前の病院より静まりかえっていて、気持ちも沈んでしまう。
そしてこんな冬の寒い夜に、遠い家まで一人で帰って行く彼女を思うと申し訳なくてしょうがない。
そして一人になるとより一層寂しさが押し寄せてくる。
早く退院したい。
今日転院したばっかやけど。
「いよいよ転院だ」
と思っていたら遠足の時みたいに午前4時には目を覚ましてしまった。
午前8時に彼女が迎えに来てくれる。
主治医の先生もベッドに来てくれてしばし談笑。
ナースステーション、リハビリ室にあいさつして、彼女に支えられながら歩いて病院の外に出る。
みんなが、支えられながらも歩いている僕を見て
「すごい、すごい」
と大喜びしてくれた。
こんな見送られ方をされると無性にうれしく、余計に寂しく、転院したくなくなる。
タクシーで東京タワーの麓から墨田区のリハビリ病院へ。
高速道路は空いていてすいすい進む。
同じ東京でも港区の風景からどんどん庶民的な風景に変わっていく。
建物が低くなっていく。
30分足らずで到着。
担当の看護士さんに病室に案内される。
前の病室のベッドが南向きの窓側だったのに今度は北向きの、しかも廊下側だったので暗い。
はぁ...。
その後、この病院での主治医となる先生の診察をうけたり、病院の説明を聞いたりした。
話によるとリハビリ開始は来週月曜日かららしい。
え?じゃあ何のために金曜日に来たん?
リハビリ病院でリハビリできないって、そば屋にそばがないみたいもんやん。
なんでそばの例えを出したかは自分でもわからんけど。
夜、彼女が帰る頃には前の病院より静まりかえっていて、気持ちも沈んでしまう。
そしてこんな冬の寒い夜に、遠い家まで一人で帰って行く彼女を思うと申し訳なくてしょうがない。
そして一人になるとより一層寂しさが押し寄せてくる。
早く退院したい。
今日転院したばっかやけど。
2014年07月17日
入院日記その81
2006年1月12日木曜日
いよいよ今日でこの東京タワーの麓の病院とはお別れ。
通常通り午前・午後のリハビリはしっかり行う。
その合間に明日の転院の準備をする。
荷物が多く、ちょっとした引越しだ。
夕方、有吉弘行、末吉、デンジャラス安田さん、土田晃之らが入れ替わり立ち代り来てくれた。
「今度の病院は遠いけど、お暇な時は来てね」
と丁重に頼んでおいた。
夕食後、転院が決定してから受けたMRI検査の結果を見ながら主治医の先生から経過の説明をうける。
順調に炎症は無くなってきているらしい。
先生は入院した時のMRIの検査写真と比較しながら
「こんなに重い脊髄炎で、こんなに早く歩けるようになったのは山崎さんが初めてだ」
と言った。
ちょっとうれしい気がしたが、冷静に考えたらそんなに重かったとは聞かされてなかったし、そんなにひどいのなら、入院当初に
「1ヶ月で退院できますよね」
と言っていた僕に、一言
「おいおい、そんなことは奇跡だよ」
とたしなめてほしかった。
まあ、とにかく明日からのリハビリ専門病院でしっかり治すしかない。
この2ヵ月半でこの病院の先生や看護士さんをはじめとするスタッフやこの病院にすっかり慣れているし、新しい病院が不安ではあるが、転院は完治への近道なはずである。
しかしちょっとした転校気分でさみしい。
いよいよ今日でこの東京タワーの麓の病院とはお別れ。
通常通り午前・午後のリハビリはしっかり行う。
その合間に明日の転院の準備をする。
荷物が多く、ちょっとした引越しだ。
夕方、有吉弘行、末吉、デンジャラス安田さん、土田晃之らが入れ替わり立ち代り来てくれた。
「今度の病院は遠いけど、お暇な時は来てね」
と丁重に頼んでおいた。
夕食後、転院が決定してから受けたMRI検査の結果を見ながら主治医の先生から経過の説明をうける。
順調に炎症は無くなってきているらしい。
先生は入院した時のMRIの検査写真と比較しながら
「こんなに重い脊髄炎で、こんなに早く歩けるようになったのは山崎さんが初めてだ」
と言った。
ちょっとうれしい気がしたが、冷静に考えたらそんなに重かったとは聞かされてなかったし、そんなにひどいのなら、入院当初に
「1ヶ月で退院できますよね」
と言っていた僕に、一言
「おいおい、そんなことは奇跡だよ」
とたしなめてほしかった。
まあ、とにかく明日からのリハビリ専門病院でしっかり治すしかない。
この2ヵ月半でこの病院の先生や看護士さんをはじめとするスタッフやこの病院にすっかり慣れているし、新しい病院が不安ではあるが、転院は完治への近道なはずである。
しかしちょっとした転校気分でさみしい。
2014年07月16日
入院日記その80
2006年1月11日水曜日
最近はよく眠れるようになった。
その分、ぐっすり眠りすぎて尿意に気づかずにおねしょしないか不安である。
歩行練習をしていると左足に比べて右足の回復が遅れていることに気づく。
どうしても右足はすってしまうのだ。
体の歪みなどがあって、それが影響しているのか?
