フェデックス・セントジュード招待
WGCフェデックス・セントジュード・インビテーショナル | |
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トーナメント情報 | |
創設 | 1999年 |
開催地 | テネシー州メンフィス |
TPCサウスウィンド | |
基準打数 | 70 |
ヤーデージ | 7,244ヤード (6,624 m)[1] |
ツアー |
PGAツアー ヨーロピアンツアー |
競技方法 | ストローク |
賞金総額 | 1050万米ドル |
開催月 | 7月 |
最終年 | 2021 |
最高記録 | |
最少打数 | 259 タイガー・ウッズ (2006) |
通算スコア | -21 タイガー・ウッズ (2002) |
最終優勝者 | |
メキシコの旗 アブラハム・アンセル | |
テンプレートを表示 |
世界ゴルフ選手権 | |
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メキシコ選手権 | |
デル・マッチプレー | |
ブリヂストン招待 | |
HSBCチャンピオンズ | |
(ワールドカップ) |
WGCフェデックス・セントジュード・インビテーショナル(WGC-FedEx St.Jude Invitational)は、世界ゴルフ選手権の一戦として、毎年8月に開かれていたゴルフの大会である[2] 。会場はアメリカ・テネシー州 メンフィスにある「TPCサウスウィンド」で行われていた。1999年から2005年まではNEC招待(WGC-NEC Invitational)、2006年から2018年まではブリヂストン招待(WGC-Bridgestone Invitational)という大会名であった。優勝者にはゲーリー・プレーヤー・カップが贈呈されていた。
歴史
[編集 ]この大会は元々、1962年9月にメジャー大会優勝者による非公式大会としてスタートした。
当初はジャック・ニクラス、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーのBIG3が36ホールで争っていたが、1人の選手がその年に複数のメジャー大会優勝した場合、補欠としてカナディアン・オープンやウェスタン・オープンの優勝者が参加していたこともあった[3] [4] [5] [6] [7] 。その後、メジャー大会優勝者同士による大会方式は1975年まで続き、PGAグランドスラム・オブ・ゴルフに受け継がれた。
1976年以降PGAツアーの公式戦となり、大会方式は現行のものとなった。1984年からは日本電気(NEC)のアメリカ現地法人がスポンサーとなりNECワールドシリーズ・オブ・ゴルフとなる。1999年からはWGCのひとつに指定され、名称もNECインビテーショナルに変更された。メジャーリーグベースボールと同じように、4大メジャーに次ぐ「真の世界一決定戦」という位置づけの大会のひとつである。2006年からスポンサーがブリヂストンに変更された。2018年大会をもってオハイオ州アクロンのファイアストーン・カントリークラブでの開催が最後となり、2019年からテネシー州メンフィスで開催された[8] 。
大会に出場できるのは、当年度の世界ランキング50位以内に入った選手、また世界各地のツアー競技で指定された大会の優勝者、ならびに団体戦のライダーカップとプレジデンツカップの代表選手[9] が対象となっている。日本ツアーでは、前年のブリヂストンオープン及びダンロップフェニックストーナメント、当年日本ゴルフツアー選手権の優勝者が対象となる。試合は4日間のストロークプレー方式で行われる。
本大会が世界ゴルフ選手権に編入された後、最初の2回はメジャー大会最終戦の全米プロゴルフ選手権から1週間の間隔を置いて行われていた。しかし2001年度の大会から、全米プロゴルフ選手権のすぐ翌週に開催されるようになった。そのため、出場資格のある選手たちにとっては大規模な大会の連戦となり、コンディションの調整が大きなカギを握る。
2002年度の大会だけは、ファイアストーン・カントリークラブが「全米プロシニア選手権」の会場に使用されたため、ワシントン州サマミッシュのサハリー・カントリークラブで行われたが、2003年からは再び元のファイアストーンに戻った。このコースは16番ホール(667ヤード、パー5)に"Monster"(モンスター、距離が非常に長いことからついた)という愛称がある。ここでトリプルボギーを叩いたアーノルド・パーマーが「Monster」と呼んだのがきっかけでその愛称が付いた。
1999年に世界ゴルフ選手権第2戦となってからは、1999年〜2001年にかけてタイガー・ウッズが大会3連覇を飾っている。その2年前、まだ本大会がNECワールドシリーズ・オブ・ゴルフだった1997年に、グレグ・ノーマン(オーストラリア)がここで最後のPGAツアー優勝を果たした。
タイガー・ウッズは2009年までに7度優勝し、最低順位も4位とこの大会を得意としていたが、2010年は苦戦し自己ワーストの4日間通算18オーバーを記録し、プロ転向後最低の78位タイで終えた。
2022年、WGCの大幅縮小により歴史に幕を下ろした。
歴代優勝者
[編集 ]ワールドシリーズ・オブ・ゴルフ歴代優勝者
[編集 ]開催年 | 優勝者 | 出身国 | 優勝賞金 ($) |
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NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ | |||
1998 | デビッド・デュバル | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 405,000 |
1997 | グレグ・ノーマン (2) | オーストラリアの旗 オーストラリア | 396,000 |
1996 | フィル・ミケルソン | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 378,000 |
1995 | グレグ・ノーマン | オーストラリアの旗 オーストラリア | 360,000 |
1994 | ホセ・マリア・オラサバル (2) | スペインの旗 スペイン | 360,000 |
1993 | フルトン・アレム | 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 | 360,000 |
1992 | クレイグ・スタドラー (2) | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 252,000 |
1991 | トム・プルツァー | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 216,000 |
1990 | ホセ・マリア・オラサバル | スペインの旗 スペイン | 198,000 |
1989 | デビッド・フロスト | 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 | 180,000 |
1988 | マイク・リード | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 162,000 |
1987 | カーティス・ストレンジ | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 144,000 |
