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2014年05月

2014年05月31日

入院日記その34

2005年11月26日土曜日

昨夜の消灯後のこと。
いびき男のいなくなった病室は静寂につつまれていた。
少し本を読んで寝ようとしたその時、遠くからベッドを運ぶ音が聞こえてきた。
その音がだんだん大きくなり、僕の部屋に入ってきた。
そして空いていた隣のベッドに病人が移された。
「早速新しい患者さんか」
と思った数分後、聞きなれた大音量のいびきが聞こえてきた。
いびき男が戻ってきてしまった。
「どういうこと?」
笑えないコントのようであった。
おかげで今日もすっきりしない朝を迎える。
さて入院も4週間を過ぎ、看護士さんには本当に世話になっている。
それが仕事とはいえ、下の世話など感謝することは多々ある。
しかし、医療に携わる人には、仕事だからでは済まされない、人間の優しさとか配慮とか知性などが求められるし、それらがないと失格だとも思う。
偉そうに言わせてもらえば。
この病院にはたくさんの看護士さんがいるが
「なんやこいつは?」
と疑いたくなるような人もいる。
まず何があっても謝らない人。
『やってやってる』感の高い人なのだろうか?
自分のやることはすべて正解だと思っているのか?
逆に自信がないから虚勢をはってしまい、非を認められないのだろうか?
誰に対しても子供に話しかけるような口ぶりの人も気になる。
一見優しい印象を与えるが、冷静に考えると馬鹿にされているように感じる。
患者を下に見ているということか?
年配の方に対しての無礼な口ぶりを聞いていると、横で聞いているこっちまで腹が立つ。
何気ない一言で患者は一喜一憂しているということを忘れないでほしい。
同じ病気の患者であっても同じ人間ではないのだから、この仕事には完全マニュアルなどあるはずもない。
一人間としての力が必要な、とても大変な仕事であると思う。
人が一番まいっている時に直接触れあう職業であるみなさんには、大きな期待をしたい。


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2014年05月30日

入院日記その33

2005年11月25日金曜日

午前のリハビリのあと看護士さんに体を拭いてもらう。
お風呂は週一くらいしか入れないので、他の日は体を拭いてもらっているのだが、今日その時に床ずれが見つかった。
お尻の尻尾のあたりが1cm四方くらいめくれているらしい。
僕のように寝返りがちゃんと出来ないと起こりやすいのだそうだ。
こんなもの大したことないと思っていたら、ひどくなると骨まで見えてしまうお年寄りもいるらしい。
しっかりケアしていくことに。
午後のリハビリのあとは、入院以来ずっと挿したままになっている排尿のための管をとることが可能かどうかを調べるために泌尿器科へ。
しかし肛門の力がまだないために無理という診断だった。
排尿には肛門の筋力が係わっているのだ。
病室に戻ると太田プロの先輩芸人・松村邦洋が来てくれた。
すごく励ましてくれるのだが、140kgの巨体を苦しそうに動かしたり、少ししゃべっただけで息が切れている姿はどっちが病人だかわからない。
他の患者さんも看護士さんも芸能人を見る目ではなく、おもしろい生き物を見る目で松村さんを見ていた。
とりあえず人間ドッグを勧めておいた。
「ダイエットしないと死んじゃうな」
と言いながら帰っていった。
そうそう、僕の睡眠を妨害していた隣のベッドのいびき男が別の病室に移動してくれた。
よし、今夜は病人らしく寝るぞー!



今、振り返ってみると
あの時の松村さんは異常なフォルムをしていた。
165cmで140kg。
ロボコンみたいやったな。
そして生命の危機を感じた先輩はここから50kgの減量を成功させたのだが、
健康のためにはじめたマラソンで死にかけるのであった。。


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2014年05月29日

入院日記その32

2005年11月24日木曜日

足を動かすことができずじっとしている時間が長いので、足先まで血液が流れにくくなる可能性があるために、膝から下にちょっときつめのストッキングをはくか包帯を巻くかしている。
昨日から包帯をしていたのだが、看護士さんがきつく巻きすぎたらしく、足首から下が異常にむくみ、痺れがひどい。
なので朝、包帯をとったのだが、その時に自分の足が極端に細くなったように見えて悲しい気分になる。
自力で膝を立たせようとするが、若干動いたかな?程度であった。
あせらず、でもさぼらずリハビリをやっていこう。
午前のリハビリの後、便が出そうな予感がするので看護士さんに浣腸をしてもらい、排便。
今、入院生活の中でこれが最も憂鬱な時間である。
「そろそろパンツはきますか?」
と看護士さんに聞かれるが、もしも漏らしてしまったりして看護士さんを手間取らせることが嫌なので断る。
いや、看護士さんに悪いということより、そうさせる自分が情けないのが一番の理由だ。
まだオムツの方が安心だ。
そういえば29日に引越し準備のために外出することが許可された。
今からとても楽しみである。
そして今日も消灯後は隣のいびきに悩まされている。
あー、いびきでかい奴は個室行ってくれよ!


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2014年05月28日

入院日記その31

2005年11月23日水曜日

一昨日にまたMRI検査をうけていたのだが、その結果が出た。
今回は脳の検査だったのだが、炎症は無くなっているらしい。
僕の病名は『急性散在性脳脊髄炎』。
だから脳にも炎症があったのだが、その脳の炎症は呼吸を司るあたりに発生していて、かなり危険であったらしい。
そういえば入院当初
「呼吸は苦しくないですか?」
としきりに先生に聞かれていた。
そしてその状態について母と彼女には主治医の先生から説明があったのだそうだ。
その説明は、どうも前に書いた『僕のTシャツにTHE END』事件の直前にあったようだ。
あいつら、そんな時によく笑っとったなぁ...。
午後、ほんの些細なことで彼女と気まずい空気になる。
「こっちは病人なんやからストレス溜まってるのぐらいわかるやろ」
と思ってしまうが、毎日世話をしに仕事で疲れたあとに病院に通ってくれている彼女のストレスも相当溜まっているのだろう。
消灯後、一人になって考えるとわかるのだが...。
一回り大きい人間になりたい。
そしてそんな消灯後、新たなイライラの原因が増えた。
ザ・いびきだ。
今日から隣のベッドにやってきた、パジャマ姿なのに金の時計をはめたチョイ怖系のおっさんのいびきの凄いこと、凄いこと。
気になるとどんどん目が冴えていく。
入院生活はさまざまな試練がやってくる。


