身代神社
身代神社(このしろじんじゃ)は、埼玉県 南埼玉郡 宮代町の神社。宮代町の「代」の由来となった神社である。
歴史
[編集 ]1242年(仁治3年)に創建された。別当寺だった「龍光院」の「身代山由来記」によれば、武蔵国 足立郡大宮郷(現・埼玉県さいたま市 大宮区)の氷川神社の祭神である素戔嗚命と同じであり、その素戔嗚命が大蛇を退治して清々(すがすが)しさを感じたことから、当地を「須賀(すが)」と命名したという。龍光院は本山派 修験道の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた[1] 。
1873年(明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた[1] 。
「このしろ」の由来
[編集 ]「身代」は身代金(みのしろきん)の例でもわかるように、通常は「みのしろ」と読み、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』でも当社の「身代」を「みのしろ」としている[2] 。しかし、当社は昔から「このしろ」と読んでいる。これは食用の海水魚「コノシロ」に由来しており、次のような逸話が残されている[1] 。
ある時、某武将が奥州に逃れる際に、その姫君が追手に捕まりそうになった。当時の村人はコノシロの魚を焼き、追手にその臭いを嗅がせ、「姫は既に亡くなり、荼毘に付している。」と説明した。コノシロを焼いた臭いは、遺体を焼く臭いに似ていた。追手は納得し、それ以上の追跡を諦めた。これにより姫は命拾いをした。姫はこれに感謝して当社を祀ったという。
交通アクセス
[編集 ]- 東武動物公園駅より徒歩20分。
脚注
[編集 ]- ^ a b c 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、1464-1465p
- ^ 新編武蔵風土記稿 須賀村.
参考文献
[編集 ]- 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年
- 「須賀村 身代明神社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ207埼玉郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/71。
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