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2014年07月02日

入院日記その66

2005年12月28日水曜日

今日で年内の病院の通常営業?が終了である。
年末年始は外泊するもよし、病院にいるもよしということである。
30日と明けて2日はリハビリ室が開くということなので、今日の夜彼女に迎えに来てもらい、30日にリハビリだけ来て2日に戻って来ることにした。
午前、午後のリハビリとものんびりな感じ。
数日前までの年内退院という目標がなくなったせいだろう。
1日でも早く退院したいが、まあいっか。
年明けに病院に戻るまではゆっくりするか。
夕方、導尿セットを揃えたり帰宅の準備をしたりして彼女を待ち、夕食後タクシーで彼女のマンションへ帰る。


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2014年07月01日

入院日記その65

2005年12月27日火曜日

入院60日目を迎える。
今日は僕の担当のリハビリの先生が休みのため、別の先生に見てもらう。
その先生いわく、足の筋肉をつけることも大事だが、それより腹筋、背筋などの体幹と呼ばれる体の中心部をしっかりさせることが安定した起立姿勢、歩行につながるということだった。
僕の場合お尻の筋肉がついてないとのこと。
そして、これは最近思うのだが、筋肉をつけることよりそれをうまく使えるようになれば
少々筋力が弱くても大丈夫なのではないか?
難民のガリガリの子供が走っている姿を思い出してそう考えた。
夕方デンジャラスの安田さんが来てくれた。
一緒にゲームしたり、何のことは無い話をしたり。
楽しい時間だった。
こういうのが『よいお見舞い』なのではと、帰ったあとに思った。
昨日来てくれた有吉や劇団ひとりが一番近い後輩なら安田さんは直近の先輩だ。
普段は先輩風を吹かすような人ではないがいざという時に頼りになる。
劇団ひとりがコンビを解散した時もちょっとゆっくり休んで考えてから活動再開すればという意見の中、とにかく休まないでピンでやれることをやれ、休むと復帰することが難しくなる、とアドバイスをしていた。
それが今の活躍につながっているのではと思う。
僕も相談に乗ってもらう時がありそうだ。


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2014年06月30日

入院日記その64

2005年12月26日月曜日

昨夜も何度もオシッコに起きた。
寝る前に導尿してるんやけど...
午前6時起床。
隣のいびき男がいなくなってから、前よりよく眠れるようになった。
病院のリズムに慣れたのもあるだろうが。
これでオシッコの心配さえなければいいのに。
リハビリでの歩行練習では膝に力が入らず、足を踏み出すたびにガクンガクンなる。
午後、病院の事務の人と主治医の先生とにリハビリ病院の話を聞く。
脊髄の炎症はほぼ治っているので、専門の病院でしっかりリハビリをした方がよいとのこと。
まだまだ質、量とも上げたリハビリをしないと元には戻らないのだ。
また、金銭面も転院しても高額医療免除の制度は適応されるから今の入院費より馬鹿高くなることはないそうだ。
これは重要なこと。
ちなみに先日下北沢から彼女の家に引っ越したので住民票も世田谷区から港区に移ったのだが、住民票が変わっても引越し前と後の医療費を合わせた金額が一定より高ければ高額医療費免除の対象になる。
これについては人によって言う事が違ったりして不安になったりしたが、心配はいらないようだ。
ということで年内退院という目標はあっさりあきらめることとなった。
しかし先生も、はっきり言えないのもわかるが、大体でいいからどれくらいかかるかを言って欲しいものだ。
この病気が症例が少なく珍しいからよくわからないということもその原因なのだろうが。
とりあえず墨田区にあるリハビリ病院を勧められたのだが、年明けてベッドが空いてからの転院になるので、それがいつになるかはわからない。
それにしても墨田区ってめちゃめちゃ遠いイメージがある。
そこだと今みたいにたくさんお見舞いには来てくれへんやろうな...。
そんな話のあと、有吉弘行が来た。
ちょうどのべ300人目のお客さまであった。
彼は来るたびに漫画を持ってきて以前のものと交換してくれる。
そしてその漫画にハズレはない。
入院したてで下半身が動かない僕に、車椅子バスケの漫画『リアル』を持ってくるという
滅茶苦茶なチョイスをしよったが、正直、ハズレではなかった。
それからアイツは一体何度病室に来てくれたか。
こいつこそ、がんばれなんて励ましの言葉は一度も言ったことはないが
無言の優しさを感じる。
猿岩石でヒッチハイクの旅に行く前からよく一緒にいたのだが、気持ちを言葉でなく
行動で、背中で伝えるような、なかなか男前な奴である。
さて今回は『ストッパー毒島』『黄金のラフ』(どちらもおもしろくて一気に読んだ)と交換に『大きく振りかぶって』という高校野球漫画を置いていってくれた。
楽しみだ。


