皇室典範改正が棚上げされた背景
1990年代後半から宮内庁が取り組んできた皇位継承問題は2005(平成17)年、小泉政権により解決の兆しがみえた。しかし翌06年2月、秋篠宮家の紀子妃懐妊の報に接した小泉首相は、すでに準備されていた皇室典範改正法案の通常国会提出を見送った。
筆者は当時、こうした政治の動きについて見解を問われてこう答えた。今回もしも男子が誕生し、男子による皇位継承が可能になったとして、それで問題はすべて解決されるのだろうか。仮に女子が誕生したら、そのことを確認してから再び改正に向けた準備を開始するのだろうか。やはり皇室典範の改正を、そうした短期的、表面的な位置づけで論じるべきではない――。
同年9月に悠仁親王が誕生し、党内保守派を基盤とする第1次安倍内閣が成立したことから、議論は棚上げされた。しかし次世代に皇族男子が1人誕生したといっても、皇位継承資格を男系男子に限定する限り、安定的な皇位継承を確保することは困難であろう(拙稿「紀子さまご懐妊で、大局を見失うな」『中央公論』2006年4月号)。現在なおも、次世代には依然として、成年を迎えた悠仁親王1人の状況に何ら変わりはない。
せっかくの親王の誕生が、かえって皇位継承の危機を覆い隠しかねない。親王の誕生によって、多くの国民が皇位継承問題は解決済みと理解したら、それはあまりにも危険であろう。象徴天皇制の下で、国民の理解や支持を得ることは大きな比重を占める。皇室制度の改革にも、国民世論の動向が重要な影響をもつようになった。
「女性宮家の創設」をめざした野田政権
その後、制度改革が進まず、3人の皇族女子が婚姻に伴い皇籍を離脱して、未婚の皇族女子は5人にまで減少した(2024年12月現在)。これまでのところ、皇族の減少に歯止めがかかっていない。このまま対策が講じられることなく手を拱いていれば、さらに皇族女子が減少する事態は避けられない。悠仁親王を支える皇族は払底し、皇位継承や皇室の活動に支障をきたしかねない。
そこで事態を打開しようと立ち上がったのが、民主党政権3番手の野田佳彦内閣にほかならなかった。2011(平成23)年9月に発足した同内閣は、宮内庁から皇族の減少など皇室の抱える諸課題に関する説明を受け、これを重く受け止めた。野田首相は同問題への着手を決断し、早速官邸の事務方に「女性宮家の創設」を検討するよう指示した。
しかし、これに対して自民党保守派や保守系の団体は、女性宮家の創設は女系天皇の誕生につながるとして警戒し、これを牽制する運動を展開した。
野田内閣は内閣の体力を考慮して有識者会議の設置を見送り、有識者ヒアリングを開催して論点整理とパブリックコメントを実施した(拙著『新・皇室論』)。このときは実を結ばなかったが、同氏の熱意は冷めず、今日に至っている。