近衛通子
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近衛 通子(このえ みちこ/つうし、長寛元年(1163年) - 没年不詳)は、高倉天皇の妃で、安徳天皇の准母。関白・近衛基実女。母は左京大夫藤原頭輔女。兄弟に近衛基通・粟田口忠良がいる。
略歴
[編集 ]治承年間(1177年 - 1181年)の初めごろ、非公式に高倉天皇のもとに入内した。言仁親王(のちの安徳天皇)が誕生するとその准母となった。養和元年(1181年)2月17日に准三宮となり、同年11月3日輦車で参内することを許された。
参考文献
[編集 ]関連項目
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