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2014年06月29日

入院日記その63

2005年12月25日日曜日

オシッコがマジでうっとうしい。
導尿をしないとすぐに尿意をもよおし、しかし少ししか出ない。
そして、1時間もしないうちにまたしたくなって...この繰り返し。
今日も病室で彼女と『24』を見ていたのだが、途中何回オシッコしたか。
もっと導尿の回数を増やした方がよいのかも。
それには導尿に早く慣れて、上手にできるようにならないと。
オシッコが煩わしいからといって水分摂取量を減らすのはよくないらしいし。
そして今日は初めて一人でシャワーを浴びることができた。


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2014年06月28日

入院日記その62

2005年12月24日土曜日

昨夜一人で導尿をした時、膀胱から尿道にかけてとても痛くなり途中でやめる。
どこか傷をつけたりしてしまったのかも。
しかし今朝恐る恐るカテーテルを尿道に入れると何の痛みもなかった。
なんなんだ?
今後も慎重に清潔にやらないと。
そして朝食後にオシッコを出やすくする薬を服用することになる。
素人考えで、これによっておねしょをしやすくなってしまうのでは?
と先生に聞くと、そういう心配はいらないとのことだった。
午前のリハビリで初めて歩行器を使って歩いた。
赤ちゃんが使っているものの大きいサイズのである。
まだ数メートルをゆっくり進むことしかできないが、また一歩進歩した感じである。
さて今日はクリスマス・イブ。
病院の1階にあるセブン・イレブンでケーキを2個も予約していたので、
彼女と病室でガツガツ食べた。
これは忘れられないクリスマスになるだろう。
その後、インスタントジョンソンのゆうぞうにもらった『24』のDVDを二人で見る。
ふいに彼女への感謝と申し訳ない気持ちが大きくなる。
意識してないつもりでもクリスマス・イブということがより感傷的にさせているのかも。
退院したら彼女へのこの気持ちは形にして渡したい、と思った。


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2014年06月27日

入院日記その61

2005年12月23日金曜日

こんなに長く寝たのはいつぶりだろうか、たっぷり8時間は眠った。
入院してからはもちろん、入院前もあまり熟睡できてなかったし。
とてもすっきり起きた。
朝食と昼食をかねて、すっかり食べられるようになった納豆を食べる。
ダラダラ過ごして午後3時にタクシーで病院に向かう。
昨日もそうだったのだが、タクシーのトランクにはギリギリ車椅子が入らず、それも一苦労。
といっても僕は見ているだけで何も出来ず、彼女と運転手さんが大変なのだが。
病院へは東京タワーが正面に見える道を直進するのだが、タワーがはっきりと近くに大きく見えるようになるにつれて、
「また病院生活か」
と憂鬱な気持ちも大きくなる。
いやいやあと少しや、リハビリがんばろう。


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2014年06月26日

入院日記その60

2005年12月22日木曜日


昨夜はとても眠く、気づいたら寝ていた。
しかしオシッコが気になって1,2時間おきに起きていた。
いよいよ今年もあと10日。
目標の年内退院は厳しそうだが、日に日に良くはなっている。
とにかくあきらめずにあと10日、正確に言うと病院が通常営業?している28日までに
結果を出さないといけない。
あと1週間か...。
さて、今日は3度目の外出、そして初の外泊の許可をもらっている。
毎年恒例になっているダチョウ倶楽部のクリスマス・ショーが品川プリンスホテルで今日開催され
「気晴らしに見にきたら?」
と竜兵さんから誘われていて、終了時間は消灯後だし練習も兼ねて彼女の家に外泊もすることになったのだ。
午後のリハビリ終了後、外出の準備をしていると元太田プロ、現ナベプロのにしおかすみこが来た。
前にも何度か来てくれたのだが、その時も今日も自分のネタの相談を持ちかけて帰っていった。
多分気を使わせてるんやな。
男も女も関係なく優しい言葉をかけないのが芸人の優しさだったりするな。
夕方、マシンガンズ滝沢とゲソ太郎に車椅子を押してもらい、タクシーの乗り降りも手伝ってもらい品川プリンスへ。
会場に到着するとリハーサルの真っ最中だった。
しかし僕に気づいてリハを中断し、ダチョウ倶楽部3人揃って歓迎してくれる。
ちょっと感動してしまった。
車椅子用のトイレが見つからず、導尿するのが面倒で自尿をしたら、やはり少ししかでないために本番までに5回もトイレに行った。
仕事終わりで彼女も来て、一緒にライブを楽しませてもらった。
それにしても生の舞台は迫力が違う。
約2ヶ月も病院生活をしているとなおさらである。
新ネタっぽいのもあって3人のすごいパワーを感じた。
終演後はホテル内でちょっと上品な打ち上げにも参加する。
スタッフや芸人もたくさんいたのだが、3人と偉いさんのテーブルでリーダーと竜兵さんの間に車椅子で座らされる。
そして『くるりんぱ』と大きく書かれた、普段は絶対かぶれない帽子をもらい無理矢理かぶらされた。
その姿は大好きな野球選手に
「僕、病気と闘うからホームラン打ってね」
と言う病気の子供、ダチョウ倶楽部版のようであった。
それにしても、竜兵さんがいちいちつまみを食べさせてくれるのはまいった。
手は動くっちゅうの。
帰りはタクシーまで竜兵さんが車椅子を押して、みんなで見送ってくれた。
これからいつもの居酒屋『野武士』あたりに行くのだろうか。
うらやましいけど正直かなり疲れていた。
マンションに着くと彼女が悪戦苦闘して僕をタクシーから降ろして車椅子に乗せ、風呂にも入れてくれた。
部屋の風呂は狭いので入るのはかなり大変である。
家での初導尿をなんとか済ませ、ふとんに入った。
2ヶ月ぶりの外泊だが、感慨にふける間もなくすぐに眠りについた。