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2014年05月27日

入院日記その30

2005年11月22日火曜日

カレンダーを見ながら数えてみるとあと40日で年が明ける。
年明けに仕事を始めるためには、40日後には立って歩いていなければならない。
しかし今の僕は立つどころか膝を動かすこともできない。
排尿のための管も通っている。
果たして40日で間に合うのか?
困難な気もするが目標にしよう。
これまでベッドから車椅子に移る時、車椅子のタイヤを一回一回はずしていたのだが、
腕と腹筋の力がついてきたので自力で体を持ち上げることができるようになりはずさないで済むようになった。
ほんの少しの回復だがこういう事の積み重ねをこれからの40日にしていきたい。


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2014年05月26日

入院日記その29

2005年11月21日月曜日

ふと鏡を見ると、入院前より明らかに顔色の良い自分がうつっている。
ステロイドの影響もあるのだろうが、ふっくらとして、以前の頬がげっそりとしていた僕ではない。
振り返ってみると、1日3食ちゃんと食べる生活は18才で上京してから初めてかもしれない。
おまけにタバコは吸わない、酒も飲まない、ほぼ規則正しいリズムで健康的に生活している。
逆に考えると、原因不明といわれたこの病気も、これまでの不摂生が引き起こしたもののような気がする。
それにしても禁煙が続いていることに自分でも驚いている。
無理しているのではなく、全く吸いたいと思わないのだ。
以前に数回禁煙にチャレンジしたのだが、いつも1時間も経たないうちに
頭の中がタバコのことでいっぱいになり、
「芸人が禁煙なんかしてどないすんねん」
という、全くおかしな考えがもちあがり、自販機に走るということの繰り返しだった。
それが苦もなく続いているというのは、弱った体がタバコを拒否しているのだろうか。
不思議である。
午後、相方の末吉が来て、ネタの話をしていると何も出来ないこの状況にあせりが強くなる。
入院前にようやく二人の形らしきものが見えてきていたし、年齢のこともあるし...
とにかく早く復帰しないと。



今振り返ってみると
あれから禁煙はずっと続いている。
これこそ病気にならなければ変わらなかったことである。


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2014年05月25日

申し訳ありません!

> ブログが文字バケなどして
> 非常に読みづらく、大変申し訳ございません。
>
> おかしなモノは削除したいのですが
> 管理ページのパスワードを忘れてしまい、削除できないという
> バカをやらかしてしまいました。。
>
> なんでしばらくおつきあいくださいませ。
>


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申し訳ありません???

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入院日記その28

2005年11月20日日曜日

昨夜の消灯後、DVDで映画『パッチギ』を観ていたとき、足の痙攣がすごかった。
特に左足がひどく、膝まで動いていた。
これは良い兆候であろう。
足首から下も、痙攣が強くなったあと動かせるようになったし。
先日のMRI検査の結果が出て、順調に脊髄の炎症は引いていっているということだった。
これがまたひどくなっていたりすると
『多発性硬化症』
という難病指定をうけている重病となるそうだ。
まだ100%安心できるわけではないが、ひとまずは快方に向かっている。
午後、病棟の談話室にあるテレビの前はいつになく賑わっていた。
今日は東京女子マラソンが快晴の秋空の下行われていたのだ。
テレビには颯爽と走る高橋尚子選手の姿が映っていた。
そして見事復活の優勝をとげた。
一度頂点まで登った人間が挫折を味わい、そこからまた這い上がる。
とても格好いい。
僕を含め入院している人たちも魅入られていた。
それぞれが自分の闘病生活と重ね合わしていたのだろう。
ゴールの瞬間にはテレビの前で拍手が起こったほどだ。
その後優勝インタビューも中継された。
誰一人テレビの前から離れる人はいない。
そして今日のQちゃんは饒舌だった。
「これを見てくれている、今の自分は最悪の状況だと思う人にも夢を持つことを忘れないでほしいと思います」
まさに入院患者に入院患者にぴったりの発言。
これは泣きが入っている人もいるんちゃうか?
と、その時じっとインタビューを聞いていた親父が口を開いた。
「しゃべりすぎだよ」
人を感動させるのってむずかしい。


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2014年05月24日

入院日記その27

20051119日土曜日
入院4週目に突入。
午前のリハビリの時、膝に少し力が入ってきたと先生に言われる。
ただ自分では全くわからない。
意識して力を入れる、動かせるようにならないと意味がない気がする。
夜、鼻エンジン・村田渚さんよりメールが入り、M-1グランプリ準決勝進出が決まったとのこと。
目指せ決勝と返す。
かたや今の僕の目標は膝を動かすこと。
しょうがない。
今できることをやるしかない。



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入院日記その27

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2014年05月23日

入院日記その26

20051118日金曜日
午前のリハビリを終え病室に戻ってきて携帯をみると、上島竜兵さんから留守電が入っていた。
これといって内容のあることは言ってないのだが、この人が言うと妙にうれしかったりする。
10年以上前から太田プロの先輩なのだが、こんなに親しくなったのは数年前。
当時文化放送でやっていたダチョウ倶楽部のラジオに遊びに行くようになってからだ。
以来、酒を飲む、たまに野球をするというのを主な活動としている竜兵会なるものがなんとなくできた。
芸人以外の人間に竜兵さんのすごいところを伝えようとしてもなかなかうまくいかない。
誰かが言っていたが
『お笑いやる前はみんなダウンタウンさんやとんねるずさんに憧れるが、プロになって初めてダチョウ倶楽部のすごさがわかる』
本当、そうなのである。
あとこの人とつきあっていると芸人って人間性というかその人自身の生き様がすべてのような気がする。
同じ熱湯に入っても上島竜兵だとおもしろい、みたいな。
さて、この病院は月2回入院費を請求するのだが、本日、先月の3日分と今月の15日までの請求書が来た。
予想はしていたが
「早く退院しよう」
と思わせてくれる数字だった。
しかし、日本には高額医療費払い戻し制度というものがあり、これは同一月の1日から末日までに一定額を超えると、その超えた分は払い戻されるというありがたいものだ。
ただ、先月は3日しか入院しておらず、払い戻し額も少なくてなんか損した気になる。
入院するなら月初めがよかった。
冗談抜きでそんなことを考える。
それにしても金の問題は切実だ。
今節約できることはなんだ?と考えた結果、下北沢のマンションを解約することにした。
年内は確実に入院生活になりそうだし、もしかするともっと長引く可能性もある。
そんな気がしてきた。
早速不動産屋に電話し、解約する。
金の事をあれこれ考えて気が重くなっていた夕方、MRI検査を受ける。
何度かこの検査を受けたが、どうも苦手である。
狭い筒のような機械の中に入り、ものすごいごう音に包まれて1時間以上じっとしていると、とても憂鬱になる。
今日はこれまで以上に塞いでしまい、どうしようもない不安感が襲ってきて、
涙がこぼれてきた。
検査が終わっても気は晴れずにいた。
その時、検査室から病室へ車椅子を押してくれた医療スタッフの若い男の人が話しかけてきた。
「僕、高校生の頃、よくノンキーズのラジオ聞いていましたよ。ネタ観に行ったこともあるんですよ。こんなとこでお会いするなんて不思議な感じですけど、がんばってくださいね。」
なんと良いタイミングで声をかけてくれたことか。
心が軽くなり、勇気づけられる言葉であった。