リハビリの合間に転院のために病室の整理を始める。
来てくれた人が持ってきてくれたお見舞い品が溢れ、ちょっとした部屋のようになっていて片付けるのも一苦労。
看護士さんが持ってきてくれたダンボールに本などを詰めて宅急便で家と実家に送ることにする。
消灯後、ちょっとすっきりしたベッド回りを眺めながら、これまでの75日間の入院生活を振り返り、そして転院してあとどれくらい入院するのか考える。
考えてもわからないのだが、1ヶ月以内に退院したい。
しかしこうやってずっと入院して、こんな静かな夜を味わっていると、宗教の必要性について考えてみたりする。
何も考えずにただ事実だけを受け止めて淡々と病気と向き合っていくのはとても大変なことだ。
「今は休めって神様が言っているんだ」
「こんな病気になったんだから、この後の人生は良いことしかないよ」
なんて、よく聞く見舞いの台詞だが、これもある種宗教的な考え方だ。
何の根拠もない、非科学的な言葉である。
だが、そんな言葉や考え方が病気に立ち向かう気力を漲らせてくれる。
弱気になることはしょうがないが、プラス思考を忘れず、思い出すようにしたい。
最近はよく眠れるようになった。
その分、ぐっすり眠りすぎて尿意に気づかずにおねしょしないか不安である。
歩行練習をしていると左足に比べて右足の回復が遅れていることに気づく。
どうしても右足はすってしまうのだ。
体の歪みなどがあって、それが影響しているのか?
リハビリの合間に転院のために病室の整理を始める。
来てくれた人が持ってきてくれたお見舞い品が溢れ、ちょっとした部屋のようになっていて片付けるのも一苦労。
看護士さんが持ってきてくれたダンボールに本などを詰めて宅急便で家と実家に送ることにする。
消灯後、ちょっとすっきりしたベッド回りを眺めながら、これまでの75日間の入院生活を振り返り、そして転院してあとどれくらい入院するのか考える。
考えてもわからないのだが、1ヶ月以内に退院したい。
しかしこうやってずっと入院して、こんな静かな夜を味わっていると、宗教の必要性について考えてみたりする。
何も考えずにただ事実だけを受け止めて淡々と病気と向き合っていくのはとても大変なことだ。
「今は休めって神様が言っているんだ」
「こんな病気になったんだから、この後の人生は良いことしかないよ」
なんて、よく聞く見舞いの台詞だが、これもある種宗教的な考え方だ。
何の根拠もない、非科学的な言葉である。
だが、そんな言葉や考え方が病気に立ち向かう気力を漲らせてくれる。
弱気になることはしょうがないが、プラス思考を忘れず、思い出すようにしたい。
2014年07月15日
入院日記その79
2006年1月10日火曜日
朝方少し雪が降ったようだ.。
起床後熱を測ったら平熱に戻っていた。
午後のリハビリでの歩行練習はとても動きがよくなり、地面を蹴る力も強くなっている感じだ。
そこに事務の人がやってきて、急ではあるがリハビリ病院に空きが出て13日の金曜日に転院することが決まったと報告を受けた。
今日はとても足の調子が良かっただけに
「わざわざ遠いところに行かなくても...」
と思ってしまう。
いや、専門病院でバリバリやって早く回復するのだと自分に言い聞かす。
でも転院したらお見舞いは減るやろうな。
ここは港区、次は墨田区。
これも転院に気乗りしない一因ではある。
とにかく、今の病院よりリハビリには適した環境だという先生の言葉を信じよう。
朝方少し雪が降ったようだ.。
起床後熱を測ったら平熱に戻っていた。
午後のリハビリでの歩行練習はとても動きがよくなり、地面を蹴る力も強くなっている感じだ。
そこに事務の人がやってきて、急ではあるがリハビリ病院に空きが出て13日の金曜日に転院することが決まったと報告を受けた。
今日はとても足の調子が良かっただけに
「わざわざ遠いところに行かなくても...」
と思ってしまう。
いや、専門病院でバリバリやって早く回復するのだと自分に言い聞かす。
でも転院したらお見舞いは減るやろうな。
ここは港区、次は墨田区。
これも転院に気乗りしない一因ではある。
