役割・沿革
役割
下水道は、生活環境の改善、公共用水域の水質保全、浸水被害の軽減等に資する重要なインフラストラクチャです。下水道普及率は全国平均で約80.6%(令和3年度末)に達しましたが、人口減少、高齢化の進展や厳しい財政事情等、下水道の整備を進めることが困難な状況に置かれている中小市町村もあり、より効率的な整備が求められています。
また下水道普及率の高い都市部でも、集中豪雨による都市浸水、管渠の老朽化に伴う道路陥没など、下水道において対処・解決すべき技術的課題は山積しています。
下水道研究室は、下水道に係るこのような技術的課題について、国土交通省本省に対する政策支援、技術基準の策定を行うとともに、下水道管理者である地方自治体等への技術支援を実施しています。また、国立研究開発法人土木研究所、日本下水道事業団、(公財)日本下水道新技術機構を始めとする下水道関連研究機関及び国内外の大学・研究所等と連携して、下水道に関する技術開発を進めています。
沿革
わが国の戦後の高度経済成長は、所得の増大や生活水準の向上をもたらしましたが、一方では深刻な水質汚濁問題を引き起こす結果となりました。昭和32年に起こった本州製紙江戸川工場事件を端緒として、国会でも水質汚濁問題が広く取り上げられ、昭和33年12月に水質保全法、工場排水規制法が制定されました。また明治33年に制定された旧下水道法が水道行政3分割を受けて昭和33年に改正されました。
このような諸情勢のなか、下水道及び水質問題に関する研究機関の必要性から、昭和34年4月に下水道研究室が設立されました。発足当初は、下水道及び水質全般に関する調査研究を所掌事務として、研究課題としては合流式下水道の雨水分水施設、除害施設、下水汚泥の処理、また主に工場排水を収集する特別都市下水路(現在の特定公共下水道)における排水処理方式の検討などを実施しました。
その後、昭和42年に成立した公害対策基本法に基づき、昭和46年に水質汚濁に関する環境基準が告示されたこと、水質汚濁問題が大きく顕在化したことを契機とした昭和45年のいわゆる公害国会の後、水質保全法、工場排水接が水質汚濁防止法に統合されるなど、新たな展開が見られました。下水道法も昭和46年に改正され、公共用水域の保全が下水道の大きな役割の一つとして新たに追加されました。
このような流れの中で、昭和46年に水質研究室が発足しました。また水資源の逼迫等の状況から処理水の再利用の必要性が増加し、昭和48年に三次処理研究室が、汚泥量の増加や汚泥の処理処分に的確に対応するため、昭和53年に汚泥研究室が発足しました。
このように新しい研究室が発足するたびに、従来取り組んできた課題も新研究室に移行していきましたが、同時に当研究室においても下水道事業の展開や時代の要請と共に次々と新しい課題に取り組む必要が生じてきました。設立当初から一貫して取り上げられてきた雨水対策に、小規模下水道の処理、計画論、新輸送、維持管理といった課題が加わったのも、まさにこのような状況を反映したものです。
平成13年1月には省庁再編により、建設省、運輸省、北海道開発局、国土庁の4省庁が統合し、国土交通省となりました。これにより、建設省土木研究所は国土交通省土木研究所となり、同年4月、国土交通省国土技術政策総合研究所と独立行政法人土木研究所に分割され、当研究室は国土政策総合研究所下水道研究部下水道研究室として現在に至っています。
年度 | 下水道研究室関連年表 | 下水道関係の出来事 |
---|---|---|
昭和33 | 部制の採用(河川部他4部) | 下水道法改正、水質保全法制定 |
昭和34 | 河川部に下水道研究室設置 | |
昭和38 | 下水処理実験用エアレーションタンク設置 | |
昭和42 | 赤羽支所設置 | 公害対策基本法制定 |
昭和46 | 水質研究室設置 | 本省下水道部設置 |
昭和48 | 三次処理研究室設置 | |
昭和49 | 土研下水道部設置 | |
昭和50 | 日本下水道事業団発足 | |
昭和53 | 汚泥研究室設置 | |
昭和54 | 筑波研究学園都市へ移転 | |
昭和61 | 新下水処理研究官設置 | |
平成13 | 国土技術政策総合研究所に名称変更 独立行政法人土木研究所と分割 |