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2014年05月22日

入院日記その25

2005年11月17日木曜日

いつも僕の髪の毛を切ってくれている美容師の友人がやって来て、毎日風呂に入れないから、という僕のリクエストで丸坊主にしてくれた。
すっきりして気持ちいい。
高校生以来18年ぶりの坊主頭に、毎日の筋トレのおかげで太くなった腕と厚くなった胸。
そんな自分の姿を鏡で見る。
「あれ?少し若返ったんちゃう?」
と喜んだのもつかの間、鼻毛に白いものを発見。
現実にすぐに引き戻された。
2,3日前から背中や胸に発疹が出てきた。
どうも脊髄の炎症を抑えるために服用しているステロイドの影響らしい。
また、ステロイドを飲んでいると体の抵抗力が弱くなるので、風邪には要注意ということだ。
そう言われても入院している身としては、何を注意すればよいのやら...


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入院日記その25


2005蟷エ11譛?17譌・譛ィ譖懈律

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2014年05月21日

入院日記その24


20051116日水曜日
昨日、入院三度目の脊髄注射を打ち髄液の検査をする。
前回、主治医の先生による注射は全く痛くなかったが、初めて病院に来た時の激痛の記憶がよぎる。
しかしそれは取り越し苦労で、主治医の先生の注射はやはりうまかった。
そして早速その検査結果が今日出た。
本来髄液は白血球が全く無い0の状態で、非常にきれいな液体なのだそうだ。
それが最初に採った僕の髄液には白血球が160あったそうだ。
単位はわからないのだが。
そして今回採った髄液の白血球は60だったそうだ。
もちろん単位はわからない。
それでも正常な髄液に近づいているのはわかった。
今日もTIM・レッド吉田、劇団ひとり、末吉、村田渚など大勢のお見舞いの方々が病室に来てくれた。
しかしながらこの人の『気』に勝てる奴はいない。
TIM・ゴルゴ松本。
彼がやってきた時、病棟すべてがパッと明るくなった気がした。
僕はもちろん、他の入院患者やお見舞いの人、それに看護士さんまで笑顔になっていた。
そしてこんな彼らしい発言があった。
「山ちゃん、どれくらいかかりそうなの?」
「うーん、はっきりわからへんけど、大体入院3ヶ月はかかるみたい」
「そうか、じゃあ、2ヶ月だな」
「え?」
「だって、俺とか山ちゃんだったら、普通の人より早く治るんだよ」
何の根拠も無いすごい励まし方である。
そして『俺とか』というあたりが彼らしい。
ちょっと
「何言うてんねん」
と思いつつもそれでもとても気が晴れている自分がいる。
ゴルゴ・パワーは病人を治す力があるのではないか?
ゴルゴ教があったら入信してしまいそうだ。




結局、2ヵ月で退院は夢で終わったのだが
あの時のゴルちゃんの神々しさは忘れられない。
ちなみに彼はその後、
「じゃんけんは気合があれば絶対勝てる」
という理論を提唱した。




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入院日記その24


2005蟷エ11譛?16譌・豌エ譖懈律

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入院日記その24


2005蟷エ11譛?16譌・豌エ譖懈律

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入院日記その24


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2014年05月20日

入院日記その23


2005年11月15日火曜日

朝6時30分ごろ地震があった。
幸いすぐおさまった。
ただ不安がよぎる。
僕の病室は8階、そして下半身は動かない。
ここは病院なんで医療機器なんかは心配はないが、もしも火事になったり、建物が崩壊し始めたらどうやって外に逃げればいいのだ?
看護士さんをはじめ、スタッフの人数は限られているから、避難はかなり困難だろう。
阪神大震災の時などは神戸の病院はどう対処したのだろうか?
とにかく早く自分で動けるようになりたい。
さて、このところ上半身の筋トレをかなりやっているので胸と腕の筋肉がはってきている。
リハビリ室では起立台にベルトで体を固定して立ってみた。
18日ぶりに立ち姿勢になった。
人間は二足歩行の動物なんで、立たないとさまざまな器官が正常に働かないため、
これは重要なリハビリなのだそうだ。
そして、リハビリの先生に無理を言って特別に午前と午後の2回リハビリを今日からやらせてもらうことにする。
主治医の先生はどれくらいで退院できるのかはっきり言ってくれないが、昨日のブログの同じ病気の人のコメントなどから考えて、年内退院・年明け復帰を目標にやっていこう。
夕方X-GUNの西尾さんと嵯峨根さん、元底抜けAIR-LINEの古坂と亮が来てくれた。
あつあつおでんを食わされた。
どんなお見舞いやねん。
ほぼ同期のみんなに囲まれていると、お笑いをやり始めたころのライブの楽屋のようであった。
お互いライバルなのに妙に楽しかったっけ。
あの頃も一応プロとしてお金をもらっていたけれども、その自覚はどこか薄く、どこか学生の延長でやっていた気がする。
いい意味でも悪い意味でも。








今振り返ると
2011・3・11、病院はどう対応したんかな?
自力で動けない人は相当怖かったろう。
そしてX- GUN、底抜けって、
お笑い始めて最初にできた友達。
ガネさんがお店をやるとは。。
西新宿五丁目で
串揚げやってます。


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2014年05月19日

入院日記その22


2005年11月14日月曜日

僕のブログを読んでくれている脊髄炎を患った経験のある方がいてコメントをくれた。
その人は
『入院3ヶ月、通院2ヶ月』
だったそうだ。
...そんなにかかるんや...。
でも、もっと早く回復することだってあるだろう。
いや、逆にもっとかかることもあるか...。
そんなこともあって、入院以来、退院するまで伸ばそうと思っていた髭をそった。
退院まで待っていたら仙人みたいになるかもしれんし。
さっぱりしたら気分も少しだけ軽くなった気がする。
しかしテレビで流れる入院保険のCMの
『入院1日1万円保障』
のフレーズを聞くと、どうしようもない後悔の念に苦しめられる。
そして今日、初めてリハビリ室に行く。
これからはここで、とにかくひたむきにリハビリをやっていこう。
自分にできるのはそれしかない。