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2014年06月25日

入院日記その59

2005年12月21日水曜日

昨夜も少し漏らした。
何?この日記!
おしっこ日記やんけ!
とはいえ、結構切実なわけで...。
尿意を感じて午前1時頃目を覚まし、車椅子に乗ってトイレに行こうとしたら急に我慢できなくなって...。
ホンマ俺の膀胱、やりたい放題やな。
もう一度寝て午前6時起床。
毎日朝食後に飲んでいた、脊髄の炎症を抑えるステロイドが今日から無くなる。
最初10錠服用していたのが少しずつ減っていき、ついに無くなった。
炎症はほぼ無くなっており、あとは自然治癒にまかせるとのこと。
これからはとにかくリハビリだ。
それと神経に病気になる前の動きを思い出せる。
どんな動きも意識を集中させてていねいに行いたい。
リハビリや!


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2014年06月24日

入院日記その57

2005年12月20日火曜日

午前4時、目を覚ますとまたオネショをしていた。
本当もう最悪。
眠気も一気に覚めた。
「こんなんなら管を通しておいたほうがマシやんけ」
と、つい思ってしまうが回復の過程なんだからしょうがない。
それにしてもプライドみたいのを傷つけられる。
漏らしたことを看護士さんに言うのが特に嫌だ。
向こうはなんとも思ってないのだろうが。
そして僕の安眠を妨げ続けた隣のベッドの二代目いびき男が明日違う病室に移るらしい。
よかった。
この初老の二代目は初代に比べてパワーアップしたいびきをかいていた。
そして毎日夕方になるととても上品な物腰の奥さんがお見舞いにやって来ていたのだが、奥さんのいない時は若い看護士に甘え、口調が変わっていた。
夜、ものすごいいびきに悩まされる度、奥さんに看護士へのデレデレぶりをちくったろかとも思った。
しかしあの奥さんは二代目いびき男と結婚してからずっとあのいびきを隣で聞いてきたはずである。
どうやって乗り越えてきたのだろう?
それが不思議だ。
ともあれ、地獄も今夜まで。
初代の時のようにもう戻ってきませんように。
夜、劇団ひとりがふらっと病室に来た。
少し話して帰っていった。
なんか物静かだったような。
病室やから当然か。
それにしてもアイツ忙しいのによく来てくれる。


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2014年06月23日

入院日記その57

20051219日月曜日
なんかオシッコのことがずっと気になっている。
CMで老人がオシッコが心配で外出が億劫になるというのがあったが、
わかるなぁその気持ち。
午後泌尿器科でオシッコがしっかり溜められるように膀胱をゆるくする薬をもらう。
今の僕の膀胱は排尿する力が弱いだけでなく、十分溜めることもできない困った奴なのだ。
そのくせたまにご主人様の命令なしに吐き出してしまう奴だ。
思いどうりに働かせたい。
夜、彼女に納豆を買ってきてもらう。
僕はいわゆる納豆大嫌い派の一人で、その匂いを嗅ぐのも嫌であった。
しかし下半身の筋力をアップさせたい今の僕は、豊富なたんぱく質を含む、大嫌いな納豆を食べることに決めた。
パッケージを開けるとあの独特の匂いが鼻につく。
ひるまずに見よう見真似でかき混ぜてご飯の上にかける。
糸を引くのがうっとうしい。
目をつぶり、覚悟を決めてかきこむ。
そして咀嚼。
...あれ?もう一口。
...あれ、あれ?
意外に食べられるやん。
ちゅうか、結構うまいんちゃう?
俺はこれまでなんであんなに頑なに納豆を拒否してきたのか?
ふいに子供のときは大嫌いだったらっきょ食べた20歳のころを思い出した。
今ではらっきょは大好物である。
大は言い過ぎか。
それか、回復途中の僕の体はたんぱく質を欲しがっていたから食べられたのかもしれない。
入院前は何度トライしてもできなかった禁煙が続いているのも病気の体がタバコを拒否しているからかもしれない。