とにかく、今の病院よりリハビリには適した環境だという先生の言葉を信じよう。
2014年07月14日
入院日記その78
2006年1月9日月曜日
成人の日のために今日もリハビリはなし。
天気がとてもよく、彼女と病院の隣のビルの敷地内にある、病室から見える公園に散歩に行く。
ゆっくりでおかしな歩き方だが手を引かれないで歩く。
ただ少しすると筋肉が緊張して足首や膝が動かなくなる。
ベンチに座ってボーっとしてると
「このまま治らんかったらどうなるんやろ?」
と、ふと思った。
「そんなわけないやろ」
と心の中で打ち消す。
病室に戻るとテレビで高校サッカーの決勝戦が放送されていた。
見事滋賀県の野洲高校が優勝する。
野球でもサッカーでも滋賀県代表が全国制覇したのを見たのは初めてだ。
これまでの滋賀県のチームにない逞しさを感じた。
ま、僕が偉そうに言うことではないが。
ただ、妙にうれしかった。
そしてこのところよく立ったり歩いたりしているから腸の動きが活発になってきたのだろう、大便が前より調子いい。
下剤は毎晩飲んでいるが、今年になって一度も浣腸はしていない。
こうやって徐々に回復してるんや!
弱気になる必要ないんや、と自分に言い聞かす。
夜の検温で37.0°Cある。
風邪はひいてないと思うのだが、注意しないと。
成人の日のために今日もリハビリはなし。
天気がとてもよく、彼女と病院の隣のビルの敷地内にある、病室から見える公園に散歩に行く。
ゆっくりでおかしな歩き方だが手を引かれないで歩く。
ただ少しすると筋肉が緊張して足首や膝が動かなくなる。
ベンチに座ってボーっとしてると
「このまま治らんかったらどうなるんやろ?」
と、ふと思った。
「そんなわけないやろ」
と心の中で打ち消す。
病室に戻るとテレビで高校サッカーの決勝戦が放送されていた。
見事滋賀県の野洲高校が優勝する。
野球でもサッカーでも滋賀県代表が全国制覇したのを見たのは初めてだ。
これまでの滋賀県のチームにない逞しさを感じた。
ま、僕が偉そうに言うことではないが。
ただ、妙にうれしかった。
そしてこのところよく立ったり歩いたりしているから腸の動きが活発になってきたのだろう、大便が前より調子いい。
下剤は毎晩飲んでいるが、今年になって一度も浣腸はしていない。
こうやって徐々に回復してるんや!
弱気になる必要ないんや、と自分に言い聞かす。
夜の検温で37.0°Cある。
風邪はひいてないと思うのだが、注意しないと。
2014年07月13日
入院日記その77
2006年1月8日日曜日
日曜日なのでリハビリ室は休み。
ベッドの上で腹筋とかをやりにくいので、もう必要の無い床ずれ防止用のエアーマットを取ってもらう。
彼女が病室にきてからはまたもや『24』三昧。
現在はシーズンIIIだ。
合間合間に補助してもらいながら歩行練習をする。
日曜日なのでリハビリ室は休み。
ベッドの上で腹筋とかをやりにくいので、もう必要の無い床ずれ防止用のエアーマットを取ってもらう。
彼女が病室にきてからはまたもや『24』三昧。
現在はシーズンIIIだ。
合間合間に補助してもらいながら歩行練習をする。
2014年07月12日
入院日記その76
2006年1月7日土曜日
この数日なかったのだが、朝起きると少しおねしょをしていた。
はぁ...。
おむつをしてはいるのだが、滅入ってしまう。
排尿機能が正常になればかなり気分的に楽になるのに。
昨日、リハビリ病院への転院の具体的な話を聞いてから、俄然リハビリへのやる気が復活してきた。
というのも、未知の病院へ転院がどうも気乗りしないので、回復のペースを上げて
「これだったら、リハビリ病院に行く必要はないだろう」
と言わせたいと思ったからだ。
それは無理なのかもしれないが、がんばることはマイナスにはならないはず。
とにかく病室でも足を使うことを習慣づけたい。
ふと気づくと、以前より足が太くなったように感じた。
そうそう、高校サッカーで地元滋賀県代表の野洲高校が決勝に進出した。
この数日なかったのだが、朝起きると少しおねしょをしていた。
はぁ...。
おむつをしてはいるのだが、滅入ってしまう。
排尿機能が正常になればかなり気分的に楽になるのに。
