愛子内親王の天性のカリスマ性
こうした状況のなか、国会ではこの点については議論され、皇族女子を結婚後も皇室に残す案(いわゆる女性宮家)と、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる案が出されているものの、いずれも有効な策とは思えない。それに、これはあくまで皇族の数の確保であり、皇位継承の安定化に直接結びつくものではない。
もちろん、愛子天皇が誕生したからといって、それがそのまま皇位の安定的な継承に結びつくわけではない。それでも、小林氏などが、愛子天皇待望論を展開するのは、秋篠宮家に対する不信の念があるとともに、愛子内親王が、悠仁親王のように天皇の傍流ではなく、直系だからである。
ただ、先代の直系であることが、これまでの天皇の必須の条件になってきたわけではなく、光仁天皇のように傍系の即位はいくらでもあった。
それでも、愛子天皇待望論が主張されるのは、カリスマ性の問題がかかわっているからではないだろうか。
現代はポピュリズムの時代であり、天皇には、国民をひきつけるだけの魅力が求められる。
人をひきつける能力は、カリスマ性とも言えるし、スター性と言うことができるが、それは天性のものである。たんにその地位にあるからといって、カリスマ性が発揮されるわけではない。悠仁親王からは、そうしたカリスマ性を感じられないが、愛子内親王にはそれがある。それこそが、国民の一致した見方ではないだろうか。
日本の国は「女の治め侍るべき国なり」
しかもそこには、女性であることが深くかかわっている。
平成の時代に、象徴天皇制が国民のあいだに深く浸透していくにあたって、美智子上皇后の果たした役割は大きい。現在の雅子皇后も、それに近い役割を果たしてきた。愛子内親王がこの二人の血を受け継いでいることが、そのカリスマ性を高めることに貢献している。
天皇はむしろ女性であるべきだという議論は、実は過去にあった。
それを主張したのが、室町時代に摂政関白をつとめた一条兼良である。
兼良は、日本の国は「女の治め侍るべき国なり」と主張し、その根拠として天照大神のことと、神功皇后のことを挙げていた。
天皇家の祖神とされる天照大神は女神である。『日本書紀』では、神功皇后に1巻が割かれているのだが、それも摂政であった期間が69年にも及んだからである。大正時代になるまで、神功皇后は第15代の神功天皇とされていた。
兼良が現代にあらわれれば、愛子天皇待望論を声高に主張したに違いない。
そのとき、日本の社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか。さらには、将来の天皇不在を見通し、憲法を改正して共和制に移行できるのか。
それこそ、これまで果たせなかった民主主義の革命となるはずだ。
兼良の時代に、日本が女性の治める国になっていたとしたら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたのではないだろうか。愛子天皇の登場も、日本の歴史を変えていくかもしれないのだ。
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。