今読み返してみると
この頃は完全におしっこに支配されてるなあ。
この後もこの状態が当分続く。



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2014年06月22日

入院日記その56

2005年12月18日日曜日

昨夜は2回もオシッコをする。
隣のベッドのいびきも相変わらずすごいし、まいった。
昼食の後つい寝てしまい、起きると右腰のあたりが濡れている。
オシッコを漏らしてしまった。
一応オムツをしているのだが意味なかったようだ。
なんでやろ?
いやぁ、へこむなぁ。
歩くこと、足を動かすことに集中したいのに排尿のことで憂鬱になってしまう。
煩わしい。
イライラしているところに、同室のおじいちゃんに対する看護士の馬鹿にしたような上から目線の口ぶりに腹が立つ。
「おじいちゃん、何時になるかわかんないけど先生がいらっしゃるから、ベッドから離れちゃダメだからね」
おいおい、どっちに敬語使ってんねん。
世の中にはタメ口をきくのがうまい奴がいる。
いつのまにか、初対面からさほど時間もたってないのにタメ口をきく。
なんなら年上の人に対してもタメ口をきく。
しかし嫌な気にさせないのだ。
逆に嫌な気にさせるようならタメ口などもってのほかだ。
その差はなんだろうか。
その人の人間性や、言葉の底に愛情があるかどうかによるのだろうか。
病院にはタメ口をきく資格がないのに使う奴が多すぎる。
そんな奴が敬語を使う時は、
相手が自分よりいろんな意味で上だと認識した時なのだろう。
タメ口をきくときはその逆ではないか。
病院には患者を下にみている奴が多すぎる。


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2014年06月21日

入院日記その55

2005年12月17日土曜日

今日で入院8週目に突入。
そしてあと2週間で今年も終わる。
今日は彼女と、大学時代の友人で不動産屋をしている友人に下北沢の部屋の受け渡しをお願いした。
敷金は半分くらい返ってくるらしい。
きのう自力で出たオシッコだが、今日も出るには出たが、1回に出る量はほんの少し。
で、すぐに尿意をもよおす。
これだと生活がずっとオシッコに支配されているようだ。
面倒だが導尿の回数を増やさないとダメだ。


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2014年06月20日

入院日記その54

2005年12月16日金曜日

うれしい事件が起こった。
それは午後のリハビリのあと。
浣腸をしてもらいトイレでふんばっていたら、不意に、出た。
オシッコである。
50日ぶりに自力で排尿できた。
人間として、動物としてこんな当たり前のことがこんなうれしいとは。
ただ、これで完全に排尿が正常に戻ったのではなく、導尿もしないと全部出きらないのだが。
というか自力ではほとんど出ない。
しかし確実に回復に向かっているのだ。
波に乗って年内退院まで一気に行きたい。
その時レッド吉田が来た。
ちょうどナイスなタイミング、このうれしい気持ちを聞いてもらう。
これからテレビ東京で収録だというのに、
オシッコの話ばかり聞かせてしまった。
申し訳ない。
そうそう、彼も先日うれしいことがあったそうだ。
正月特番で東京ドームで野球をして、なんとスタンドにホームランを打ち込んだそうだ。
すごい。
僕も来年は野球したい。
今年、竜兵会は1試合もしなかったから復活させないと。
入院中の筋トレにより、上半身は高校生の頃のようになっているから飛距離伸びるんちゃうやろか。


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2014年06月19日

入院日記その53

2005年12月15日木曜日

昨夜午前1時頃に尿意があって目が覚める。
看護士さんに手伝ってもらいながら導尿をすると800ccも出る。
寝る前に導尿したし、水分も摂ってないのだが。
多分その前に摂った水分が尿になったのが就寝後だったのだろう。
今の、排尿障害があるうちはこういう体の排尿システムも把握しておきたい。
そう簡単に把握できるものではないだろうが。
午前5時起床。
なんか体がだるい。
リハビリ中も眠いし、イマイチ気力がわかない。
風邪か?
昼食も食欲がなく、食べないとダメだと思ってもどうにも箸が進まずほとんど残す。
午後のリハビリまで少し寝たら急に元気になった。
なんだったのだろう?
とにかく風邪をひかないようにしたい。
まだ導尿に慣れていないのか、膀胱にある尿が全部出きっていない気がする。
エコー検査で調べてもらったらやはり残っていた。
横になって、看護士さんに導尿してもらったら全部出る。早く自分一人で完璧にできるようにしたい。


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2014年06月18日

入院日記その52

2005年12月14日水曜日

今回もだ!
昨日の外出の効果だろう、午前のリハビリで膝当てをせずに歩くことが出来た。
もちろんバーを持ってだが。
ヨボヨボだったが膝の力がつけばもう少し安定しそうだ。
終了後病室に戻り、三度目の脊髄注射で髄液を採る。
主治医の先生なら痛くないのはわかっていてもやはり怖い。
髄液を採った後は安静にしないとならないので1時間ベッドに横になる。
そこに昼食が運ばれてきた。
注射直後ということもあるだろうが食欲がわかない。
というか最近は病院の食事に飽きてきた。
入院当初は
「最近の病院食はうまい」
と見舞いに来た人にも言っていたが、どうも味がうすく感じてきた。
あと、東京で一人暮らしを始めて15年以上1日3食摂るなんてことは無かったから、この1月半は無理をしていたのかもしれない。
しかし
「この食事が筋肉、神経を再生させる」
と自分に言い聞かせて口に運んだ。
夜、彼女に髪の毛を染めてもらう。
なんかテンション上がる。
導尿は慣れないし面倒だが、年内退院の目標達成に向けて気を張って生活したい。


