随應院
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随應院 | |
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所在地 | 愛知県 豊田市 寺部町4-31 |
位置 | 北緯35度5分37.2秒 東経137度10分16.94秒 / 北緯35.093667度 東経137.1713722度 / 35.093667; 137.1713722 座標: 北緯35度5分37.2秒 東経137度10分16.94秒 / 北緯35.093667度 東経137.1713722度 / 35.093667; 137.1713722 |
山号 | 極楽山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 文明11年(1479年) |
開基 | 松平親忠 |
中興年 | 慶安5年(1652年) |
中興 | 渡辺治綱 |
正式名 | 極楽山不遠寺随應院 |
法人番号 | 9180305006138 ウィキデータを編集 |
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随應院(ずいおういん)は、愛知県 豊田市 寺部町4-31にある浄土宗の寺院。山号は極楽山。蓮の名所として知られている[1] 。
歴史
[編集 ]文明11年(1479年)、松平親忠が三河国 加茂郡力石(現・愛知県 豊田市力石町)に極楽山不遠寺浄土院と号す寺を創建したことに始まる[2] [3] 。長享2年(1488年)、寺部城初代城主鈴木重時が勧学院文護寺跡と伝わる現在地に移転し、香華寺を建立した[2] [3] 。
慶安5年(1652年)、渡辺治綱が母である随應院殿の三十三回忌法要を行った際、境内を整備し寺号を極楽山不遠寺随應院と改めた[3] 。
1910年(明治43年)、堂宮大工の小野田又蔵によって鐘楼門が建立された[4] 。
境内
[編集 ]本堂西側には、随應院殿を始めとする渡辺家奥方や三河鈴木氏の墓がある[3] 。
本堂には、松平親忠が寄進した本尊阿弥陀如来像が祀られている[3] 。
文化財
[編集 ]豊田市指定史跡
[編集 ]- 随應院渡辺家墓所[5]
ギャラリー
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鐘楼門
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中門
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本堂内陣
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渡辺家墓所
脚注
[編集 ]- ^ ツーリズムとよた 随應院
- ^ a b 浄土宗大辞典 随應院
- ^ a b c d e 随應院のパンフレットより
- ^ 『堂宮大工 小野田又蔵の世界』三好町立歴史民俗資料館、1991年
- ^ "豊田市の文化財(指定・登録・選定)". 豊田市 (2019年9月6日). 2019年9月21日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 随應院 ツーリズムとよた
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