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2014年05月18日

入院日記その21


2005年11月13日日曜日

数日前から消灯後に足の痺れがひどくなっていたのだが、昨夜はそれがより強くなった。
もちろん錯覚なのだが、足がベッドのマットの中に沈み込んでいくような感覚に襲われたりもした。
足を動かしたいのだが、足首から下が少しだけぴくつく程度でどうにもイライラして、
叫びたい衝動に駆られる。
耐えられずにナースコールを押し、看護士さんにマッサージをお願いする。
午前1時に僕のためにマッサージをしてくれるその姿に、申し訳なさと感謝の気持ちがいっぱいになる。
それをうまく言葉にして伝えることができなかった。
アカンなぁ...。
しかし、おかげで大分楽になり朝まで眠ることができた。
今日は日曜日でリハビリの先生も来ないので
一人で腕の筋トレにはげむ。
午後、入院して二度目の入浴。
前に比べると足先でお湯の温かさを感じるようになっていた。
大きな進歩と捉えよう。
要は気の持ちようだ。
お風呂から上がると、土田晃之が三人の子供たちを連れてやってきた。
下の二人とは初対面だったが、長男とは一緒に動物園にいったりしていたのでその成長ぶりにびっくり。
3,4年ぶりだろうか、当時は
「この子はジャニーズに入れたほうがいい」
とみんなで言っていたが、今は見事に土田のDNAが顔を出してしまい、平凡な顔になっていた。
そしてPSPで足し算をしている姿に、これぞザ・成長だとびっくりさせられた。




この入院から7年以上が過ぎ、
土田家の長男の身長は180cmを越えたらしい。
まさに父の遺伝子!


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2014年05月17日

入院日記その20


2005年11月12日土曜日

天気の良い日が続いていたが今日は雨模様。
これまで指先しか動かなかった足であるが、今日、ほんの数ミリであるが足首も動いた。
特に左の方が動くようだ。
自分の目で見ながら、意識して動かすことが大切だと先生は言っていた。
脳からの命令を神経を使って足に伝える練習なのだろう。
とはいえ下半身はほとんど動かない状態なので、上半身の筋トレをがんばり、腕で下半身をひっぱることができるようにしたい。
あと、横になっている時間が長いためであろうが、腰が少し痛い。
昨日も書いたが、大勢の人がお見舞いに来てくれている。
芸人が多いのだがその他の職業の人も訪ねて来てくれる。
当然面識のない人間が僕をはさんで居合わせることもしばしばだ。
そんな時に、話を合わせる、共通の話題をふるという『大人力』の差が如実に出る。
この力はツッコミの人間の方があるように思う。
今日もそんなシチュエーションにフォークダンスDE成子坂、鼻エンジンとツッコミ人生まっしぐらの村田渚さんがはまった。
しかし、さすが、うまく泳いではりました。


今読み返すと
何度もお見舞いに来てくれた、
今は亡き村田渚さんとの思い出がよみがえります。
渚さんはお見舞いだけでなく
しょっちゅうメールをくれたなー。
全部大喜利のお題やったけど。
あのおっさんはお笑い大好きでした。


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2014年05月16日

入院日記その19


2005年11月11日金曜日

入院14日目。
丸二週間である。
これから一体どれだけかかるのだろうか、時間と金。
ていうか、今までは一体いくらかかっているのか?
こんなこと言っても後の祭りなのだが、ホンマ、入院保険に入っとくんやった...
さて、いやらしい話はさておき、今日もたくさんお見舞いに来てくれた。
芸人ではX-GUNの嵯峨根さん、ドロンズ石本、などの面々。
そしてこの14日間で、一般の方を含めてのべ103人もの方がお見舞いに来てくれたことになる。
こればかりは金には代えられない。
ありがとうございます。


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2014年05月15日

入院日記その18


2005年11月10日木曜日

昨夜は睡眠薬のおかげで4,5時間ぐっすり眠れる。
朝、すっきり目覚める。
そして今日で点滴をはずすことになった!
なんて気分がよいのだろう。
針が入っているのは違和感があり、移動するのも面倒であった。
とはいえ、まだおしっこの管は通っているし、なんといっても車椅子。
体一つで生活できないのは本当に煩わしく、精神的にも疲れる。
もちろん肉体的にも。
さて、今日はつぶやきシローがやってきた。
それも自転車(ママチャリ)で。
彼はどこでも、ほぼ自転車移動だ。
一度、竜兵会の野球に世田谷から三鷹まで自転車で来たのには驚いた。
その話をすると実家の栃木まで自転車で帰ったこともあると言っていた。
今日も快晴で東京タワーがくっきり、大きく見える。
それを眺めながらつぶやきは
「今年のクリスマスは最高のロケーションですね」
とつぶやいた。
「確かに良い眺めやろうけど、そんなクリスマスまで入院しているわけないやんけ」
と、当然のように言うと彼は笑っているだけだった。
え?マジで言うてたん?
そんなにかかるわけないやろ...多分。
ちょっと不安になる。
あと気になったのが、つぶやきの携帯電話古すぎ。
いまどき画面が緑って。
午後9時頃、今日も睡眠薬を飲むが、早く飲みすぎたのか今日はなかなか眠れない。
そして午前2時頃のどが渇き何か飲みたいと思うが手元に飲み物が無い。
車椅子で冷蔵庫まで取りに行くしかないが、こんな時間に看護士さんを呼んで車椅子に乗せてもらうことは気が引ける。
根拠はないが、自力で乗れそうな気がしてゆっくりチャレンジ。
しかし足をベッドから下ろしたところでどうにも動かなくなり、断念。
仕方なくナース・コールを押す。
結局、看護士さんの仕事を余計に増やしただけだった。
「山崎さん、今度からはちゃんと言わないとダメですよ」
若い女の看護士さんに注意をされる、36歳のおっさん。
情けない。
本当に情けない。


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2014年05月14日

入院日記その17


2005年11月9日水曜日

結局昨夜も2時間程しか眠れなかった。
まぁ無理に眠る必要もないとも思えるが、消灯後は足の痺れがどんどんひどくなり、それとともに目がさえて考え事ばかりしてしまう。
イライラしている自分がわかる。
わかっていてもイライラ。
そんなイライラ病を併発したぼくを今日もたくさんの芸人が癒してくれた。
インスタントジョンソンのジャイは漫画『ワンピース』を全巻持ってきてくれた。
読みたかっただけにうれしい。
とりあえず1巻から順に並べると
...36巻だけない。
どうせすぐには必要ないのだが、なんか嫌だ。
今の僕にはこんな事もストレスになる。
夜、今日から睡眠薬を出してもらうようにする。


