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遠藤泰子

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曖昧さ回避 アイドルの「遠藤康子」とは別人です。
えんどう やすこ
遠藤 泰子
プロフィール
愛称 やっこさん
出身地 日本の旗 日本 神奈川県 横浜市
生年月日 (1943年11月19日) 1943年 11月19日(80歳)
血液型 B型
最終学歴 立教大学文学部
職歴 TBSフリーランス
活動期間 1966年 -
出演番組・活動
出演中 森本毅郎・スタンバイ!
出演経歴 後述

遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年昭和18年〉[1] 11月19日 [2] [3] - )は、日本フリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)、声優ナレーター司会者である。

略歴・人物

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神奈川県 横浜市出身[1] で、立教大学文学部 [3] 日本文学科を卒業後、1966年にアナウンサー11期生としてTBSへ入社[1] した。立教大学時代は放送研究会に所属し一期下の後輩にみのもんたがいた。岩崎直子川戸惠子堀川友子藤田恒美 [4] [5] らが同期、大沢悠里が2期上、久米宏が1期下である。1967年11月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部[6] [7] 1969年3月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部[6] 1969年4月にラジオ局放送部兼第一制作部アナウンサー研修室付[6] 1970年7月にラジオ本部アナウンス室[6] [8] 、それぞれに在籍した。第16回民放CMコンクール・ラジオ第一種(20秒以内)「雪印乳業」で金賞を受賞[6] した。

1972年4月退社[9] [6] し、以後はおもにTBSラジオに出演するほかに講演、研修、ナレーション、朗読などをこなす。

「アナウンサーとはメインを張りたいものではないのだろうか」と問われ「永六輔さんにお会いしたとき、放送を通じて発せられる言葉はこういう人が紡ぐべきことなんだ、自分が何かを表現したいなんて思い違いだったと、痛感」して「聞く立場を自分の仕事と定めた」[1] と述べた。

1988年10月1日にJ-WAVEの開局第一声を担当した[10]

出演番組

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現在

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過去

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出版

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著書

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  • どんどんばんばん : ヤスコの被害妄想(1975年、文陽社)
  • あったかいことばで話したい―素敵な人と素敵な出会い(1989年、大和書房)
  • プロアナウンサーの「聞く力」をつける55の方法(2002年、PHP研究所)

編著

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雑誌連載

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  • 東京新聞(2001年4月 - 2003年3月)「言いたい放談」

脚注

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  1. ^ a b c d "TBSラジオの名物「76歳の最年長女子アナ」はただのいい人じゃない(2/6)". PRESIDENT Online (2020年7月6日). 2021年2月14日閲覧。
  2. ^ a b DJ名鑑 1987 三才ブックス、1987年2月15日、37頁。
  3. ^ a b "遠藤泰子". TBSラジオ. 2021年2月14日閲覧。
  4. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。「1966.4<11期生> 5人入社(女5) 岩崎直子 遠藤泰子 川戸(堀川)恵子 堀川友子 藤田恒美」 
  5. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20頁。「66.4 <11期生>5人入社 応募538名 岩崎 直子 遠藤 泰子 堀川 恵子 堀川 友子 藤田 恒美」 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20頁。「遠藤 泰子...[67.11 アナウンサー研修室付兼R局第一制作部][69.3 アナウンサー研修室付兼R局放送部][69.4 R局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室][72.4 退社] R「ダイヤモンドハイウェイ(66)」「今日は日曜日(68)」「パック・イン・ミュージック(69)」「永六輔の誰かとどこかで(69)」「土曜ワイド ラジオTokyo(70)」「おはよう片山竜二です(71)」「こんにちは、永六輔です(72)」 ★第16回民放CMコンクール、ラジオ第一種(20秒以内)「雪印乳業」で金賞受賞。」 
  7. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務者>今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎」 
  8. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、24頁。「1970年7月25日 「アナウンサー研修室」から『ラジオ本部アナウンス室』となる。」 
  9. ^ a b c 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。「遠藤泰子[1972.4退社] R「永六輔の誰かとどこかで(1969)」「土曜ワイドラジオTokyo(1970)」」 
  10. ^ 六本木流行通信 J-WAVEニュースルームblog「きょうは民放ラジオの日」 2009年3月3日(2017年3月19日閲覧)より。
  11. ^ "レディジョージィ". トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年7月8日閲覧。

参考文献

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  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)...国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • 付属資料DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書。PDFファイル。全34ページ)

外部リンク

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