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2014年06月17日

入院日記その51

2005年12月13日火曜日

午前4時30分頃起床。
今日は引越しのために2度目の外出である。
導尿の回数を減らしたいので水分をあまり摂らないようにしたい。
午前10時に火災報知機の小林とゲソ太郎がレンタカーを借りてピックアップしてくれる。
ちなみにゲソ太郎は志村けんさんの元運転手で、でっかい車を何年も無事故で運転しているので安心できる。
前回の外出に続いて、快晴の東京は気持ちいい。
下北沢のマンション前に着くとすでに末吉と後輩達が作業にはいってくれていた。
もう部屋はほぼ片付いている。ありがたい。
車椅子で区役所に行き、転出届を出したり、住民票が変わった場合の高額医療費の払い戻しの説明を受ける。
心配はなかった。
その後宅配ピザを食べつつ皆でトーク、たまに作業みたいなペースで夕方まで過ごす。
その間一度だけ末吉に見てもらいながら導尿をする。
ちゃんと出来たが、相方のオシッコの手伝いをするなんて、末吉にしたら堪ったもんじゃなかっただろう。
宅急便で荷物を実家と彼女の家に送り、暗くなった頃部屋を出る。
これにて7年間住んだこの部屋ともおさらば。
そしてグッバイ下北沢。
思い出多い街でした。
病院に戻ると前回の外出時同様すごい疲れが出たが、これまた前回同様足の具合がよくなっていることを期待したい。


今振り返ってみると
この頃は人前でチンコを見せることに全く抵抗がなっかたな。
そして
やっぱり下北は今でも好きな街ですわ。


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2014年06月16日

入院日記その50

2005年12月12日月曜日

今年もあと20日。
どんどん回復のピッチをあげていきたい。
午前のリハビリ、足の動きがとても良くなっている。
「ええで、ええで」
元阪急、日ハム監督の名将・上田節も出るというものだ。
そこで、いつもは膝に装具みたいなものを巻いて立つ練習をしているのだが、それをつけずにバーを持って立ってみる。
そっと車椅子から立つのだが、やはり膝の力がまだ弱く、怖い。
チャレンジできる状態になったということでよしとしよう。
そして夕方、泌尿器科へ。
入院以来つけていた排尿のための管をはずす。
そして先生に手伝われての初導尿。
怖かったし、痛そうだったがそれほどでもなかった。
しかしこれを一人でやることができるのか?
その後憂鬱なMRI検査。
今日は1時間半くらいもかかる。
相変わらずしんどかった。
夜、何度か看護士さんに見てもらいながら導尿。
なんとかできるのだが、明日の外出が心配だ。
病室のようにやりやすい状況ではないのは明らかだし。
看護士さんもいてへんし。
ちょっとはずかしいけど後輩に手伝ってもらおう。
後輩も嫌がるだろうが。
とにかく衛生面だけ注意しよう。
消灯後、ベッドで横になっていると、オシッコの管を取ったのに、なんか入っている感じがする。
45日も入っていたのだからそれも仕方ないか。
それにしても管が無いから動きに制約が無くなったのがうれしい。
また一歩回復だ。


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2014年06月15日

入院日記その49

2005年12月11日日曜日

明後日に下北沢の部屋を完全に引き渡せる状態にするための外出の許可をもらう。
意外に簡単に許可してくれるので少しびっくり。
ただ、ステロイドを服用していると抵抗力が弱まるので、風邪をひかないように注意しろと言われた。
そしてその外出にあわせて、明日泌尿器科でオシッコの管をはずし、導尿に移行する。
その導尿の手引きをもらい、予習する。
1手をきれいに石鹸で洗い
2手とチンコを消毒
3カテーテルにゼリーを塗り
4尿道に挿入
...こんなこと自分ひとりでできるん?
導尿の不安を解消するための手引きをもらったのによけい不安になる。
膀胱とかにばい菌が入りそうで怖い。
ま、そんなこと気にしている暇があったら筋トレでもしていよう。



今となっては
この時こんなにビビっていた導尿も難なく済ませ、痛み止めと潤滑のためのゼリーも塗らずにできている。
カテーテルは僕の友達。


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2014年06月14日

入院日記その48

2005年12月10日土曜日

昨夜も隣の二代目いびき男の爆音に悩まされていたのだが、昨日からやってきた斜め向かいのオッサンからも
「グワアアアア...」
と、呼応するかのように、輪唱をしているかのようにいびきが聞こえだした。
ここは蛙の歌のモチーフか!
そして入院7週目が始まる。
午前のリハビリの前に、軽い床ずれを起こしていた箇所を診てもらう。
もうすっかり治っているらしい。
前より楽に自分で体の位置を変えることができるようになったせいもあるのだろう。
今日のリハビリの時、左足に比べて右足の方が動きが悪いし、重く感じる。
入院して気づいたのだが、僕は足を投げ出して座った時に右足だけ外側に向いてしまう。
また、以前から腰が痛くなる時は決まって右腰だった。
右足のほうが回復が遅いこととなにか関係があるのかな?