昨日、リハビリ病院への転院の具体的な話を聞いてから、俄然リハビリへのやる気が復活してきた。
というのも、未知の病院へ転院がどうも気乗りしないので、回復のペースを上げて
「これだったら、リハビリ病院に行く必要はないだろう」
と言わせたいと思ったからだ。
それは無理なのかもしれないが、がんばることはマイナスにはならないはず。
とにかく病室でも足を使うことを習慣づけたい。
ふと気づくと、以前より足が太くなったように感じた。
そうそう、高校サッカーで地元滋賀県代表の野洲高校が決勝に進出した。
2014年07月11日
入院日記その75
2006年1月6日金曜日
入院70日目を迎える。
主治医の先生から、昨年末に話を聞いた墨田区にあるリハビリ病院の状況を聞く。
現在ベッドの空きがなく、今月20日くらいに転院OKになるだろうとのこと。
しばらくして事務の人が来て、葛西にあるリハビリ病院に空きがあり週明けから転院できるがどうするか、と言われる。
その病院のことは聞いたことがなかったので、主治医の先生に相談してみる。
噂では悪くないといった程度しか知らないらしい。
そもそも転院に対して不安が大きいし、ましてやあまり情報のあまりない病院なので断ることにした。
入院70日目を迎える。
主治医の先生から、昨年末に話を聞いた墨田区にあるリハビリ病院の状況を聞く。
現在ベッドの空きがなく、今月20日くらいに転院OKになるだろうとのこと。
しばらくして事務の人が来て、葛西にあるリハビリ病院に空きがあり週明けから転院できるがどうするか、と言われる。
その病院のことは聞いたことがなかったので、主治医の先生に相談してみる。
噂では悪くないといった程度しか知らないらしい。
そもそも転院に対して不安が大きいし、ましてやあまり情報のあまりない病院なので断ることにした。
2014年07月10日
入院日記その74
2006年1月5日木曜日
午前のリハビリ。
どうも気力が湧かない。
そんなことを言っている状況ではないことはわかっているのだが、『年内退院』という目標を失った昨年末から、そして年明けからより一層気持ちが萎えている。
それと同時に回復のペースも停滞しているように思う。
これではダメだとイライラしている。
自分の責任なのに。
そして臨時のリハビリの先生の指示する声が小さくてはっきり聞こえないのにもイライラ。
すると、僕がバーを持ちながら歩行練習をしている時、横にいたおばあちゃんが
「お兄ちゃん、また良くなったねぇ」
と声をかけてくれた。
自分では変化に気づいてないだけなのか?
いや、このおばあちゃんが適当なことを言っているだけなのかも。
素直に喜んでテンション上げればよいのに、
アカンなぁ、俺は。
午前のリハビリ。
どうも気力が湧かない。
そんなことを言っている状況ではないことはわかっているのだが、『年内退院』という目標を失った昨年末から、そして年明けからより一層気持ちが萎えている。
それと同時に回復のペースも停滞しているように思う。
これではダメだとイライラしている。
自分の責任なのに。
そして臨時のリハビリの先生の指示する声が小さくてはっきり聞こえないのにもイライラ。
すると、僕がバーを持ちながら歩行練習をしている時、横にいたおばあちゃんが
「お兄ちゃん、また良くなったねぇ」
と声をかけてくれた。
自分では変化に気づいてないだけなのか?
いや、このおばあちゃんが適当なことを言っているだけなのかも。
素直に喜んでテンション上げればよいのに、
アカンなぁ、俺は。
2014年07月09日
入院日記その73
2006年1月4日水曜日
正月三が日も終わり今日から病院も通常業務に戻る。
朝、看護士さんに起こされるまで寝ていた。
寝たのが朝方になってからだったのもあるだろうが、入院当初ならそんな時でもなかなか深く眠れずに自分で起きていた。
完全に病院に慣れてしまった証拠だろう。
これも慣れなのか、病院の食事には完全に飽きてしまった。
無理矢理食べている。
一方、納豆は完全に克服した。
というより好んで食べている。
病気の体が無意識に納豆の持つ栄養を欲しているのではないか?
