鈴木道明
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曖昧さ回避
この項目では、作詞・作曲家でTBS社員の鈴木道明(どうめい)について説明しています。
- 実業家の鈴木道明(みちあき)については「鈴木道明 (実業家)」をご覧ください。
鈴木 道明 | |
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生誕 | (1920年11月12日) 1920年 11月12日 |
出身地 | 日本の旗 日本 東京府 (現東京都) |
死没 | (2015年12月23日) 2015年 12月23日(95歳没) |
学歴 | 早稲田大学卒業 |
ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 作詞家、作曲家、放送局社員 |
鈴木 道明(すずき どうめい、1920年 11月12日 - 2015年 12月23日 [注 1] [1] )は、日本の作詞家・作曲家。東京府(現東京都)出身。
経歴
[編集 ]旧制早稲田中学校、早稲田大学卒業。学生時代は競泳選手であり、1940年に開催される予定であった東京オリンピック日本代表候補選手であった。大学卒業後に帝国陸軍飛行戦隊に入営し、戦闘機の搭乗員として南方戦線に出征した経験を持つ。
復員後、発足したばかりのラジオ東京(後のTBS〔東京放送[注 2] 〕)に入社し、テレビ・ラジオの音楽番組のプロデューサーやディレクターとして数々の番組を担当し、TBSでは編成局次長や第二演出部長の要職に就いていた[2] 。
その一方ではソングライターとして西田佐知子、日野てる子などに自作の楽曲を提供・発表し、数々のヒット曲を世に送り出した。
その後創作活動から引退し、神奈川県 横浜市にて隠居生活を送っていた。
2010年(平成22年)に古賀政男音楽博物館に在る大衆音楽の殿堂顕彰者に選出された[3] 。
逸話
[編集 ]主な楽曲
[編集 ]- 西田佐知子
- 日野てる子
- ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー(1965年)
- 夏の日の想い出(1965年)
- 和田弘とマヒナスターズ
- 別れても愛してる(1963年)
- ブルー・ナイト・イン札幌(1968年)
賞詞
[編集 ]- 第50回日本レコード大賞 功労賞(2008年)
- 大衆音楽の殿堂顕彰者(2010年度)
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
注釈
[編集 ]- ^ 古賀政男音楽博物館『大衆音楽の殿堂』顕彰レリーフでは没年月日が2015年12月25日となっている。
- ^ 会社法人としては、現在の東京放送ホールディングス。放送局としては、現在のTBSテレビ・TBSラジオ。TBSの通称は、元々東京放送のものであったが、社名変更に伴い、TBSテレビに移行した。
出典
[編集 ]- ^ a b "前川日記". 放送人の会. 放送人の会. (2016年1月5日). http://hosojin.com/a-blog/maekawa/entry-527.html 2016年1月5日閲覧。
- ^ アーカイヴより 「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」を作曲した鈴木道明氏とは 安倍寧Blog 2012年11月12日(原典は名古屋テレビ広報誌『若い11』1966年3月号掲載)
- ^ 大衆音楽の殿堂(平成22年)顕彰者 古賀政男音楽博物館公式サイト
関連項目
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