スタロドゥプスコエ(旧 栄浜)で流氷を観る...(2018年02月10日)

詩人・作家の宮澤賢治は、1923年7月31日から8月12日にかけて樺太を訪ねた経過が在ることが知られています。サハリンへの旅に関することでも、時々この「宮澤賢治の足跡」というようなことが話題になります。

岩手県で農学校の教員として勤めていた宮澤賢治は、樺太の王子製紙に勤める先輩を訪ね、卒業生の就職に関する相談をすることを目的としていたということですが、御本人の気持ちの問題としては、前年11月に他界してしまった妹の「魂の行方を追う」というようなものが在ったとも言われます。

宮澤賢治は、樺太旅行の中で幾つかの作品を構想していると言われていますが、『オホーツク挽歌』という詩は、オホーツク海岸の栄浜を散策しながら巡らせた想いが綴られているといいます。

栄浜は、現在はスタロドゥプスコエと呼ばれています。ドリンスク地区の小さな町です。人口は2千人余りとのことです。

この場所が栄浜と呼ばれるようになる以前、1886年に「ドゥプキ」という村が起こります。これは「樫の木」を意味する「ドゥプ」という語から起こったように見受けられる名です。1890年にサハリンを訪れているチェーホフは、現在のドリンスク地区にも足を踏み入れていますが、その記録によるとドゥプキには44名(男性31名 女性13名)の住民が在ったということです。第2次大戦後にソ連化された際、スタロドゥプスコエという名になりました。「スタロ」は「古い」という形容詞から来ている語なので「嘗てドゥプと呼ばれていた」というような含意で、「ドゥプ」の形容詞形の「ドゥプスコエ」を使ったのでしょう。

↓これがその宮澤賢治が足跡を残した栄浜、今日のスタロドゥプスコエの現在の様子です。
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↑手前の畝のようになった部分が、海岸に圧し上げられてしまった流氷の上に雪が積もった箇所と推測出来ます。が、何処からが海面なのか判りません。普通は「水平線」に視えるような辺りまで、悉く氷です。更に「沖の方向」へ歩いている人影が多く視える状態です。

↓概ね「左に海」で「右に浜」という具合になるように様子を視ました。
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↑浜の側には、「台数を推定し悪い」程度の、非常に多くの車輛が駐車しています。

「サハリンの紹介」という中に、「冬季は氷上での釣りが人気」という話題が時々在ります。スタロドゥプスコエは、その「氷上の釣り」を愉しもうという人達が、最も多く集まるような場所でもあります。

浜には多くの車輛が駐車中ですが、ここを訪ねようとするなら、例えばユジノサハリンスクから「路線バスを乗り継いで」訪ねることも可能です。

↓先ず、ユジノサハリンスクから、バスでドリンスクへ出ます。ユジノサハリンスクの鉄道駅の近くに在るバス乗り場です。画に写っているような型の車輛が、路線バスとして存外にポピュラーです。
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↑ドリンスクまで出て、スタロドゥプスコエへ向かうバスに乗ります。ドリンスクへ行くバスは、多目な時間帯で「20分に1本」で、少な目な時間帯でもう少し間隔が開きますが、「何となく乗場に行くと、次のバスが待機中」という確率が高いです。運行系統番号112がユジノサハリンスク・ドリンスク間の路線です。現在の運賃は、片道115ルーブルです。

ドリンスクでは、鉄道駅の辺り、<ユビレイナヤ>というホテルの傍がバスの起点・終点です。

ドリンスクでは、スタロドゥプスコエへ向かうバスを待ちます。その間、<ユビレイナヤ>というホテルで、御手洗を拝借出来ます。有料で30ルーブルではありますが、北海道の方言で言う「あずましい」((注記)居心地が好い)状態で利用可能なので助かります。また、道路を挟んで向かい側に一寸した売店が在って、「多分インスタント?」な50ルーブルの温かいコーヒーも売っていました。

ドリンスク・スタロドゥプスコエ間のバスですが、朝早く6時半、7時半、8時50分と変則的な時間に発車した後には、「10時、11時、12時...」と午後8時まで毎正時に発車しているとのことです。スタロドゥプスコエからドリンスクへ向かうバスは、「10時半、11時半、12時半...」と1時間毎、「30分」に発車しているとのことです。