逆に、入院前は全くやめられなかったタバコを入院とともに止められたのは、もちろん最初は吸いたくても喫煙所まで行けなかったという物理的な理由がきっかけだろうが、
病気の体がタバコを拒否していたのではないか。
そして、脊髄の炎症が引いてきている現在、ちょっと吸いたくなっている。
こんな文章を書いていると余計に吸いたくなってきた。
我慢我慢、今吸ったら病気が再発して、またあの下手くそ医者に脊髄注射打たれるぞ。
でも以前タモリさんが言っていた、
『吸いたくなったら15秒我慢すると忘れられる』
は本当に当たっているな。
正月三が日も終わり今日から病院も通常業務に戻る。
朝、看護士さんに起こされるまで寝ていた。
寝たのが朝方になってからだったのもあるだろうが、入院当初ならそんな時でもなかなか深く眠れずに自分で起きていた。
完全に病院に慣れてしまった証拠だろう。
これも慣れなのか、病院の食事には完全に飽きてしまった。
無理矢理食べている。
一方、納豆は完全に克服した。
というより好んで食べている。
病気の体が無意識に納豆の持つ栄養を欲しているのではないか?
逆に、入院前は全くやめられなかったタバコを入院とともに止められたのは、もちろん最初は吸いたくても喫煙所まで行けなかったという物理的な理由がきっかけだろうが、
病気の体がタバコを拒否していたのではないか。
そして、脊髄の炎症が引いてきている現在、ちょっと吸いたくなっている。
こんな文章を書いていると余計に吸いたくなってきた。
我慢我慢、今吸ったら病気が再発して、またあの下手くそ医者に脊髄注射打たれるぞ。
でも以前タモリさんが言っていた、
『吸いたくなったら15秒我慢すると忘れられる』
は本当に当たっているな。
2014年07月08日
入院日記その72
2006年1月3日火曜日
入院67日目、はじめて病室に誰も来なかった。
リハビリもなく、ずーっと一人で病室にいた。
月並みなことをいうようだが一人は寂しい。
いや、正確に言うと一人になりたくないのに一人ぼっちなのは寂しい。
こんな時はとことん落ち込んで涙を流せたら、少しはストレス解消になるだろうに...。
一粒も出ない。
そう考えると竜兵さんはすごいよな。
だって、してもいない集団就職を思い出して?泣くことができるんやもんな。
それはさておきこうやって一人っきりになると忙しい中僕のために病院に来てくれる皆さんへの感謝があふれる。
お見舞いに来てくれることを当たり前に思ったらアカン。
自戒。
入院67日目、はじめて病室に誰も来なかった。
リハビリもなく、ずーっと一人で病室にいた。
月並みなことをいうようだが一人は寂しい。
いや、正確に言うと一人になりたくないのに一人ぼっちなのは寂しい。
こんな時はとことん落ち込んで涙を流せたら、少しはストレス解消になるだろうに...。
一粒も出ない。
そう考えると竜兵さんはすごいよな。
だって、してもいない集団就職を思い出して?泣くことができるんやもんな。
それはさておきこうやって一人っきりになると忙しい中僕のために病院に来てくれる皆さんへの感謝があふれる。
お見舞いに来てくれることを当たり前に思ったらアカン。
自戒。
2014年07月07日
入院日記その71
2006年1月2日月曜日
昼前までゆっくりして、午後1時30分からのリハビリにあわせて彼女に付き添われて病院に戻る。
年末からは回復度合いに変化なし。
ま、それはそうだろう、何もしてないし。
リハビリ終了後、彼女と病室でDVDを見る。
はやくも『24』はシーズンIIも見終わった。
そして彼女は実家に帰っていった。
...静かだ。
正月の病室はいつもにまして辛気臭い。
まだ外泊中の患者も多く、五人部屋に僕を含めて二人しかいない。
とても静かだ。
特に昨日の狂った宴のあとだけにそのギャップに寂しさ倍増だ。
どんどんテンションは下がっていき、様々な不安が押し寄せてくる。
一体これからどうなっていくのだろうか?
病気はもちろん、これからの人生への漠然とした不安である。
病気が治ったあと、芸人として生きて行けるのか?
彼女と結婚してやっていけるのか?
ちうか結婚してくれるのか?
それから、当たり前のことと思っているが、病気は完全に治るよな?
いやいや、ここでうだうだ考えていてもしょうがない。
今はリハビリをやるしかない。
わかってはいるのだが....
昼前までゆっくりして、午後1時30分からのリハビリにあわせて彼女に付き添われて病院に戻る。
年末からは回復度合いに変化なし。
ま、それはそうだろう、何もしてないし。
リハビリ終了後、彼女と病室でDVDを見る。
はやくも『24』はシーズンIIも見終わった。
そして彼女は実家に帰っていった。
...静かだ。
正月の病室はいつもにまして辛気臭い。
まだ外泊中の患者も多く、五人部屋に僕を含めて二人しかいない。
とても静かだ。
特に昨日の狂った宴のあとだけにそのギャップに寂しさ倍増だ。
どんどんテンションは下がっていき、様々な不安が押し寄せてくる。
一体これからどうなっていくのだろうか?
