鹿間孝一
鹿間 孝一 (しかま こういち) | |
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生誕 |
????年??月??日 日本の旗 日本・北海道 |
国籍 | 日本の旗 日本 |
別名 |
産経新聞特別記者兼論説委員 元サンケイリビング新聞社 専務取締役 元日本工業新聞社専務取締役 |
教育 | 同志社大学 |
職業 |
ジャーナリスト コラムニスト |
活動期間 | 1975 - 現在 |
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鹿間 孝一(しかま こういち)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。産経新聞特別記者兼論説委員。夕刊1面(表紙)コラム「湊町365」の執筆者。サンケイリビング新聞社と日本工業新聞社の元専務取締役。
来歴・人物
[編集 ]1951年[1] 北海道生まれ。北海道立北海道小樽潮陵高等学校卒業[2] 。1975年、同志社大学法学部卒業[3] 後、産経新聞社入社。社会部の部長、編集局次長、編集長などを経て、2005年にサンケイリビング新聞社の常務取締役に。2006年、同社専務取締役に。2008年、日本工業新聞社専務取締役に。2010年、産経新聞特別記者兼論説委員兼「大阪特派員」。
長く務めた社会部「遊軍」記者として「広く浅く、何にでも興味を持つ」取材スタイルを持ち、産経新聞OBで作家の司馬遼太郎に憧れている[4] 。夕刊(関西圏)1面コラム「湊町365」の執筆にあたり「(朝刊1面コラム「産経抄」を40年間担当した石井英夫は)コラムの極意を『耳かき一杯ほどの毒を盛ること』表現した。ピリッと辛口のさじ加減が難しい。」、「(司馬と、石井の)両先輩にはとても及ばぬし、毒にもクスリにもならぬと言われそうだが、せめてクスリと笑わせるぐらいは...。」と述べている[5] 。
2011年の大阪ダブル選(2011年大阪府知事選挙、2011年大阪市長選挙)では、大阪維新の会とそれ以外の勢力の両方に、告示前に「『ノーサイド精神』で臨め」、当選後に「確執捨て『前進』を目指せ」と両陣営に是々非々で注文をつけ、一方で「再び大阪都構想が議論される」と予想した[6] 。
2013年5月13日の橋下徹 大阪市長が「慰安婦制度は必要だった」「沖縄の在日米軍は風俗業の活用せよ」と発言した際、ツイッターを駆使して持論や反論を展開する「橋下流は軌道修正が必要」として警鐘を鳴らし、橋下自身が「『あと数年たてば、賞味期限切れになる』と語っていたが、現実になるのは意外に早い」と再び予言。結果として、2015年12月の橋下の市長退任を2年6ケ月前に予想した[7] 。
2025年の大阪万博誘致について、2016年11月10日の日本記者クラブの会報にて、「『夢よもう一度』という『そろばん勘定』が先走る"同床異夢"に思える」と、警鐘を鳴らしている[8] 。
なお、ラジオ大阪の情報・報道番組「News Tonight いいおとな」に、月曜日の「アンカーマン」(コメンテーター)として出演している[9] 。
自身はプロ野球 阪神タイガースのファンで、趣味はゴルフという[4] 。
著書
[編集 ]共著
[編集 ]- 『新聞記者 司馬遼太郎』 - 扶桑社 2000年、文春文庫(文庫版) - 「産経抄」担当石井英夫や、産経新聞論説委員皿木喜久との共著
- 『20世紀かく語りき』 - 扶桑社 2000年
- 『なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件』 - 角川書店 2001年 - 弁護士の伊賀興一、教育学者の下村哲夫、大阪大学名誉教授で評論家の加地伸行らと共著
- 『ブランドはなぜ墜ちたか 雪印、そごう、三菱自動車事件の深層』 - 角川書店 2001年、角川文庫(文庫版) 2002年
関連項目
[編集 ]脚注・出典
[編集 ]- ^ https://www.sankei.com/article/20170514-XVSFXISMXNKDJCR5B3SOXVERJQ/
- ^ 産経ニュース2014年6月23日【ベテラン記者のデイリーコラム・鹿間孝一のなにわ逍遙】あと一歩だった甲子園 越境、関西弁...でも1県1校でいい
- ^ 産経ニュース2014年6月23日【ベテラン記者のデイリーコラム・鹿孝一のなにわ逍遙】鷹は飛び立つ...「懐かしの球場」はタイムマシンのような写真集だ
- ^ a b 産経ニュース2017年3月8日【鹿間孝一のなにわ逍遙】話題満載の春場所がやって来た
- ^ 産経新聞夕刊2010年10月4日「湊町365」第1回
- ^ 産経ニュース2015年11月27日【出前講義@関学】勇気ある「正論」を主張したい 論説委員・鹿間孝一の講義要旨
- ^ 産経新聞朝刊2013年5月18日【一筆多論】橋下流は「賞味期限切れ」か
- ^ 日本記者クラブ会報「新列島報告」大阪万博誘致 「夢よもう一度」そろばん勘定が先走り
- ^ News Tonight いいおとな - ラジオ大阪 出演者紹介