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2014年05月13日

入院日記その16


2005年11月8日火曜日(続き)

夕方、インスタントジョンソン・スギがやってきた。
見舞いにきたのに、自分が最近ふられた不幸話を延々しやがった。
でも許そう。
なんせポータブルDVDプレーヤーを持ってきてくれたから。
これで映画を思う存分見られる。
「で、DVDは?」
「あ、忘れました」
...そんなんやからフラレルねん。
今度持ってきますと帰っていった。
すると間髪入れずに
インスタントジョソン・ゆうぞうが顔を出す。
お前らどっかで順番待ちしてない?
勉強し直せと桂三枝師匠の創作落語のCDを渡され、
「おつかれちゃーん」
と、病院用のテンション下げバージョンで帰っていった。
どうせならDVDが欲しかったな...
面会時間終了の午後8時をまわり、今日はずっと誰かがいたなぁとしみじみ振り返っているとコツコツと複数の靴音が。
ネプチューンの名倉潤・原田泰造・堀内健の三人とTake−2の東貴博がやってきた。
みんなほぼ同期で10年以上のつきあいになる。
堀内健が
「なんだ、スーさん(彼だけは僕のことをこう呼ぶ)元気そうじゃん。死にかけているかと思ったよ」
と残念そうに言っていた。
泰造は
「今日、『銭金』の収録だったんだけど、みんな山さんのこと心配してたよ。絶対良くなるからがんばって」
と、いつもに増してやさしい言葉。
長年彼女がいない東君は、
「彼女がいて本当よかったよね」
と声をかけてくれたが、自分が病気になったら世話してくれる人がいないことも心配している様子。
同い年だが芸歴は先輩の名倉さんが
「俺らもそういう年齢なんやって」
としみじみ言っていたのが印象に残る。
「おニャン子と結婚おめでとうございます」
と言っておいた。
消灯時間が近くなり、時間がないのでサッと帰っていった。
先輩・後輩・友達、芸人としゃべっているのは楽しいし元気がでる。
みんなが帰ったあとも暖かい気持ちが続いている。
今日はこの穏やかな気持ちのまま眠れるといいのだが。


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入院日記その15


2005年11月8日火曜日

朝、主治医の先生にあと二週間は確実に入院といわれる。
それと同時に多分もっとかかるだろう的ニュアンスも言外に感じた。
しょんぼりしていると、正午にTIMのレッド吉田がやってきた。
所属事務所も違うけど、僕が最もよく遊ぶ芸人というか、友達だ。
車椅子を押してもらって病院の一階にあるコンビニへ。
そして天気がとてもよいので調子に乗って病院の外へも出た。
東京タワーがきれい。
空気がひんやりして気持ちいい。
「山ちゃん、金でもなんでも、困ったことがあったらなんでも言えよ。俺がなんとかするから。」
と男前な言葉。
ぐっときた。
しかしなんかガリガリ引きずっている音が気になる。
足元を見ると僕の足が地面にすっているではないか!
とりあえず今最も困っていることなので元通り足置きに戻してもらった。
まあ、感覚ないから痛くも痒くもなかったんですが。
病室に戻り、彼の仕事の時間までしゃべる。
完治したらまた二人でライブやろうと確認した。
これまで二人で二回やった野球ライブの三回目を11月下旬にやるはずだったのだ。
野球好きの僕たちは、2年前に二人でニューヨークのヤンキースタジアムまで観戦しに行ったこともある。
午後2時頃、レッド吉田と入れ替わりで寺門ジモンとスマイリーキクチが現れた。
竜兵会の敵対勢力の二人だ。
ある意味襲われた。
ジモンさんはいきなり先生や看護士さんにからんでいる。
「こいつ大丈夫っすか?」
の連呼。
「とりあえず威圧しといたから。」
と、意味不明発言。
缶ジュースを渡すと
「院内感染するから飲まない。」
と、失礼発言。
最初に病院に来たときに新米医師に打たれた脊髄注射の話をすると
「お前がそのレベルの人間だからだ。俺だったらそんな医者は出てこない」
と、大物発言。
「はい、そうですね」
と相槌を打つスマイリーのイエスマンぶりも笑える。
そこに母が登場。
相手がジモンさんでも怯まずにしゃべる。
まさに二人のトークライブであった。

「失礼ですけどガチョウ倶楽部の方ですよね」
対するジモン
「ヨガはいいですよ。俺と一緒にヨガに行ったらチンポから水が吸えるようになりますよ」
かみ合ってないが笑える。
スマイリーと、途中から来た末吉のしゃべる間がない。
ちなみにジモン会は明日から香港旅行に行くらしい。
治ったら一緒にどこかへ行こうというお誘いをうけたが、丁重に断る。
その後ジモンさんとスマイリーは服の展示会に行った。
服の展示会って、お前ら職業なんやねん。
(続く)


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2014年05月12日

入院日記その14

2005年11月7日月曜日

車椅子に乗れるようになる。
検査以外で初めてベッドから離れることができた。
病棟には談話室というところがあって、そこから見える東京タワーの大きさに圧倒される。
ただ車椅子に乗れるといっても乗り降りは看護士さんにやってもらわなければならず、
あんまり頻繁に呼ぶのは気がひける。
そして初めてお風呂にもいれてもらう。
昨日有吉が持ってきた『リアル』の中にまんま同じシーンがあった。
寝たまま湯船に浸かれる装置にのって、看護士さん二人に洗ってもらう。
浣腸のとき程ではないが、情けない。
というか恥ずかしい。
照れ隠しに
「これでちんこが大きくなったら神経が治ったしるしですね」
と言ってみるが看護士さんは愛想笑い。
余計恥ずかしくなった。
お湯に入っても下半身にあまり暖かいという感覚がない。
とはいえ、めちゃめちゃ気持ち良かった。
夕方、末吉が後輩のマシンガンズとサワー沢口を連れてくる。
サワーとは初めてしゃべる。
ちうか、そんな間柄でなんで来たんや?
ま、ええか俺の人徳ってことで。
少しずつだが指の動きは大きくなるが、感覚が戻ってきているのか、足の痺れがひどくなってきた。
消灯時間後は特に強い。
あと、足がベッドに埋まっていくような錯覚がある。
それが嫌で足を動かしたいのだがそれも一苦労で、自分の足なのに思い通りにならないもどかしさに、絶望的な、わめきたいような気持ちになる。
次第にストレスが溜まってきている。