今読み返してみると
現在も右足の方が動きが悪く、つまづく時も大体右足。


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2014年06月13日

入院日記その47

2005年12月9日金曜日

僕の病室には5人の患者が入っているのだが、ついに僕が最も古株になってしまった。
そんな僕の病室は入れ替わりが結構あるのに、必ずいびきがでかいオッサンがやってくる。
しかも僕の隣に。
文句をいうわけにもいかず、イライラばかりが大きくなる。
対抗策として数日前から耳栓をしている。
これが眠りに誘ってくれるのだが、いつも寝ているうちにはずれていてまたいびきで起きてしまう。
そして真夜中にムシャクシャして大声を出したくなる。
あー、ストレスで別の病気になりそう。
午後のリハビリの後、泌尿器科へ行く。
膀胱に二酸化炭素を入れて検査をする。
尿を出す力を調べたのだが、通常の半分以下の力しかまだ出ていないとのことだった。
しかし来週頭には管をはずして『導尿』というのをやろうと泌尿器の先生に言われた。
これはオシッコをする時、カテーテルを自分で尿道に挿して尿を出すことなのだ。
聞いているだけで痛そうだし、消毒とかも大変そうで、正直不安だ。
小学生でもしている子がいるそうだが...。
まぁ、ずっと管を通してオシッコを溜める袋をぶらさげているわけにもいかないのでしょうがないのだが。


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2014年06月12日

入院日記その46

2005年12月8日木曜日

ベッドと車椅子の移動をひとりで出来るように練習をし、安全に出来たので、今日からひとりで移動がOKになる。
これは精神的にとても開放された。
というのも、これまではちょっとベッドを離れて談話室などに行くときにもナースコールを押していちいち看護士さんに手伝ってもらっていた。
そのことに気が引けてしまって、一回車椅子に乗せてもらったらできるだけベッドに戻らないようにしていた。
それに、一度だけ、忙しい時だったのか、露骨に嫌な顔をした人がいて、
それはもう腹立つわ、自分が情けないわで非常に不愉快なこともあったし。
とにかく、一歩前進。
歩けへんけど。そして午後のリハビリの時のことなのだが、
自分一人で靴をぬいだり履けたりできるように知らずになっていた。
確か一週間前には出来なかったから、これまた一歩前進だ。
歩けへんけど。
夕方は担当の看護士さんと話をしていて、車椅子の乗り降りが一人でできるようになったから排便時もトイレに行ってできるのではないかということで、便器への移動に挑戦。
出来た。
これも大変うれしかった。
これでベッドの上で看護士さんに手伝ってもらっての排便という、最も憂鬱な時間から解放される。
まだ浣腸は必要かもしれないが、トイレで出来るというのはえらい違いだ。
これも一歩、いや三歩くらい前進かな?
よし、歩いてトイレ行けるようになるぞ!


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2014年06月11日

入院日記その45

2005年12月7日水曜日

あと25日で今年も終わる。
目標の退院はできるのか?
...地道にリハビリをするしかないか。
しかし今日のリハビリでも大きな変化はなかった。
リハビリの担当の先生が代わったので、今後どういう風にしていくかを話す。
今の段階で下半身に負荷をかけるより、しっかり動かすことをがんばっていこうとのこと。
僕は午前と午後にリハビリ室に通っているのだが、やはりというか、老人が多い。
まあ、この高齢化社会、それは別に文句はないのだが、中に厄介なお年寄りがいる。
わがままな老人ではない。
それは『良くなる気のない』老人だ。
だって良くなるためのリハビリなわけでしょ?
その気がなかったら意味ないと思うんですけど。
...でも、晩年は呆けて亡くなった自分の父親のことを思い出すといちがいには言えへんのかなぁ。
誰かが無理してでも患者を動かすことによって寝たきりになってしまうのを防ぐこともあるだろうし。