今般、朝7時10分に出るバスでユジノサハリンスクを発ち、ドリンスクには朝8時15分頃に到着で、朝8時50分にスタロドゥプスコエへ向かうバスに乗車することにしました。

朝8時半過ぎに、バス乗場と聞いているドリンスクの鉄道駅の前で様子を伺いました。確かにバスの出入りが見受けられ、乗場で間違いは無いと思ったのですが、少し気になったのは「存外に人が多い」ということです。その場に居た皆さんは、各々に確りした防寒衣料に身を包み、色々な道具を手にしています。そして、そういうような出で立ちの人達が後からドンドン集まっています。皆さんは「氷上の釣り」に出掛けようとしている訳です。

8時50分の発車の10分位前に、少し大き目なバスが現れ、集まった人達が乗車を始め、筆者もそれに加わりました。乗車の際に運賃の31ルーブルを運転士さんに払います。サハリンの路線バスでは、乗車時に運転士さんまたは車掌さんに運賃を支払う原則になっています。

大き目なバスで座席が全て埋まり、通路に殆ど隙間が無い程度に乗客が詰め込まれました。そこまでに10分近くを要しました。多分40人以上が乗り込んだと見受けられます。その状態でバスは発車し、15分程度走り、終点の1つ手前で多くの乗客が下車するので、筆者もそれに交じって下車しました。

↓スタロドゥプスコエに到着したバスです。運行系統番号116です。
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↑バスの後方の側へ向かうと、海岸への道になります。車の出入りが酷く多く、<ДПС>(デーペーエス)というマークが入った、交通警察の車が辺りを見回っていました。

因みに、スタロドゥプスコエから引揚げる際にもこのバスを利用しました。「氷上の釣り」に出掛ける多数の人達で溢れているという訳でもなかったのですが、11時半のドリンスク行きには幅広い年代の20名前後が乗車していて、ドリンスク到着後にユジノサハリンスク行きに乗り継いでいる方も見受けられました。「1時間に1本の運行」というのが、「何とか利用し易い」範囲の運行体制で、それなりに高い乗車率であるように見受けられました。ドリンスクまでは概ね10km程度ということです。

↓夥しい数の駐車中な車輛に驚きながら海岸、または海の様子を伺いましたが、大勢の人が海に相当する場所を歩いているというのに止まらず、スノーモビールが走り回っている様子まで見受けられました。
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↑スノーモビールは、橇を牽引して、何人かを乗せて"沖"まで送る「氷上タクシー」のようなことをやっていました。その他、スノーモビールを持ち込んで、走行を愉しんでいるという風な人達も居ました。

筆者が幼少の頃に親しんだ特撮ヒーローが、「スキー場で敵と戦う」というエピソードが在って、御馴染のオートバイではなくスノーモビールに乗って登場したというのが在りました。そんな「どうでもいい...」ことを不意に思い出して苦笑いしていましたが、このスタロドゥプスコエでは「視たことがない位に多くのスノーモビール」を視て、非常に驚いていました。

流氷に関しては、以前に紋別を訪ねて眺めた、更に<ガリンコII>で遊覧航海をした想い出が在ります。

紋別で眺めた流氷は、大きさや形が様々な氷が「流れ」ていて、それが或る程度「集まって」いるということで、「海水の上に漂っている」という感が強いものでした。

それに対して、このスタロドゥプスコエでは氷が「非常に高い密度に集まって」しまって、浜辺に「圧し付けられる」ようになって一部が隆起しながらも、全般的には「平板な氷原」のように固まってしまっています。最早「漂っている」という状態でもなく、何やら「埋立地」とか「干拓地」のような様相で、そういう状態になった上に積雪も見受けられる感です。

↓強く圧されて隆起した流氷の痕跡が判るのですが、「見渡す限りの荒涼とした氷原」という状態が「水平線」まで続いています。
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↓画の左側のモノは、遠くから視えた時には「何?」と思ったのでしたが、朽ち果てた廃船でした。
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↑他の時季、この廃船は「半ば海水に浸かった」ような状態だと推定出来ますから、画で視えている辺りは「殆どが海水の上」と思われます。