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2014年05月11日

入院日記その13


2005年11月6日日曜日

夕方、上島竜兵、肥後克広、デンジャラス両名、有吉弘行が一緒にやってきた。
つい三日程前に他の患者さんもいるから団体では来るなと言っていたのに、
みんな満面の笑みで
「おー!」
と叫びながらやってきた。
「静かにせーよ!」
と、こちらも笑顔でつっこんだ。
竜兵さんは今日はにやにやしながら僕を見ていた。
そしてベッドの下を覗きこんで
「ドリフのコントみたいに本当の足があるかと思って」
と言った。
にぎやかだった病室に一瞬静寂が訪れた。
そのあとみんなに
「お見舞いなんて笑いをとりやすい場面ではずすとは最低だ」
と集中砲火を浴びていた。
リーダーはお見舞いで誰かにもらった漫画を黙って読んでいた。
中学生が友達の家に来た時のような行動である。
デンジャラス・ノッチはお見舞いにすごい本をもってきた。
『間違いだらけの車選び』。
しかも96年版。
プラス中学生の川柳集みたいなやつ。
明らかに家にあったいらない本を処分しに持ってきたのだろう。
あんたが間違いだらけ。
有吉もお見舞いに漫画を持ってきた。
元々彼の漫画のチョイスはとてもよく、以前からおもしろいものを紹介してもらっていた。
そして今回はどんなのを持ってきてくれたのかというと
『リアル』。
交通事故で車椅子生活になり、車椅子バスケの選手となって...という話だ。
ベッドから動けない人間になんちゅう漫画をもってきとんねん。
そうそう、僕の足が動かないのをいいことに、みんなにティッシュやタバコを僕の足の指に挟まれ遊ばれた。
すると指がかなりピクピクしだし、みんな大喜び。
ちょうど飲み物を買いに行っていた彼女をデンジャラス・安田さんが
「山崎の指が動いた!」
と呼びに行ってくれたのだが、ゴミに埋もれている僕の足を見て目が点になっていた。
でも明らかに昨日よりも大きく動いていた。
指だけだが...。
「俺をおもちゃにするな!」
と言いつつわざわざ来てくれて感謝で胸がいっぱいになる。


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2014年05月10日

入院日記その12

2005年11月5日土曜日
今日から少しずつリハビリを始めようということで、リハビリの先生がベッドまでやってきた。
とはいえ、少し関節を回したりする程度。
こんなん意味あんのかと思ってしまうがほっとくと関節が固まってしまうらしい。
そして昨日よりもすこし指が動くようになっている。
意識して動かそうとすると数ミリ動く。
神経がやられているから、この『意識して動かす』というのがとても大事に思える。
感覚がほとんどなかった足に痺れを感じるようになってきて、逆に胸の痺れは弱くなってきた。
ベッドのふちに彼女に支えてもらって座り、体を拭いてもらうことができた。
気持ちいい。
ていうか風呂に入りたい。
しかし、一体どれくらい入院せなあかんのやろ?
あと一週間はかたいよな。
いや、一ヶ月?
もしかしたら...。
金が心配。
入院費用もそうやけど、今仕事してないってことは、来月の収入は無しってことなわけで。
芸人の悲しさだ。
今読み返すと
この頃は、不安はあるものの、数週間で治ると思っていた。
なんたる読みの甘さ。。。



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2014年05月09日

入院日記その11

2005年11月4日金曜日
今日で入院7日目。
朝、ほんの数ミリだが指先が無意識にピクピク動いた。
うれしい。
ずーっとベッドの上にいるのだが病室は8階なので窓からの見晴らしがよい。
松山千春の昔の歌で
『空の青さはわかるけど空の広さはわからない』
という暗いフレーズがあったがまさにそんな感じである。
南向きで日当たりが良すぎて、昼間は暑いほどだ。
神経以外はすこぶる健康で食欲も旺盛。
顔はステロイドの影響でふっくらした感じで血色もよい。
病気になる前の顔と比べたらどっちが病人かわからないだろう。
東京に出て来て一人暮らしを始めて15年以上、振り返ってみるとちゃんと1日3食摂る生活なんて初めてだ。
おまけに、しょうがなくだが、禁煙も続いている。
以前禁煙を試みたことが何度かあったが、いつも数時間でタバコのことばかり頭に浮かび、
「芸人が禁煙なんて」
と訳の分からない言い訳を自分にしてプカプカ吸っていた。
それが今回は禁煙が苦しくない。
無意識に体がタバコを拒否しているのか?
それにしても病院の夜は早い。
午後9時消灯。
前ならこれから飲みにいく時間である。
まったく動いてないというか動けないから疲れもないし、不安やイライラも出てきて眠れない。
あと、自分で寝返りもうてないので、床ずれ防止のために定期的に看護士さんが体の位置をかえてくれるのがとても申し訳なく思える。
隣のベッドのおっさんが、今、屁をこきよった。
あー、眠りたい。



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2014年05月08日

Fw:入院日記その10

2005年11月3日木曜日
ホント、大が出ない。
そのため彼女が便秘に効くというセンナ茶の、通常の倍濃いものを家で作ってきて飲ましてくれた。
数時間後に効果が表れるそうだ。
しかし出た時のことを考えると複雑な心境ではある。
トイレに行けない。
処理してもらわないといけないのだから...。
それはそうと、便秘の原因として、寝たきりで動いていないということが大きく影響しているらしい。
立って歩くことで腸の働きも活発になるのだそうだ。
しかし今の僕は立つどころか座ることさえできない。
腹筋が使えないため、何かにもたれないと座ることもできないのだ。
それから、足というのがこんなに重いのかとも初めて知った。
足に力を入れずに手で足を持ち上げようとする時、普段は無意識に腹筋などがサポートするから簡単なのだ。
胸から下が使えない今は、ちょっと足の位置を直そうとするだけで一苦労というありさまだ。
さてさて、今日もたくさんお見舞いに来てくれた。
まず、劇団ひとりがPSPを持ってやってきた。
これは暇つぶしにありがたい。
入院前日に二人で
「入院保険に入ったほうがええよな」
などと話していたことが、なんとも...。
それから彼はかなり前から小説を書いていて、もうすぐ出版されるらしい。
それもあって入院中になにか書くことをすすめられる。
とりあえずブログと日記は続けて書くことにしよう。
しかし、酒も飲まずに昼間っからこうして二人で話していると、彼が実家から布団を持ってきて、僕の下北沢の家にずっと居座っていた頃を思い出す。
タイムマシンの話や、もしも1億円あって24時間以内に使わなければいけないとしたら何に使う?とか子供のような会話をよくしていたっけ。
あと、おもむろに素っ裸になって、
「山崎さん、俺の体どうっすか?」
と、知らない人が聞いたら
「え?お前、そっち?」
って疑われるような馬鹿なこともコイツはよく言っていた。
あれこれ話していると母が来る。
うちの母はとにかくよくしゃべるオバハンで、ちょっと引き気味の劇団ひとり相手に自分の旅行話を無理矢理聴かせていた。
その二人の絵がとてもおもしろい。
1時間ほどして仕事に行った彼を見送った母は
「あの子は最近よくテレビ出てるね。『ひとり芝居』でしょ?」
とオバハンにありがちな間違い。
間違いを指摘するのもめんどくさいのでそのままにしておく。
さんざんしゃべって母は帰っていった。
そして夕方、上島竜兵登場。
デンジャラスの二人、土田晃之、有吉弘行の竜兵会幹部にノンキーズ時代の元相方白川を引き連れて、いや、みんなに連れられてきた。
土田が
「あれ?今日のTシャツは『THE END』じゃないんすか?」
...情報早いなぁ。
他のみんなも色々話して笑わしてくれるのに、上島氏は妙にそわそわして落ち着かない様子。
おかしなオッサンだ。
みんなが帰って、彼女も帰ってしまうと、にぎやかだった分さみしさが押し寄せる。
しんみりしているところへ看護士さんが来て浣腸をやると宣言した。
「か、浣腸ですか...」
断るわけにもいかず、動揺している僕の横でてきぱきと用意をする若い女性の美人看護士さん。
さっさとズボンを下ろされ、いざ浣腸。
しかしなかなか出ない。
するとその看護士さんはおもむろに指で...
数分後
「よかったぁ、山崎さん、出ましたよ」
「は、はい」
...なんか申し訳ないやら情けないやらで目をあわせられなかった。
仕事だから、プロだからでは片付けられないよな。
まさに白衣の天使、とても高貴な存在に感じた。



