オフシーズンは大展望台:ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017年05月14日)

「地域を一望出来る高い場所」ということに関しては、好き嫌いも在るでしょうが、殊に「余り訪れる機会も無い場所」を訪ねた時には「一寸寄ってみたい」という気持ちが沸き起こるような気がします。方々に"しろまるしろまるタワー"、"しろまるしろまるビル"、"しろまるしろまる展望台"というようなモノが在って、色々な場所でそういう場所を訪ねた思い出が在る方は多いと思います。

ユジノサハリンスクでは、眺望の好さが知られる"しろまるしろまるタワー"や"しろまるしろまるビル"という程のモノは在りません。しかし「街の様子を眼下に一望」ということが出来る場所は在ります。

↓天候が好いと、こういう具合に拡がる市街が視えます。
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↓市街の反対側では、街を囲むようになっている山地を覆う森と、画で言えば右端側になりますが、微かにアニワ湾が視えます。
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この場所はユジノサハリンスク市内のスキー場、<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>です。<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>は「山の空気」という程の意味ですが、山の上の方へ上がってみると「多少、空気感が変わった?」と思わないでもありません。

↓<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>は大聖堂が聳え立っているパベーダ広場の真上のような場所に在ります。
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↑何か「巨大な怪獣が登場する映画」を撮る場合に使う「模型」でも眺めているかのように街が視えます。

この大展望台のようになっている場所へはゴンドラで上がります。

スキーシーズンには定休日の月曜日以外は毎日のように朝から夜まで動くというゴンドラですが、オフシーズンにも動きます。オフシーズンのゴンドラは、金曜日の12時から19時、土曜日と日曜日の10時から20時に動いています。その他、祝日等に動かす場合も在るようです。

麓の発券窓口で300ルーブルを払うと、ゲートに出入りする際に使う赤いカードを渡されます。それを使って、2つのゴンドラを乗り継いで頂上に至ります。

頂上では賑やかに音楽が鳴っていましたが、カフェが営業中で、好みの飲物を求めてゆっくりと市街の眺望を楽しみました。

↓真下のようなパベーダ広場の側から右側、少し北寄りに目を転じると<北海道センター>やロシア正教の教会が手前に在って、州政府の入っている大きなビル等も在るコムニスチ―チェスキー通も見えます。
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↓頂上から下りて、ゴンドラの「乗り換え」をすることになる周辺も展望スペースになっています。
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↑設置されている看板によれば、施設では「1960年にスキー場の整備に着手」の故事を「<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>の起源」と考えているようです。

↓高さが変わると、パベーダ広場周辺の見え方も少しだけ変わる感じです。
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↓広場の辺りでは正しく「仰ぎ見る」感じである、最も高い場所が57mにもなるという大聖堂も、手が込んだミニチュアを見下ろしているような具合に視えます。
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パベーダ広場が在るような辺りは、ユジノサハリンスク市内では「都心区域の一画」と受け止められていますが、そういうような地区に「スキー場」というのは少々驚くべきことかもしれません。

スキーシーズン以外ですが、<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>は展望台的に親しまれている他、所謂「エクストリーム系」な活動―例えば自転車で急な坂道を駆け下りるようなこと―をする人達にも人気が在るようです。

それにしても、天候等の条件に恵まれた上で、ゴンドラが動いている時間帯に自由に動けるのであれば、<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>からの眺望は「忘れがたいもの」になるでしょう。

ネベリスクのトド(2017年05月06日)

ネベリスクは"市章"にトドを描いているように「沿岸にトドが居る」ことが知られている街です。

話しとしては何度となく聞いていて、道路の脇で「あそこがトドの居る場所で...居た!動いている...」と視掛けたことは在りましたが、多少ゆっくりと眺めてみたことは在りませんでした。

そこで休日を利用し、ユジノサハリンスク・ネベリスク間を都市間バスで往復し、少し眺めて来ました。

ネベリスク地区行政府庁舎が在るような辺りを南側へ進み、新しい教会が在る辺りを越え、"レーニン通"という住所表示が何時の間にか"ベゴバヤ通"という表示に切り替わるような辺りで、「少し大きく張り出した砂浜」のようになっている場所が在ります。

その砂浜で、普通に歩いて差し支えなさそうな場所を海の側へ進んで行きます。散策している人達や、テントを張ってお弁当を広げているような人達も視えましたから「特段に支障は無かろう」と考えられる場所です。

↓やがて離岸堤のようになった箇所に、トドの群れが蠢いているのが判りました。
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↑数は数え悪い感じです。デジタルカメラの望遠にして、少し様子を眺めていました。

海辺の風に乗って、微かにトドの群れが発している声音が聞こえてきます。この画には写っていませんが、辺りを海鳥が飛び回る場面や、トドの一部が「ドボン!」と海に飛び込む場面も視えました。

筆者は「全く初めての国外訪問」が、ネベリスク訪問を目的としたサハリン渡航だった訳で、ネベリスクとはとりあえず「実に永い付き合い」なのですが、然程の時間でもないとは言え、気が済むようにトドを眺めたのは初めてでした。稚内でも見受けられるアザラシと、広い意味では仲間ということになるトドですが、アザラシよりも格段に大きな動物であることが遠目でも判ります。