筆者は特段に釣りは嗜まないので、正直なところ「氷上の釣り」には然程関心は在りませんでした。が、この「凍る海」の光景を観るということには興味津々でした。

例えば、春から秋に畑になっているような広い場所が冬季に雪を被ると「一面が真っ白」と驚くような光景になります。が、大概は少し離れた辺りに丘陵や山、建物、森林等が視えます。このスタロドゥプスコエでは、「水平線」に至るまで「遮るようなモノが全く無い」感じで、須らく氷に覆われています。

こういう凄い光景が、「或る程度利用し易い範囲の運行体制」である路線バス利用で眺めに行けるという状態は、非常に好いと思いました。

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2018年02月09日)

↓午前8時頃の様子です。
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↑以前より、空の感じに青味が感じられるようになっています。

ナイトブルーな空にライトアップされた大聖堂が浮かび上がり、若干の雪が舞っています。気温は氷点下20°Cに近い感じですが、「光」が多少変わっている昨今です。

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2018年01月27日)

↓穏やかな天候となった土曜日の朝、朝陽に染まる東の空を背景に大聖堂が佇んでいます。午前9時頃の様子です。
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↑辺りは深めな雪が覆っている他方、スキー場の利用者などが通る箇所は除雪が施されています。

この直ぐ傍に据えられていた、かなり大きなヨールカは既に撤去されていました。

夜のユジノサハリンスク市街を鳥瞰:スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)(2018年01月13日)

↓午後6時頃、スキー場の頂上部にゴンドラで上がってみました。
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↓少し経つと、街に灯りが点り始めます。
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↑幅が広い通の街灯が目立ち始めますが、パベーダ広場の大聖堂や、そこから少しだけ西の、ライトアップが点灯しているテレビ電波塔が目立ちます。

夕刻のスキー場は、気温も落ち始め、顔面に触れる空気もかなり冷たい感じになります。刻々と変化する空模様や、輝きを増す街並みを視るのは面白いのですが、少しだけキツくなるので、頂上部のカフェに一寸入り、コーヒーを頂いて一息入れます。

↓コーヒーを頂いて一息という感に、灯りがかなり拡がりました。
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午後6時台に、こうやって日没後の空の色が変化する状況が見受けられ、なかなか真っ暗にならない状態で街の灯りが拡がります。

ユジノサハリンスクに関して、「"らしい"感じな街の夜景」が愉しみ易いのは、"スキーシーズン"かもしれません。

冬のユジノサハリンスク市街を鳥瞰:スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)(2018年01月04日)

ロシアのカレンダーでは1月は「1日から8日まで」が「赤い文字」の「休日」です。

こういう具合なので「他地域へ出掛ける」という話しも随分と耳にしますが、他方に地元でゆっくりしている方も大勢居るようです。街の雰囲気は、ひっそりとした1月1日のような感じが終わって、何となく「通常の土日や祝日」というような様子になっていると見受けられます。

そうした中、平日、休日を問わずに「"24時間営業"が便利」と朝食に寄ることが多いカフェに、普段よりやや遅めな時間帯に朝食を愉しみに出て、朝食後に戸外を少し歩きました。すると「スキーウェアにヘルメット着用で、スノーボードを抱えて歩いている」という人を視掛けました。

ユジノサハリンスクでは「スキーウェアにヘルメット着用で、スノーボードを抱えて歩いている」というような人を存外な頻度で、「街中」で視掛けます。「その気になれば、フラフラと歩いて行けるような場所」に立派なスキー場が在るのです。

そういう様子に気付き、空を見上げれば「穏やかな冬の好天」で「蒼!」の中に白い雲が流れていて、辺りの積雪が眩しい状況になっていました。「一寸、行ってみよう...」とスキー場まで歩いてみました。

スキー場辺りに着けば、なかなかに賑わっていて、スキーやスノーボードを愉しもうという人達が溢れていました。人が溢れているように一瞬視えたものの、ゴンドラのチケット売場の列は「知れている...」ような程度であったので、そこに並びました。

スキー場のゴンドラのチケットですが、多くの皆さんが、日本国内では主に大都市圏等で鉄道やバスに乗車する場面で用いる「交通系ICカード券」のようなモノを持っていて、チケット売場で「〇時間利用」というように申し出て、お金を払って―現金払いもカード払いも出来るようでした。―"チャージ"して貰っていました。後で様子を視れば、ゴンドラのゲートに「交通系ICカード券」利用可能区間の駅で見受けられるような小さ目な装置が据えられていて、カードを翳してゲートを潜っていました。

