霊山寺 (大分市)
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霊山寺 | |
---|---|
所在地 | 大分県 大分市岡川855 |
位置 | 北緯33度9分45.8秒 東経131度34分54.3秒 / 北緯33.162722度 東経131.581750度 / 33.162722; 131.581750 座標: 北緯33度9分45.8秒 東経131度34分54.3秒 / 北緯33.162722度 東経131.581750度 / 33.162722; 131.581750 |
山号 | 飛来山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 十一面観音(霊山観音) |
創建年 | 708年 |
中興年 | 1623年 |
札所等 |
九州西国霊場第八番 百八観音霊場第八十二番 |
文化財 |
山門(大分市指定文化財) オオイタサンショウウオ・オオイタサンショウウオ生息地の弁天池(大分市指定天然記念物) |
法人番号 | 9320005000715 ウィキデータを編集 |
霊山寺 (大分市)の位置(大分県内) 霊山寺 (大分市) | |
テンプレートを表示 |
霊山寺(りょうぜんじ)は、大分県 大分市岡川にある天台宗の寺院。山号は飛来山(ひらいざん)。本尊は十一面観音。
概要
[編集 ]大分市南部にある霊山(標高610m)の中腹(標高約360m)に位置する。九六位山の円通寺、神角寺山の神角寺とともに豊後の三大寺院と称される[1] 。九州西国霊場第八番、百八観音霊場第八十二番。別名、霊山観音。寺院からは大分市内を一望でき、山門周辺の紅葉でも知られる。
歴史
[編集 ]708年(和銅元年)に、山麓の稙田荘の豪族が霊夢に従ってこの山中で十一面観音像を発見し、草堂に安置したのが起源とされる。その後、中国から那伽法師が来朝した際に伽藍を建立し、釈迦が説法したインドの霊鷲山(霊山)に山容が似ていたことから、あたかも霊鷲山がこの地に飛んできたようであるとして、飛来山霊山寺と名付けた。これに因んで、山の名前もかつての稙田山から、霊山と呼ばれるようになった。
この寺院には、天台宗の開祖である最澄を始め、空海、円仁等が訪れたとされ、814年(弘仁5年)の最澄による再訪を機に天台宗の寺院となった。1268年(文永5年)には、火災により伽藍を焼失するが、本尊は難を逃れ、大友氏の庇護により復興。1586年(天正14年)に起きた島津氏の豊後侵攻(豊薩合戦)の際に、観音堂を残して再び伽藍を失ったが、越前国から豊後 府内藩に移り住んだ松平忠直によって1623年(元和9年)に本堂、山門、鐘楼が再建された。その際に植えられたと伝えられる樹齢400年、樹高35m、幹周4.4mのスギが現存しており、1974年(昭和49年)2月1日に大分市の名木に指定されている[2] 。
脚注
[編集 ]- ^ 神角寺 スポット情報 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト
- ^ 大分市こどもページ 大分市指定名木22、25、26号 大分市
[脚注の使い方]
外部リンク
[編集 ]- 飛来山霊山寺公式サイト(新) 霊山寺
- 飛来山霊山寺公式サイト(旧) 霊山寺
- 霊山寺山門|大分市の文化財 大分市教育委員会事務局教育部 文化財課
- 霊山寺山門 大分市ロケーションオフィス
- 霊山寺|観光スポット 一般社団法人 大分市観光協会
- 霊山寺|坐禅・写経体験 一般社団法人 大分市観光協会
- おおいた市の四季(秋) 一般社団法人 大分市観光協会
- 霊山自然環境保全地域 大分県自然保護推進室 自然保護班
- 霊山セラピーロード|大分市森林セラピー 大分市林業水産課 森林セラピー担当班
- 霊山寺鐘撞堂|夜景スポット 一般社団法人 大分市観光協会
- 霊山|夜景スポット ミッドナイトおおいた
- 霊山展望台の夜景 yakei.jp こよなく夜景を愛する人へ
- 大分自然葬