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陳少帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
少帝 陳
陳朝
第13代皇帝
王朝 陳朝
在位期間 1398年 4月2日 - 1400年 3月23日
姓・諱
生年 光泰9年(1396年)[1] [2]
没年 不詳
順宗
欽聖皇后
元号 建新 : 1398年 - 1400年
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

陳少帝(ちんしょうてい、ベトナム語:Trần Thiếu Đế / 陳少帝)は、陳朝 大越の第13代(最後)の皇帝

生涯

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第12代皇帝・順宗の長男。光泰11年3月15日(1398年 4月2日)、父帝が母方の祖父の黎季犛に脅されて譲位させられると、わずか3歳で即位した[1] 。当然ながら幼年の少帝に実権はなく、国祖章皇を自称した[3] 黎季犛が全てを掌握していた。建新3年2月28日(1400年 3月23日)、黎季犛に禅譲を迫られて譲位した[3] 。ここに陳朝は滅び、胡朝が成立した。

は黎季犛の娘の子だったために助命され、保寧大王に封じられた[3] が、その後の記録はない。

出典

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  1. ^ a b 『大越史記全書』本紀巻之八 陳紀 順宗皇帝
  2. ^ 桃木(1982年)、86ページ・表I
  3. ^ a b c 『大越史記全書』本紀巻之八 陳紀 付胡季犛、漢蒼

参考文献

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  • 小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』〈中公新書〉1997年7月。 
  • 桃木至朗「陳朝期ヴェトナムの政治体制に関する基礎的研究」『東洋史研究』第41巻、第1号、1982年。 
先代
順宗
陳朝の第13代皇帝
1398年 - 1400年
次代
簡定帝(後陳朝)

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