筆者は特段にその種のICカード的なモノを所持しているのでもなく、また「ゴンドラで一寸上まで上がって、景色を見て下りて来る」という考えだったので「どうしたものか?」と思いながら列に並んでいました窓口でその旨を申し出ると、スキーのオフシーズンにゴンドラに乗る時と同じ仕組みで乗ることが出来ると判り、オフシーズンにも使う「赤いカード」の券を240ルーブルで求めることが出来ました。この「赤いカード」は、「2本目のゴンドラ」に乗る時に回収され、下りる時には普通にゴンドラに乗ってしまえばそれで構わない仕組みです。

↓スキーやスノーボードを愉しもうという人達に交ざって、2本のゴンドラを乗り継いで辿り着いた頂上付近からの眺望です。
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↑真中辺りの広い道路がパベーダ通で、右側が北寄り、左側が南寄りです。正面奥の雪を被った山地が街の西方向で、山地を越えると日本海側に至ります。

こうして眺めると、「積雪地域は冬季が美しい?」というようなことを想ってしまいます。この画の方角は、夕刻に街から見上げると「白く光る道」のようにコースが視えている側です。が、街から視え悪い方向にもコースは何本も在り、ゴンドラで上に着いた人達はスキーやスノーボードで滑走する準備を整えると、思い思いに目指すコースへ散らばっています。

(注記)過日、照明が点いたスキー場を街から見上げた経過は下記の記事で御紹介しました。
>>スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)の灯り(2017年12月27日)

↓頂上付近には、飲物や軽食を愉しむことが出来る場所も設けられています。
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↑氷点下10°Cを少々上回る程度の気温で、高い場所なので時々冷たく強めな風が抜け、少し寒かったので温まりました。

↓やがて「上り」とは異なって"貸切"になる「下り」のゴンドラで「乗換」の辺りに下りた時の眺望です。
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↑こちらの方は、子ども達や初心者の皆さんが多くスキーやスノーボードを愉しんでいました。

<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)は、こうして実際に営業中に訪ねてみれば「何となく思う以上に、人々に身近な存在」に視えました。が、それ以上に「スキーやスノーボードをやるのでもない、"一寸上がってみたい"という人に開かれている」という状況に、少々驚かされもしました。或いは、「スキーやスノーボードをやるのでもない」状況では、上がることが出来ない場合も在ると思いながら寄ってみたので、「非常に好かった」と喜んでいます。

スキーやスノーボードを愉しむのであれば、<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)は好い場所ですが、ここから望む「冬季の"地域らしさ"が滲む街の眺望」も素晴らしいものです。

スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)の灯り(2017年12月27日)

ユジノサハリンスクの街の東側、丘陵の上が整備されていて、<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)という大きなスキー場になっています。

このスキー場のゴンドラは、オフシーズンも動いていて、丘陵の上は「大展望台」という趣きで、その様子は何度かこのブログでも御紹介しました。

>>オフシーズンは大展望台:ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017年05月14日)

>>ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017年07月08日)

>>夕陽の光を受ける街:ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017年10月07日)

このスキー場に関して、「12月23日オープン」という話しが流れていました。今季は11月から存外に雪が降り、「降っては融けて」が何度か繰り返された中、12月には「少し驚く程度」な降雪も在りました。「スキー場の経営に携わる皆さんは安堵?」等と思っていましたが、予定どおり12月23日にオープン出来たようです。

そういうことになると、「冬のスキー場の様子」が少し気にはなりますが、特段にスキーをする意図も無く訪ねるのも憚られます。しかし、スキー場は暗くなると灯りを点けて、暗い時間帯にも滑走出来るようになっています。そう思うと「スキー場がどういうように視えるのか?」が気になり始めます。

スキー場の入口に近く、スキー場がよく視えるとなるとパベーダ広場です。稚内市サハリン事務所に近い、コムニスチ―チェスキー通のバス停から路線バスに乗ると、渋滞に嵌らなければ10分から15分程度で着く場所です。雪や氷が無い時季なら、歩いて30分位だと思います。