1986 | ダン・ポール | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 126,000 |
1985 | ロジャー・モルトビー | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 126,000 |
1984 | デニス・ワトソン | ジンバブエの旗 ジンバブエ | 126,000 |
World Series of Golf | |||
1983 | ニック・プライス | ジンバブエの旗 ジンバブエ | 100,000 |
1982 | クレイグ・スタドラー | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1981 | ビル・ロジャース | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1980 | トム・ワトソン | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1979 | ロン・ヒンキー | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1978 | ギル・モーガン | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1977 | ラニー・ワドキンス | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
1976 | ジャック・ニクラス | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 | 100,000 |
ワールドシリーズ・オブ・ゴルフ(非公式大会)歴代優勝者
[編集 ]メジャー優勝者: M = マスターズ, U = 全米オープン, O = 全英オープン, P = 全米プロ
その他優勝者: C = カナディアン・オープン, W = BMW選手権(当時はウェスタン・オープン)
- Palmer won an 18-hole playoff between the three runners-up of the two majors' playoffs in 1963.
順位 | 賞金 ($) |
---|---|
1 | 50,000 |
2 | 15,000 |
3 | 7,500 |
4 | 5,000 |
- 最初の3回は3位賞金5,000ドルであった。
脚注
[編集 ]- ^ "Course: TPC Southwind". PGA Tour. June 3, 2013閲覧。
- ^ 2016年大会はリオ五輪開催の影響により6月30日から7月3日までの変則開催。またヨーロピアンツアーの大会も外され、裏開催としてオープン・ド・フランスが開催予定
- ^ a b "Littler Has Many Thanks". The Dispatch. UPI (Lexington, North Carolina). (September 12, 1966). https://news.google.com/newspapers?id=MAoeAAAAIBAJ&sjid=E1EEAAAAIBAJ&pg=3209,904315 August 26, 2013閲覧。
- ^ a b "Coody in Front By Three Strokes". Reading Eagle. AP: p. 60. (September 12, 1971). https://news.google.com/newspapers?id=nMctAAAAIBAJ&sjid=1JcFAAAAIBAJ&pg=5978,721478 August 26, 2013閲覧。
- ^ a b "Player, Trevino, Brewer Face Nicklaus In Series". Lewiston Morning Tribune. AP: p. 14. (September 8, 1972). https://news.google.com/newspapers?id=oIxfAAAAIBAJ&sjid=mzAMAAAAIBAJ&pg=2351,1632660 August 26, 2013閲覧。
- ^ a b "Player Favored, Nicklaus Favorite In Prestigious Golf World Series". The Ledger. AP (Lakeland, Florida): p. 3B. (September 7, 1974). https://news.google.com/newspapers?id=GwswAAAAIBAJ&sjid=5_oDAAAAIBAJ&pg=7200,1730787 August 26, 2013閲覧。
- ^ a b "Nicklaus Has Ax To Grind". Evening Independent. AP (St. Petersburg, Florida): p. 5-C. (September 5, 1975). https://news.google.com/newspapers?id=6hUOAAAAIBAJ&sjid=W30DAAAAIBAJ&pg=4670,1130325 August 26, 2013閲覧。
- ^ Wright, Branson (April 12, 2018). "WGC-Bridgestone Invitational will leave Firestone in 2019 (photos)". cleveland.com. 2018年4月17日閲覧。
- ^ ライダーカップは米国代表12名とヨーロッパ代表12名、プレジデンツカップは米国代表12名と国際選抜チーム代表12名
- ^ "松山 逆転で米ツアー通算5勝目!「2番イーグルで波に乗れた」". スポーツニッポン (2017年8月7日). 2017年8月7日閲覧。
- ^ "Tony Lema victor in World Series". Eugene-Register Guard. Associated Press: p. 3B. (September 14, 1964). https://news.google.com/newspapers?id=CP1VAAAAIBAJ&sjid=aOMDAAAAIBAJ&pg=5832%2C2759578
- ^ "Palmer, Cupit, Rodgers In Series Playoff". Lodi News-Sentinel. UPI: p. 8. (August 17, 1963). https://news.google.com/newspapers?nid=2245&dat=19630817&id=cDozAAAAIBAJ&sjid=ozIHAAAAIBAJ&pg=5722,4190312 August 26, 2013閲覧。
- ^ "50,000ドル win for Nicklaus over Boros". Spokesman-Review. Associated Press: p. 11. (September 9, 1963). https://news.google.com/newspapers?id=uzhWAAAAIBAJ&sjid=7egDAAAAIBAJ&pg=5316%2C2965268