野口淳吉
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野口 淳吉(のぐち じゅんきち、1880年(明治13年)11月14日 [1] - 1919年(大正8年)9月5日 [2] )は、明治から大正にかけての内務 官僚。
従兄は実業家の野口遵。義妹(弟の妻)は女性運動家の堀田くに。甥は作家の堀田善衛。大甥は経済学者の堀田一善。
経歴
[編集 ]富山県 士族野口忠五郎の次男として生まれる。旧制第四高等学校を経て、1906年に東京帝国大学 法科大学を卒業し、翌年11月高等文官試験に合格。12月16日栃木県警視に任じられ[3] 、1908年2月に福井県事務官に転じたのち、1910年7月14日秋田県事務官・秋田県警察部長[4] 、北海道庁事務官・北海道庁拓殖部長[1] 、1913年6月13日新潟県警察部長[5] 、1914年6月9日山口県内務部長に任じられた[6] [注釈 1] 。警視庁警務部長を務めたのち、1919年8月20日から朝鮮総督府警務局長を務めたが[7] 、在任中の1919年9月5日に死去した[2] 。