病気はもちろん、これからの人生への漠然とした不安である。
病気が治ったあと、芸人として生きて行けるのか?
彼女と結婚してやっていけるのか?
ちうか結婚してくれるのか?
それから、当たり前のことと思っているが、病気は完全に治るよな?
いやいや、ここでうだうだ考えていてもしょうがない。
今はリハビリをやるしかない。
わかってはいるのだが....
2014年07月06日
入院日記その70
2006年1月1日日曜日
夕方、インスタントジョンソン・スギの家にタクシーで向かう。
毎年正月恒例の竜兵会の新年会が開催されるのだ。
上島竜兵、リーダー、デンジャラス、土田晃之、有吉弘行、劇団ひとり、インスタントジョンソン、飛石連休・藤井らの竜兵会メンバーがワンルームマンションに大集合。
普段お店で飲む時は徐々に盛り上がっていくのだが、この日は毎年最初からハイテンション。
浮かない顔をしているのは部屋の持ち主のスギだけ。
それはそうだろう、近所迷惑など考えない大声で笑う、叫ぶ。
部屋は荒れ放題に荒れる。
そして酒が進み、みんなの酔いが回ってくるとさらにエスカレート。
床はシャンパンでビショビショ、我慢できずにベランダでコップの中に放尿する奴、
壁には意味なく梅干や昆布を投げつけられている。
そして上島竜兵は
「こんにちは大家さん わたしはバカよ〜」
と『こんにちわ赤ちゃん』のくだらない替え歌を絶叫している。
乾杯のビール1杯しかアルコールを飲んでない僕は、冷静にこの狂った宴を眺めていた。
やはり自分も酔い、そして狂ったほうが絶対おもしろい。
日付の変わる頃、いつも一滴も酒を飲まず、今日も素面の土田に車で自宅まで送ってもらう。
こんな風に始まった2006年、どんな1年になるのやら。
とりあえず早く酒を飲めるようになりたい。
夕方、インスタントジョンソン・スギの家にタクシーで向かう。
毎年正月恒例の竜兵会の新年会が開催されるのだ。
上島竜兵、リーダー、デンジャラス、土田晃之、有吉弘行、劇団ひとり、インスタントジョンソン、飛石連休・藤井らの竜兵会メンバーがワンルームマンションに大集合。
普段お店で飲む時は徐々に盛り上がっていくのだが、この日は毎年最初からハイテンション。
浮かない顔をしているのは部屋の持ち主のスギだけ。
それはそうだろう、近所迷惑など考えない大声で笑う、叫ぶ。
部屋は荒れ放題に荒れる。
そして酒が進み、みんなの酔いが回ってくるとさらにエスカレート。
床はシャンパンでビショビショ、我慢できずにベランダでコップの中に放尿する奴、
壁には意味なく梅干や昆布を投げつけられている。
そして上島竜兵は
「こんにちは大家さん わたしはバカよ〜」
と『こんにちわ赤ちゃん』のくだらない替え歌を絶叫している。
乾杯のビール1杯しかアルコールを飲んでない僕は、冷静にこの狂った宴を眺めていた。
やはり自分も酔い、そして狂ったほうが絶対おもしろい。
日付の変わる頃、いつも一滴も酒を飲まず、今日も素面の土田に車で自宅まで送ってもらう。
こんな風に始まった2006年、どんな1年になるのやら。
とりあえず早く酒を飲めるようになりたい。
2014年07月05日
入院日記その69
2005年12月31日土曜日
昨夜もトイレに3回起きる。
ぐっすり眠れないがおねしょをして嫌な気分になるよりはましだ。
今日、大晦日は一日中家の中にいて、『24』ばかり見ている。
テレビではお笑い番組が多いが見る気がしない。
ジャックバウアーと共に激動の2005年が幕を閉じる。
昨夜もトイレに3回起きる。
ぐっすり眠れないがおねしょをして嫌な気分になるよりはましだ。
今日、大晦日は一日中家の中にいて、『24』ばかり見ている。
テレビではお笑い番組が多いが見る気がしない。
ジャックバウアーと共に激動の2005年が幕を閉じる。
2014年07月04日
入院日記その68
2005年12月30日金曜日
午前10時からリハビリがあるためそれに合わせて病院へタクシーで向かう。
リハビリのあと病室に行くと、紙おむつと大量のおかしが置いてあった。
昨日先輩二人が持ってきてくれたものだ。
それにしても紙おむつが冗談ではなく、必需品となっていることに、なんとも複雑な気持ちになる。