↓パベーダ広場のバス停辺りからスキー場を見上げました。
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↑何度もこの位置でスキー場を見上げたことは在りますが、スキーのコースが明るい照明で浮かび上がっているので、一味違って視えます。

夕刻の交通量が増えている街の道路から「こんなに近い!!」場所にゴンドラを備えたスキー場が在るという状況に、改めて驚きながら様子を視ました。

↓横断歩道を渡って、広場の<戦史博物館>の辺りに近付いてスキー場を見上げました。
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<戦史博物館>で「サーチライト」のようなライトアップをやっていて、スキー場の照明と組み合わさって凄くドラマチックな感じに視えました。

↓少しだけ南側の<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の傍へ行ってみました。
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↑ロシア正教の独特な様式である巨大な建物の背景に、照明に浮かび上がるスキーコースです。独特な情緒が在ります。

↓大聖堂前で通を渡り、街の東西に延びるパベーダ通を西側へ歩道を進んで、一寸振り返って眺めてみました。
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↑パベーダ通の凝ったデザインの街灯が連なって、広場にヨールカ<戦史博物館>が在って、その背後にスキーコースです。

近年、ユジノサハリンスクでは「スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)を核とした地域の観光振興」というテーマを掲げています。「非常に街に近い場所に立派なスキーコース」というのは、他所にはなかなか無い特長であることは間違いなく、期待も高いようです。

それにしても、スキーコースが照明に浮かび上がっている様子は、「暗い夜空に輝く路」というような趣で、非常に美しく視えました。

薄目な積雪と<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017年11月12日)

強めな雨が雪になり、夕方から夜には若干強く感じる風が吹いて「吹雪?」という雰囲気になった土曜日に対して、日曜日は朝から穏やかで晴れ間も覗きました。

↓午後、外に出た序にこの大聖堂の近くに足を延ばしてみました。
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↑画の右側が西寄りな方角に相当し、少しだけ傾いている太陽の光が当たります。

日頃は芝生になっている箇所が白い雪になると、趣が随分と変わります。「クーポル」と呼ばれる独特な形状の、ピカピカの丸い屋根が、光を受けて輝いています。

2016年に竣工して開かれている大聖堂ということで、未だ「馴染みの好い風景」という程でもないのかもしれませんが、こういう感じは「ユジノサハリンスクを代表する好い風景」に数えられるようになって行くことでしょう。

旧 王子製紙眞岡工場(2017年10月28日)

樺太時代には「眞岡」(まおか)と呼ばれていたホルムスクには、樺太時代に建てられ、ソ連時代にも長く稼働していたた製紙工場の跡が見受けられます。

丘陵が入り組む地形の中で階段状に市街が拓かれ「独特な表情の景色が視られる」感のホルムスクに在って、「際立って独特な」と形容したくなるのが、「製紙工場の跡が見える様子」です。

↓5月の休日に訪ねてみた経過が在りました。
>>旧 王子製紙眞岡工場(2017年05月21日)

こうした特徴的な景観というものは、季節や時間帯が変わると表情が変わり、なかなかに興味深いものです。10月の催事が続いた感じが落ち着き、天候の好い土曜日となっていたことから、「手軽な遠足」でホルムスクを訪ねてみました。

ホルムスクの街を散策して、特徴的な景観を一寸愉しむという程度であれば「午後2時のバスでユジノサハリンスクを出発」で、ホルムスク到着直後に復路の乗車券を確保して「午後6時出発、最終のユジノサハリンスク行で引揚げる」という程度でも、存外に楽しく過ごせる感じでした。全くの「休日の徒然に思い付いたこと」でした。

或いは「好天で風が弱め」な日だったので好かったのかもしれません。これからの時季は、もっと短めな散策時間でも悪くないのかもしれません。秋が深まって「殆ど初冬」という状況下、5月に訪ねた際の午前とは様子が異なる「西日がかなり傾いている時間帯」の様子は興味が湧きます。

↓5月に見付けていた、集合住宅の集まった辺りの広場周辺からの眺望です。
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↑丘陵部の植物の様子が"晩秋"という感じです。

↓やや角度を変えると、工場跡が少し立体的に視えます。
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↑工場の「古いコンクリート」が、傾いた西日からの光線で"秋色"を帯びたように視えました。