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2014年05月07日

入院日記その9

2005年11月2日水曜日
さまざまな検査の結果、脊髄以外はどこも悪くなかったらしい。
ほっと一安心。
ちゃうちゃう、安心できへんよ、下半身は全く動けへんねんから。
でも、脊髄、神経がやられると個々の器官や筋肉などが正常でも、こんなんになってしまうんやな。
それから、そもそもなんでこんな病気にかかったか主治医に聞くと、風邪をやっつけようとする抗体が間違って風邪を攻めずに正常な脊髄を攻撃してしまったらしい。
間違うなよ、抗体!
そんなボケはいらんねん。
で、なんで間違ったのかは原因不明らしい。
んー、これまでの無茶な生活のつけかな?
そうそう、今日の午前中、窓際のベッドが空いたので移動させてもらった。
南向きで明るくて気持ちがいい。
昼間、鼻エンジンの村田渚さんが、なぜか黒板消しを持って現れた。
「なんですか、なんか掛かってるんですか?病気の悪い部分を消すとか」
と聞くと
「あんま聞かんといて。いいボケが思いつかんかったから、とりあえず買っただけやし」
と照れながら言っていた。
それから二人で何時ものお笑い談義を始めた。
向こうはフォークダンスDE成子坂、こっちはノンキーズ、
それぞれ10年以上組んだコンビを解散し、いまはそれぞれ別のコンビを組んだ身で、
なんとか這い上がろうとしている。
そして彼も事故で入院していたことがあり、妙に共通することが多くて話もはずむ。
彼とは普段からちょくちょく飲みに行く間柄で、今回入院するきっかけとなった風邪も、
彼とつぶやきシロー、ホリプロのSマネージャーと遅くまで飲んだ翌日にひいた。
夕方、入れ替わりに太田プロの若手芸人が10人以上で押し寄せる。
常識ないんか、ここは病室やぞ。
ま、結構うれしかったんですけど。
末吉、インスタントジョンソン・ジャイ、ブラックパイナーSOS、360°モンキーズ、火災報知機、マシンガンズ、やまうば、いちばんのり、
...お前らコンビ名書くのめんどくさいわ!



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2014年05月06日

入院日記その8


2005年11月1日火曜日

熱はだんだん下がってきて、意識もしっかりしてきた。
しかし足は相変わらず動かない。
お腹から上の痺れは弱くなり、なんとか一人で食事もとれるようになった。
これは食べちゃダメとかないせいもあるのだろうが、メシはうまい。
残さず食べる。
それにしても、自力で食べられるってうれしいことだ。
他人に食べさせてもらうというのは情けなくなる。
しかしもっと屈辱的なことがある。
排泄の問題だ。
ちんこには管が通っておしっこを無意識の内に出し、パンツの代わりにオムツをはいている。
ちなみにその成人用オムツの名前は『アダルティ』。
なんやそのエロいネーミングは。
そんなことはどうでもいい。
とりあえず、おしっこは管を通って袋に溜まり、定期的に看護師さんが処理してくれる。
問題は大の方だ。
幸い?入院以来まだ出ていないのだが、それはそれで嫌なこと。
下剤を飲んでも効かない。
しかし、出たら出たで...。
自分で食べて排泄するという当たり前のことができない自分が歯痒い。


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2014年05月05日

入院日記その7

2005年10月31日月曜日
主治医が、やはり『急性散在性脳脊髄炎(ADEM)』だろうと言っていた。
今後の治療としてはステロイドによって炎症を抑えていくとのこと。
今日もまだ熱が下がらずずっとぼんやりしている。
そういえば昼間こんなことがあった。
先輩芸人のデンジャラスの二人に末吉、母、彼女が来てくれていたのだが、この深刻な状況になのに僕のベッドを囲んでクスクス笑っている。
少し不機嫌に
「どうしたんですか?」
と聞くと、
デンジャラスの安田さんが
「山崎、下、下」
と胸元を指した。
見ると、寝たきり状態で動けない僕のTシャツに
『THE END』
とプリントが。
「笑い事ちゃうやろ」
と弱弱しくつっこむも、自分でも笑ってしもた。
この状況にこのTシャツ、何たるタイミング!
笑いの神が降りた。



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2014年05月04日

入院日記その6

2005年10月30日日曜日
まだ38度を超える熱がある。
昨日同様、足はピクリともしない。
痺れも腰から胸の下まで。
足は痺れすら感じない。
彼女にインターネットで、昨日先生から聞いた
急性散在性脳脊髄炎(ADEM)
という病気について調べてきてもらった。
子供が日本脳炎の予防接種によって発症するケースが多く、そのためにその注射は中止になったらしい。
成人での症例はとても少なく、あまり詳しくは調べられなかったとのこと。
死の危険性はないのだそうだ。
でも、検査の結果、実はもっと重い病気と判明したら...などと悪い事を想像したりする。
しかし幸か不幸か頭が朦朧としており、あまり深く考えずにすむ。
今振り返ると
入院してからこの日くらいまでは夢うつつの状態が続いていたので
あまり覚えていることが少ないですな。



