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高松公祐

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高松 公祐
時代 江戸時代後期
生誕 安永3年10月9日(1774年 11月12日)
死没 嘉永4年7月18日(1851年 8月14日)
官位 正二位権中納言
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 高松家
父母 父:高松季昵
兄弟 公祐、昵子
滋野井冬泰の養女[1]
実貫、季実直実唐橋、公子、西四辻公業保実
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高松 公祐(たかまつ きんさち)は、江戸時代後期の公卿歌人高松家3代当主。

経歴

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安永3年(1774年)、2代当主・高松季昵の子として誕生。

官位正二位権中納言。著書に『松葉集』がある。

嘉永4年(1851年)、薨去。

系譜

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歌道

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高松家は歌道の家であり公祐も二条派の歌人として活躍した。




脚注

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  1. ^ 滋野井公麗の娘

外部リンク

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