この場所は久し振りでしたが、更に季節を変えて立寄ってみたい感です。

アニワ地区トロイツコエ:<アレクサンドル・ネフスキー寺院>(2017年10月22日)

嘗ての豊原であるユジノサハリンスクや、嘗ての大泊であるコルサコフ、或いは嘗ての眞岡であるホルムスクのようなサハリンの都市は、日本の人達の間でも一定程度は知名度が高いように見受けられます。が、現在の名称を挙げても、「それは何処?」というサハリンの街も多く在ります。

実際に最近、他所の方に「それは何処?」とお尋ね頂いた場所にアニワが在ります。

アニワ地区というのは、アニワ市を中心としているのですが「ユジノサハリンスクの南西の隣り」という位置を占めています。

アニワ市の場所は、帝政ロシアの統治下であった1886年にリュトガという村が起こった場所に相当します。日本統治下で留多加(るうたか)と呼ばれるようになります。そして1946年にソ連化された際にアニワと改名されています。

このアニワ市を中心とするアニワ地区に、ユジノサハリンスク市の直ぐ西隣りに相当するトロイツコエが在ります。樺太時代には豊原市の管轄で並川と呼ばれていたようです。

↓このトロイツコエに入ると、こういう建物が在って非常に目立ちます。
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↑古くからの様式を採り入れた木造という風な建物で、白く塗装が施されています。

↓ロシア正教の寺院で、<アレクサンドル・ネフスキー寺院>と名付けられています。
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↑2009年に計画が持ち上がって2010年に完成した建物であるということでした。

↓中は幾つかの窓から光が射し込んで、厳かな雰囲気が醸し出されています。
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↓未だ10年に満たない建物ということも在るでしょうが、堂内のピカピカな床にイコン等が映り込み、神秘的に感じられる空間が創られていました。
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↓建物の脇の方ですが、短い柱廊風に設えられていました。
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この<アレクサンドル・ネフスキー寺院>は、「トロイツコエ "マステルスキエ"」(Троицкое "Мастерские")というバス停の傍に在ります。ユジノサハリンスク市内側から向かうなら、この寺院の目立つ建物が進行方向右手に視えて、それを少し過ぎた辺りにバス停が在ります。

ユジノサハリンスク市内とこの<アレクサンドル・ネフスキー寺院>辺りを往来するとすれば、ユジノサハリンスクの市内線の路線バスで運行系統#256を利用するか、市外路線ということになるアニワ・ユジノサハリンスク間の運行系統#111を利用することになるでしょう。

実はユジノサハリンスク市内のバス停で、トロイツコエへ向かう#256がやって来たのを視掛けて、不意に「あそこに立派な教会が在った筈...」とバスに飛び乗ってこの場所に至ってしまいました。運賃は「市内均一」が適用されて20ルーブルでした。

復路に関しては、「そのうちバスが...」とバス停で待っていて、「多少、寒い...」と思いながら、現れた#111のアニワ・ユジノサハリンスク線のバスに飛び乗りました。こちらは市外路線の扱いで、運賃は50ルーブルでした。

↓それにしても、辺りにそれ程目立つモノが無い中、複雑に屋根が組み合わさった、なかなかに大きな教会が威容を見せている様子は、少し見応えが在ります。
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思い付いて路線バスで訪ねることも出来ますが、車でユジノサハリンスク辺りを巡ろうという場合に、行程にここを加えてみるのも一興かもしれません。

『平和観音』(2017年10月20日)

ユジノサハリンスクのレーニン通を南下し、プルカエフ通との交差点、大きなオベリスクが建っている辺りを過ぎると古くからの墓地が在ります。

↓墓地の一隅のスペースにこういう様子が見受けられます。
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場所は色々なお墓が在る墓地を少し奥に進んだ辺りの、「日本人死没者共同墓」が在る場所です。

↓2016年9月30日に設置され、1年を経ました。
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↑地域の平和、世界の平和を祈念して設置されたもので、「一周年法要」を催し、新たに平和への祈りを捧げたのでした。

「未だ一年」とも「既に一年」とも言えるのでしょうが、法要が催された際には参集者の祈りが通じたかのように、折からの雨も上がっていました。

この『平和観音』が設置された墓地は、「静かな美しい森」という趣の場所でもあります。