帰りは天気がよいので彼女に車椅子を押してもらって帰る。
山手線に架かった陸橋を渡っている時、彼女が急に泣き出した。僕が入院して2ヶ月、仕事が終わって毎日病室に来て面会時間終了後、一人で寒い夜道を歩いて帰っていた彼女。
特にこの陸橋の上はいつも冷たい風が強く吹いていただろう。
不安や疲れは限界に近づいていたのだろう。
そんな道を、今日は二人で歩くことができてうれしいと彼女は言った。
僕も泣きそうになった。
午前10時からリハビリがあるためそれに合わせて病院へタクシーで向かう。
リハビリのあと病室に行くと、紙おむつと大量のおかしが置いてあった。
昨日先輩二人が持ってきてくれたものだ。
それにしても紙おむつが冗談ではなく、必需品となっていることに、なんとも複雑な気持ちになる。
帰りは天気がよいので彼女に車椅子を押してもらって帰る。
山手線に架かった陸橋を渡っている時、彼女が急に泣き出した。僕が入院して2ヶ月、仕事が終わって毎日病室に来て面会時間終了後、一人で寒い夜道を歩いて帰っていた彼女。
特にこの陸橋の上はいつも冷たい風が強く吹いていただろう。
不安や疲れは限界に近づいていたのだろう。
そんな道を、今日は二人で歩くことができてうれしいと彼女は言った。
僕も泣きそうになった。
2014年07月03日
入院日記その67
2005年12月29日木曜日
昨夜は久しぶりにテレビの深夜番組を見たりして夜更かしする。
車椅子は玄関の外の置き、部屋の中ではハイハイをして移動する。
狭いのでこれが一番動きやすい。
昼間、買い物がてら彼女に車椅子を押してもらったり、自力で動かしたりして散歩する。
初めての車椅子での外出は新たな発見があった。
まず、平らに見える歩道のアスファルトの舗装も段差がかなりあり、車道に向かってきつい傾斜がある所も少なくない。
そして、今まで交差点で歩道から横断歩道また歩道へと何気なく歩いていたが、それは車椅子だとかなり急なアップダウンであり、段差もあることに気づいた。
とにかく車椅子で外出するには相当な腕力が必要である。
ほんの100メートル進むのも一苦労であった。
買い物も車椅子で入れるスペースのある店は本当に少ない。
疲れたのでお茶しようと近くにあったチェーンの喫茶店に入ろうとするが車椅子だと段差が10cmほどもあるために、店外に車椅子をおいて支えられてなんとか入る。
そしてこれまたなんとかトイレに行くと...なんと車椅子用のトイレがあるではないか!
どういうこっちゃねん、エクセルなんとかさん。
明らかに車椅子用トイレを作ったことだけに満足し、それで身障者の立場にたった気になっている、マスターベーション的喫茶店だ。
途中デンジャラス安田さんから連絡があり、リーダーことダチョウ倶楽部の肥後さんとお見舞いに来てくれたらしい。
看護士さんに外出していることを聞いたリーダーはがっくりうなだれていたらしい。
とりあえずこの後二人で映画『三丁目の夕日』を観に行くそうだ。
リーダー、安田さんすいませんでした。
昨夜は久しぶりにテレビの深夜番組を見たりして夜更かしする。
車椅子は玄関の外の置き、部屋の中ではハイハイをして移動する。
狭いのでこれが一番動きやすい。
昼間、買い物がてら彼女に車椅子を押してもらったり、自力で動かしたりして散歩する。
初めての車椅子での外出は新たな発見があった。
まず、平らに見える歩道のアスファルトの舗装も段差がかなりあり、車道に向かってきつい傾斜がある所も少なくない。
そして、今まで交差点で歩道から横断歩道また歩道へと何気なく歩いていたが、それは車椅子だとかなり急なアップダウンであり、段差もあることに気づいた。
とにかく車椅子で外出するには相当な腕力が必要である。
ほんの100メートル進むのも一苦労であった。
買い物も車椅子で入れるスペースのある店は本当に少ない。
疲れたのでお茶しようと近くにあったチェーンの喫茶店に入ろうとするが車椅子だと段差が10cmほどもあるために、店外に車椅子をおいて支えられてなんとか入る。
そしてこれまたなんとかトイレに行くと...なんと車椅子用のトイレがあるではないか!