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2014年06月10日

入院日記その44

2005年12月6日火曜日

今日のリハビリでは目立った変化はなし。
そして明日から僕の担当のリハビリの先生が変わるらしい。
毎日何人もお見舞いに来てくれているが、今日は彼女ひとりだけ。
なんか当たり前になっているが、彼女は仕事が終わると毎日来てくれる。
洗濯物を持って帰って、洗って持ってくる。
欲しいものを持って来てくれる。
ふと、もしも彼女がいなかったらと思う。
どうやって入院生活を送っていたのだろうか?
どんだけ寂しかったろうか?
想像しただけでまた具合が悪くなりそうだからやめる。
彼女の気持ちはどんなだろうか?
仕事で疲れたあとに病院に来て看病する。
そして面会時間終了後、世間は浮かれている年末の寒い夜道をひとり帰宅する。
冬が大嫌いな僕なら、それだけでも憂鬱になるだろう。
ましてやこの状況でのひとりぼっちの帰り道....
感謝してもしたりないのに、言葉に出来ずにいる。
照れ臭いとか言うてる場合じゃないんやけど...。
そして今日は面会時間の後、下北沢の僕の部屋に行って引越しのための掃除をしに行ってくると病室を出て行った。
ありがとう。ここに書いているだけではダメやな。


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2014年06月09日

入院日記その43

2005年12月5日月曜日

今日のリハビリでも立つ、歩く練習をするがうまくできていない感じであった。
足の裏に力が入らず、地面をしっかり踏みしめていないような感覚であった。
それだけで落ち込んでしまう自分がいる。
昨日より少しでも進歩していないとこうだ。
しかしこうやって日記を書いていて思うのだが、書いている瞬間は前向きに、ポジティブ・シンキングでいようと考えていても、ほんの数分後にネガティブな思考に支配されていたりする。
何冊か闘病記らしい本を読んだことがあるが本当にずっと愚痴も言わず、他人を妬んだり羨んだりをしない、本の中にいるような病人て本当にいるんかな?
そんなできた病人、信じられないんですけど。
アカン、アカン、また後ろ向き出してきた。
よし、気分転換に土田晃之が持ってきてくれたが放っておいた『機動戦士ガンダム』でも観るか。


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2014年06月08日

入院日記その42

2005年12月4日日曜日

午前4時起床。
日曜日だけはリハビリが休みなので、昼過ぎまでに映画を3本も観た。
ところで、『膝が動いた』とか『補助してもらって立てた』とか、足の方は少しずつ回復に向かっている。
しかし、ぶっちゃけ、ここの機能の回復ぶりがとても気になる。
ザ・チンコである。
まずは排尿の機能。
いまだに管が通ったままで、無意識に排尿している状態だ。
そしてもうひとつの大切な機能。
やわらかく言うと『男』としての機能だ。
そう、やわらかいと困るのだ。
今はピクリともしないのだが、これが元気を取り戻した時、一気に回復の階段を数段飛ばしで昇ることになるはずだ。
ただ、心配なのは毎日看護士さんにソコを拭いてもらっているため、回復したら絶対意識してしまうと思うんですね、で、意識すると反応して...
二度目の思春期を迎えようとしている36才である。


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2014年06月07日

入院日記その41

2005年12月3日土曜日

今日も午前のリハビリで支えてもらい足に装具をはめて歩いた。
その距離3mぐらい。
昨日は素足だったのだが、今日は靴を履いてみた。
素足のほうが感触がよかった。
彼女が『高麗人参エキス』というものを数日前に持ってきてくれて、それから毎食後お茶に溶かして飲んでいる。
正直、まずい。
苦い。
それがいかにも効きそうな風に思えてしまう。
ちなみに説明書みたいのが付いているのだが、何に効くのかなんてどこにも書いてない。
つい最近、とある週刊誌で広告していた精力剤に精力増強には全く関係のないものが入っていたというニュースがあった。
しかし想像するに、それを飲んで精力回復した人もいるのではないかと思う。
暗示。
信ずるものは救われる、みたいな。
『ドラえもん』にこんな話があった。
いつも三振ばかりしているのび太はドラえもんに、どんなボールでも打てるバットをリクエストする。
のび太が打てないのは自信を持ってないからだけだと判断したドラえもんは、普通のバットを、四次元ポケットから出した魔法のバットだとウソをついて渡す。
そして見事ホームランを放つのび太。
そして僕は『高麗人参エキス』を今日も飲む。


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2014年06月06日

入院日記その40

2005年12月2日金曜日

昨夜、映画『ローレライ』をDVDで観た。
入院してから多数の映画を観ている。
その中で特別この映画が良かったわけではないのだが、ある台詞が妙に心に残った。
それは太平洋戦争中、潜水艦の艦長が部下に言うこんな言葉だ。
「(私は)自分以外の見えない何かに身を委ねて生きてきた。だが、お前たちは自分の目で、本当に大切なものを見極めて生きろ」
...自由に生きることの素晴らしさと難しさを考えさせられた。
病気を治すことに専念して入院している今より、退院してから、病気が治ってからが勝負なのだろう。
さて、今日の午前のリハビリでのこと。
なんと歩くことができた!
二人に補助してもらい、手摺りを持ってではあるがメチャメチャうれしかった。
立った感覚も、なんと言えばいいのだろう、地面を踏みしめている感覚というか、前より自分の力で立っている感が強くなった。
こんな体の変化が気持ちを鼓舞してくれ
「よっしゃ、やったるぞ!」
と、病気を治すことはもちろん、何事にも立ち向かう気持ちを強くさせてくれる。


