迎陽トンネル
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
迎陽トンネル(野庭町側) | |
概要 | |
---|---|
位置 | 神奈川県の旗 神奈川 横浜市 港南区 野庭町・日野南四丁目間 |
座標 |
北緯35度22分53.6秒 東経139度34分02.3秒 / 北緯35.381556度 東経139.567306度 / 35.381556; 139.567306 座標: 北緯35度22分53.6秒 東経139度34分02.3秒 / 北緯35.381556度 東経139.567306度 / 35.381556; 139.567306 地図 |
現況 | 供用中 |
運用 | |
建設開始 | 1908年(明治41年) |
完成 | |
開通 | 1915年(大正4年) |
閉鎖 | |
所有 | |
管理 | |
通行対象 | 自動車・徒歩 |
用途 | |
技術情報 | |
全長 | 42メートル |
道路車線数 | 2車線(片側1車線) |
最低部 | |
高さ | |
幅 | 8メートル |
勾配 | |
テンプレートを表示 |
迎陽トンネル(げいようトンネル)は、神奈川県 横浜市 港南区にあるトンネル。迎陽隧道(げいようずいどう)ともいう。
概要
[編集 ]港南区の野庭町(のばちょう)と日野南(ひのみなみ)四丁目の境は、南北に走る標高80メートル級の山岳稜線に隔てられ、稜線西の野庭側は柏尾川 水系の一つ平戸永谷川の支流・馬洗川の谷、対する東の日野南側は大岡川の支流・日野川の谷である。トンネル開通以前、この野庭と日野とを結ぶ道は、現在のトンネルの北東にあった山道だったが、曲がりくねる急坂道で往来は危険、降雨時には使用不能だった[1] 。
当時、野庭には「野庭炭鉱」という亜炭を採掘する炭鉱が存在したが、1908年(明治41年)、トンネル開通を望んだ野庭村民と炭鉱業者が協力して岩盤を7年かけて人力で掘削し[2] [3] 、1915年(大正4年)に開通させた[4] 。
現在のトンネルは、1978年(昭和53年)の改修工事で幅8メートルに拡幅されたもの。
脚注
[編集 ]- ^ "第4章 鎌倉下の道 8・迎陽トンネル(『こうなん道ばたの風土記(改訂版)』より)". 横浜市 (2018年7月13日). 2020年10月18日閲覧。
- ^ "横浜に炭鉱があったって本当?(前編)". はまれぽ. (2013年5月29日). http://hamarepo.com/story.php?story_id=1925&from=http%3A%2F%2Fhamarepo.com%2Fsearch.php%3Fsearch%3D%25E4%25BA%259C%25E7%2582%25AD%26search_rdo%3D1%26fromStory%3D1925 2020年10月18日閲覧。
- ^ "横浜に炭鉱があったって本当?(後編)". はまれぽ. (2013年6月10日). https://hamarepo.com/story.php?story_id=1950 2020年10月18日閲覧。
- ^ 現地、由緒書看板より
参考文献
[編集 ]- 港南の歴史研究会1999年(平成11年)10月発行『こうなん道ばたの風土記(改訂版)』
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- "第4章 鎌倉下の道 8・迎陽トンネル(『こうなん道ばたの風土記(改訂版)』より)". 横浜市 (2018年7月13日). 2020年10月18日閲覧。