どういうこっちゃねん、エクセルなんとかさん。
明らかに車椅子用トイレを作ったことだけに満足し、それで身障者の立場にたった気になっている、マスターベーション的喫茶店だ。
途中デンジャラス安田さんから連絡があり、リーダーことダチョウ倶楽部の肥後さんとお見舞いに来てくれたらしい。
看護士さんに外出していることを聞いたリーダーはがっくりうなだれていたらしい。
とりあえずこの後二人で映画『三丁目の夕日』を観に行くそうだ。
リーダー、安田さんすいませんでした。
2014年07月02日
入院日記その66
2005年12月28日水曜日
今日で年内の病院の通常営業?が終了である。
年末年始は外泊するもよし、病院にいるもよしということである。
30日と明けて2日はリハビリ室が開くということなので、今日の夜彼女に迎えに来てもらい、30日にリハビリだけ来て2日に戻って来ることにした。
午前、午後のリハビリとものんびりな感じ。
数日前までの年内退院という目標がなくなったせいだろう。
1日でも早く退院したいが、まあいっか。
年明けに病院に戻るまではゆっくりするか。
夕方、導尿セットを揃えたり帰宅の準備をしたりして彼女を待ち、夕食後タクシーで彼女のマンションへ帰る。
今日で年内の病院の通常営業?が終了である。
年末年始は外泊するもよし、病院にいるもよしということである。
30日と明けて2日はリハビリ室が開くということなので、今日の夜彼女に迎えに来てもらい、30日にリハビリだけ来て2日に戻って来ることにした。
午前、午後のリハビリとものんびりな感じ。
数日前までの年内退院という目標がなくなったせいだろう。
1日でも早く退院したいが、まあいっか。
年明けに病院に戻るまではゆっくりするか。
夕方、導尿セットを揃えたり帰宅の準備をしたりして彼女を待ち、夕食後タクシーで彼女のマンションへ帰る。
2014年07月01日
入院日記その65
2005年12月27日火曜日
入院60日目を迎える。
今日は僕の担当のリハビリの先生が休みのため、別の先生に見てもらう。
その先生いわく、足の筋肉をつけることも大事だが、それより腹筋、背筋などの体幹と呼ばれる体の中心部をしっかりさせることが安定した起立姿勢、歩行につながるということだった。
僕の場合お尻の筋肉がついてないとのこと。
そして、これは最近思うのだが、筋肉をつけることよりそれをうまく使えるようになれば
少々筋力が弱くても大丈夫なのではないか?
難民のガリガリの子供が走っている姿を思い出してそう考えた。
夕方デンジャラスの安田さんが来てくれた。
一緒にゲームしたり、何のことは無い話をしたり。
楽しい時間だった。
こういうのが『よいお見舞い』なのではと、帰ったあとに思った。
昨日来てくれた有吉や劇団ひとりが一番近い後輩なら安田さんは直近の先輩だ。
普段は先輩風を吹かすような人ではないがいざという時に頼りになる。
劇団ひとりがコンビを解散した時もちょっとゆっくり休んで考えてから活動再開すればという意見の中、とにかく休まないでピンでやれることをやれ、休むと復帰することが難しくなる、とアドバイスをしていた。
それが今の活躍につながっているのではと思う。
僕も相談に乗ってもらう時がありそうだ。
入院60日目を迎える。
今日は僕の担当のリハビリの先生が休みのため、別の先生に見てもらう。
その先生いわく、足の筋肉をつけることも大事だが、それより腹筋、背筋などの体幹と呼ばれる体の中心部をしっかりさせることが安定した起立姿勢、歩行につながるということだった。
僕の場合お尻の筋肉がついてないとのこと。
そして、これは最近思うのだが、筋肉をつけることよりそれをうまく使えるようになれば
少々筋力が弱くても大丈夫なのではないか?
難民のガリガリの子供が走っている姿を思い出してそう考えた。
夕方デンジャラスの安田さんが来てくれた。
一緒にゲームしたり、何のことは無い話をしたり。
楽しい時間だった。
こういうのが『よいお見舞い』なのではと、帰ったあとに思った。
昨日来てくれた有吉や劇団ひとりが一番近い後輩なら安田さんは直近の先輩だ。
普段は先輩風を吹かすような人ではないがいざという時に頼りになる。
劇団ひとりがコンビを解散した時もちょっとゆっくり休んで考えてから活動再開すればという意見の中、とにかく休まないでピンでやれることをやれ、休むと復帰することが難しくなる、とアドバイスをしていた。
それが今の活躍につながっているのではと思う。
僕も相談に乗ってもらう時がありそうだ。