陸奥記念館
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陸奥記念館 Mutsu kinen Museum | |
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地図 | |
施設情報 | |
正式名称 | 周防大島町立陸奥記念館[1] |
専門分野 | 海事歴史 |
事業主体 | 周防大島町 |
管理運営 | 周防大島町 |
開館 | 1972年11月 |
所在地 |
〒742-2601 山口県周防大島町大字伊保田2211-3 |
位置 | 北緯33度57分2.3秒 東経132度26分15秒 / 北緯33.950639度 東経132.43750度 / 33.950639; 132.43750 座標: 北緯33度57分2.3秒 東経132度26分15秒 / 北緯33.950639度 東経132.43750度 / 33.950639; 132.43750 |
アクセス | 後述 |
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陸奥記念館(むつきねんかん)は、山口県 周防大島町にある町立の博物館。戦艦 陸奥に関する遺物や遺品などが展示されている。
概要
[編集 ]旧日本海軍の戦艦陸奥が1943年(昭和18年)6月8日、瀬戸内海西部に位置する旧東和町の沖、現在の記念館の沖合3kmで爆沈した[2] 。戦艦陸奥は建造時、世界最強の戦艦として41cm主砲を装備し、連合艦隊の旗艦としても活躍したが、戦局に寄与することはなかった。現在も爆沈の原因は謎とされているが、1970年から1978年にかけて、深田サルベージによって船体の約75%が引き上げられ、多くの遺物・遺品、遺骨も引き上げられた。
→詳細は「陸奥 (戦艦)」を参照
その遺物の展示施設の建設構想が持ち上がり、東和町が事業主体として、1972年(昭和47年)11月、陸奥記念館として完成した[2] 。1994年(平成6年)に現在の場所に移転された[2] 。
入り口には艦首錨及び錨鎖が置かれており、また記念館に向かって右の丘には屋外展示物(スクリュー、14cm副砲、艦首先端部)と共に慰霊碑が建てられている。丘からは陸奥の沈んでいる海が一望できるようになっている。
展示内容
[編集 ]- 屋内 - 遺品や各種資料
- 屋外 - 艦首上部、スクリュー、14cm副砲、主錨等
利用情報
[編集 ]- 開館時間 - 9:00-16:30
- 休館日 - 無し(年中無休)
- 観覧料 - 大人430円 小人210円(その他なぎさ水族館共通チケット、団体割引有)
交通アクセス
[編集 ]- 自動車 - 国道188号経由、大島大橋を通過後左折、国道437号で50分[2] 、なぎさパーク内。
- バス - 山陽本線 柳井駅・大畠駅から防長交通バス「周防油宇」行きで「陸奥記念館前」下車。
- フェリー - 柳井港・松山港から周防大島 松山フェリーで伊保田港下船、徒歩10分。
脚注
[編集 ]関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ] スタブアイコン
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