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2014年06月05日

入院日記その39

2005年12月1日木曜日

師走がやってきた。
正月明けまでのこれからの1ヶ月は芸人が忙しいとされる季節。
世間的にもクリスマスもあるしで、どこか浮き足立っているのだろう。
こっちは、自分にとっては大きな目標である
年内退院に向けてリハビリに精を出す。
入院生活の中で、最も前向きになれる時間のひとつがリハビリをしている時である。
DVDを観ていても漫画や本を読んでいても、どうしても不安がよぎる。
「年内に退院なんて目標じゃなくて夢なんちゃうか?いつ治るんやろ?」
「だいじょうぶやろけど、ホンマにちゃんと治るよな?」
「金、足りるかな?足りても貯金0やな。」
そして入院とは直接関係ないのかもしれないが
「これからも芸人としてやっていけるかな?」
「彼女とはどうなっていくんやろ?結婚するんか、ていうか出来るんかな?」
「この先の人生はどうなっていくんや?」
...それらを打ち消すようにダンベルを上げる。
そして夕方、今日もたくさんお見舞いに来てくれた。
この時間は、きれいごと抜きでかけがえのない大切な時間になっている。
もうのべ200人以上の人が来てくれている。
その人たちに、悩みや不安をあからさまにぶつけることはないが、誰かと話していると弱気な自分が影をひそめてくれる。
どうしようもないことで悩まない、建設的に考える方向にむいてくれる。
でも消灯後一人になると、アカンとわかっていても後ろを向いてしまっていたりする。


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2014年06月04日

入院日記その38

2005年11月30日水曜日

午前4時、すっきり起床。
とても深い睡眠をとれたように思える。
今日のリハビリで感じたのだが、外出前より動きが格段によくなっている気がする。
昨日の引越し準備で、病院ではしない動きをたくさんしたからだと勝手に解釈している。
午後、主治医の先生から病気の経過説明を受ける。
前にも書いたが、脳にあった炎症は呼吸関係を司るあたりにあったのだが、それはきれいに無くなっているとのこと。
脊髄の炎症の方も順調に引いていっているので、炎症を抑えるために服用しているステロイドも減らしていくということ。
最初診た時には、炎症がひどかったので後遺症が残ったりするかもしれないと思ったそうだがその心配はほぼないといわれる。
『ほぼ』というのが気になるが...。
しかし
「これからどれくらいで治りますか?」
という質問には
「なんとも言えない」
という返答しかなかった。
先の見えない状態ではあるが、気持ちを強くもってリハビリをやるしかない。



今読み返すと
「後遺症の心配はほぼない」
の『ほぼ』が気になった、この時の嫌な予感が当たってしまった。
トホホ。。


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2014年06月03日

入院日記その37

2005年11月29日火曜日

今から二週間ほど前に
「この入院はもしかすると長引くかも」
と思い、さっそく長年住んできた下北沢の部屋を解約した。
そして本日、引越し準備のために外出許可をもらった。
昨夜降っていた雨も上がってくれた。
朝のリハビリでは外出で必要になるかもしれない、人に支えられながら立つ練習をする。
知人に車を出してもらい、
乗り降りには苦労したが、車椅子をトランクに積んで出発。
車窓から東京の街並みを眺めるだけでもいい気持ち。
テンションも上がる。
途中三宿のカレー屋で昼食。
普段の病院食は意外とおいしいのだが、やはり味は薄いし刺激が足りないなと実感した。
下北沢に到着すると、末吉をはじめ太田プロの若手芸人のみんなが迎えてくれた。
今日は『とんねるずのみなさんのおかげでした』のものまねオーディションだったらしく、それ終わりで手伝いに来てくれたのだ。
僕の部屋は3階にあり、しかもエレベーターが無いために足と肩をそれぞれ持ってもらって、仰向けの状態で運んでもらった。
が、服がめくれて腹は出るわ尻は出るわで情けなかった。
普通にオンブしてもらったら良かった。
大騒ぎしながらの楽しい引越し準備であった。
それにしても助かった。
みんなの働きでモノとゴミの山の部屋があっという間に片付き、あとは細々とした手続き、掃除、それと荷物を彼女の部屋と実家に送るくらいとなった。
芸人のつながりって素晴らしいですな。
まあ、先輩風を吹かして無理やり来てもらったのだが。
感謝しております。
夕方、みんなで飯を食いに行った。
御礼のつもりであったが、人数が多すぎたためファーストフードで勘弁してもらった。
いつか返します。
情けない先輩ですいません。
夜、車で病院にもどる。
あんなに楽しい時間であったからベッドの上では寂しくなるであろうと思ったが、疲れがドッと出て午後10時くらいには眠くなった。


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