ロシア全土の中で、サハリンが"島"であることは「際立った特徴」ということになり、サハリンの人達は「地域」を示す代名詞のように"島"という表現を多用します。そういう"島"なので、アザラシやトドのような海獣は「地域を代表する独特な動物」という大きな存在感を有している様子です。そんな動物が、日本の用語で言う「港湾区域の一隅」に居るネベリスクです。

ネベリスクの皆さんが大切にしているトドですが、これは一見の価値が在ると思いました。

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>

2015年9月、「酷く壮大な建築が...」と驚いたのが<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の工事現場でした。

↓最も高い箇所が57m―20階建のビルに比肩するような高さ―になるという建築で、「祈りが神のもとへ昇る」という意味が込められた「蝋燭の炎」を象ったモノであるという、「クーポル」と呼ばれる5個の屋根が組み合わさった独特な姿に驚かされました。
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(2015年9月撮影)

この<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>は2016年に竣工してオープンとなりました。

↓何時の間にか「街の風景」として、少しずつ「目に馴染んだモノ」になっている感です。辺りが広場の様になっていて、休日には人通りも増えるので、コーヒーを売る車が登場していました。車は、平日に事務所の近くで視掛ける車と同じチェーンのモノでした。尚、画の左側に戦車が在って、大きな建物が見えていますが、これは<戦史博物館>とのことです。一度、2016年9月頃に仮オープンしたのですが、直ぐに閉まって「内装工事中」となっているそうです。
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(2017年5月撮影)

この<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>は、少し略して<キリスト生誕記念主教座大聖堂>と呼びならわされているようです。

サハリン到着後、直ぐにでも訪ねてみたかった場所ですが、到着直後に「やや時季外れ(?)な雪」で動き悪くなってしまい、少し間隔を開けてから訪ねてみる型になりました。

↓好天の朝の、屋根が輝く感じです。
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(2017年4月撮影)

↓夕刻の西日の中での、屋根の感じです。
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(2017年5月撮影)

こういうように建物の外観が素晴らしいので見入ってしまうのですが、オープンから日が浅いにも拘らず、建物正面に足場が組まれていたり、周辺整備工事のようなことをやっているので「入れない??」と思い込んでしまいました。しかしそうではありませんでした。「8時から19時」が拝観・参拝を受け入れる時間となっています。特段に定まった拝観料が発生するのではありませんが、随意に寄附をすることは受け入れられます。

↓分厚く重い扉を2枚潜って中に入ってみます。中は天井や側面から存外に外光が入るようになっていて、何となく想像していたより明るい感じでした。多数の"イコン"が壁一面に見事に飾られています。
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(2017年5月撮影)

"イコン"は"聖像"とも言って、ロシア正教など"正教"の用語です。イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事や挿話、教会史上の出来事等を題材に描いた画です。

この<キリスト生誕記念主教座大聖堂>の、見事な聖堂の下に相当するフロアに、ロシア正教関係の色々なモノや書籍等を売っている場所が在ります。そこで係の方にお尋ねしたのですが、この聖堂の"イコン"のガイド的な内容の資料、例えば「上から〇段目、右端から〇しろまる、次がしろさんかくしろさんかく...」と説明したようなモノは、聖堂が未だ新しいことから未だ無いようです。しかし、"イコン"になっている各聖人の事績等を伝える物語が綴られたロシア語の本は多々在るということでした。

"イコン"と言った場合、主に"正教"で言う"聖像"を指し示すようです。カトリックでもイエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事や挿話、教会史上の出来事等を題材に描いた画を用いるようですが、それらは"聖画像"と呼ばれているようです。

ロシア正教に関しては、永い経過が在るものです。ローマ帝国が東西に分かれ、キリスト教の総本部は西のローマと東のコンスタンチノープルとに分れました。西のローマは、その後"カトリック"となって行きます。東のコンスタンチノープルは"正教"という型になって行きます。この正教が現在の欧州東部等に布教活動を展開し、ロシアでもこれが受け入れられ、やがて「ロシア正教」が形成されて行きます。

ソ連時代に関して、「共産党政権のイデオロギー」の故に、教会に冷淡であったり、弾圧した事例も在るように考えられているかもしれません。実はこれは、地方の小さな町や村へ行けば「政権の意向」よりも「教会の威光」の方が強く、「それでは都合が悪い!」と教会に冷淡であったり、弾圧した事例が生じていたようです。

サハリン等でもロシア正教の歩みは在るようですが、嘗て"樺太"であった南部の各都市では、教会が登場するのは、主に体制が変わった1990年代以降のようです。

↓色々な想いが渦巻く感じで、何とも名状し難い雰囲気の漂う大聖堂の中で暫し過ごしますが、天井を見上げると大きな「クーポル」の裏にキリストや聖人達が描かれ、外光が大聖堂内部に降り注いでいることに気付きました。
<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂> (6).jpg
(2017年5月撮影)

この<キリスト生誕記念主教座大聖堂>に関しては、オープン以来、方々からのサハリンへの来訪者も随分と視掛けると聞きました。とりあえず「一見の価値」という場所だと思います。