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2014年05月03日

入院日記その5

2005年10月29日土曜日
ほとんど眠れないまま朝は看護婦さんに手伝ってもらいながら相方の末吉、マネージャーなどに連絡。
脊髄のせいか、熱のせいか、それとも薬のせいかその後は寝たり起きたりを繰り返す。
あまり記憶がはっきりしないが、MRI検査やらレントゲン撮影やらをうける。
気がついたら点滴をしていた。
これも人生初めての経験だ。
そして再び恐怖の脊髄注射をうけることになる。
昨夜のあの激痛が脳裏によみがえるが、意を決して注射の体勢をとる。
今度は主治医となった、僕と同年代だろう女性の先生に打ってもらったのだが...
これが全く痛くない!
医者によってこんなに差があってよいのか?
医者って頭脳も必要だろうが、職人的な技術もかなり重要な職業だと実感する。
この注射の腕のよさで主治医の先生への信頼が生まれた。
それはさておき昨日病院に来るまでは動いていた足がピクリとも動かない。
足は触られても感覚もほとんどない。
痺れは腰から胸の下まである。
寝ている状態から上半身を起こすこともその姿勢を維持させることもできないために
一人でごはんも食べられない。
ちゃんと検査結果が出てないからはっきりとはわからないが
『急性散在性脳脊髄炎(ADEM)』
という病気ではないかという主治医の話を朦朧としながら聞く。



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2014年05月02日

入院日記その4

:

2005年10月28日金曜日(続き)


その後、肛門に指を突っ込まれて診察。
肛門に力があまりなく、これはちゃんと調べないとまずいということで、髄液をとることになる。
そう、脊髄に注射を打ってとる、めちゃくちゃ痛いと噂に聞くアレである。
逃げ出したい衝動にかられるが、もはや逃げられる足ではない。
で、まずは脊髄に麻酔。
これはこれで十分に痛い。
そして髄液をとる注射なのだが、その前に
「耐えられなかったら言ってくださいね。」
と先ほどの若い女の先生にやさしく言われるがそれが逆に恐怖を倍増させる。
『痛かったら』ではなく『耐えられなかったら』って...。
ゆっくり呼吸をして待つ。
「いきますよ」
「はい」
...ズブッ
...痛い、マジで痛い。
五寸釘を打ち込まれ、おまけにグリグリされているような、チクッではなくズンズン響くような痛みである。
なんのための麻酔やねん!
と叫びたくなるがぐっと我慢。
すると
「あれっ?」
という若い女医さんの声。
どうも髄液がうまくとれていないらしい。
また別のところにズブッ。
...涙が滲む。
「...おかしいな...」
そして、またズブッ。
それを数回繰り返す。
そこにまたもや先程の先輩医師が現れ、後輩の手際の悪さにイライラしている。
「違う...違うよ...あー、貸してみ、俺がやるよ」
最初からお前がやれよ!
俺は新人の練習台か!
心の中で怒鳴る。
だって口に出して医者の気分を害したら何倍返しされるかわからへんし。
先輩医師に代わり、なんとか髄液は採取できた。
痛みはさほど変わらなかったが。
検査結果が出るまでベッドに横になって待つ。
ここは救急患者が運ばれてくる部屋、そして金曜日の夜。
急性アルコール中毒で運ばれてきたのだろうか、おっさんがわめいてうるさい。
そのおっさんの狂ったような声が妙に不安感をかきたてる。
ベッドに横たわって1時間以上たったであろうか、先程の先輩医師がやってきた。
髄液の白血球が異常に多く、明らかに只の風邪ではなく、入院しないといけないとのこと。
「えっ?まいったなぁ、仕事が詰まってるんですよね。」
と言うと
「山崎さん、そんな次元の話ではないですよ。」
と諭された。
入院なんてまるで頭になかった。
明日、専門の医師がくわしく診察するらしい。
朝になったらマネージャーに連絡して、今日からの仕事をキャンセルしてもらうしかない。
しょうがないけど、
正直、仕事が出来ないのがもったいないと思った。
金が入らない。
入院の承諾をしたあと、ベッドから起き上がってレントゲンを撮りに行こうとする。
しかし歩けない。
それどころか一人で立つことすらできなくなっていた。
あれ?俺はどうなったんや?
生まれて初めての感覚にかなり動揺した。
なんとかレントゲンを撮影後、ストレッチャーという移動式のベッドに乗って病室へ。
時計見ると午前4時を回っていた。
俺、どうなったんや?



今振り返ると初めての体の大異変に、どこか自分の事と思えなかったですわ。
病室で看護士さんに
「お名前は?」
「ここはどこですか?」
「今は何月?」
などを質問されたのも印象的。


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2014年05月01日

入院日記その3

2005年10月28日金曜日
熱も下がらぬまま仕事へ。
今日のイベントは横須賀のパチンコ店である。
足の痺れもひどくなり、歩くのもフラフラでままならない。
そしておしっこも相変わらず出ない。
薬局で新しい風邪薬を買い、休憩中は横になるも具合は悪くなる一方。
イベント中、通路に積んでいるお客さんが出したパチンコ玉を何度もよろけて倒しそうになる。
だが、それだけは気力で阻止した。
絶対とんでもなく怒られると思ったから。
午後7時頃仕事終了。
手摺りにつかまり、這うようにして帰宅。
とにかく足がちゃんと動かず、うまく歩けないのだ。
そしてもう24時間以上、尿意はあるのにどんなに力んでもおしっこが全く出ない。
そのことがとても怖くなってきた。
症状をインターネットで調べる。
しかしどんな病気なのか見当もつかない。
これはさすがに病院に行かないとまずいだろうと思い、午後9時過ぎ、赤羽橋の東京タワーの麓の病院の夜間救急へ彼女に支えられタクシーで向かう。
到着後、1時間以上廊下で診察の順番を待つ。
「早く終わって帰りたいなぁ。明日も仕事やし」
と彼女と小声で話していた。
名前を呼ばれて診察室へ。
症状を話し、血液などの検査。
そしてちんこに管を挿して溜まったおしっこを抜くことになる。
覚悟はしていたが、怖い。
管の太さに恐怖が増す。
医者は女性でかなり若いが、羞恥心どころではなかった。
目を閉じて、その医者の処置を見ないようにし、まるで乙女のようにベッドの上で震えていた。
そこに先輩らしき医者がやってきて
「ダメダメ、もっと太いのにして。」
気絶しそうになった。
結局2000cc以上も尿が出た。
通常一回に200〜300cc位らしいから、膀胱も爆発寸前だったであろう。
(続く)



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