趙友鳳
獲得メダル | ||
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中華人民共和国の旗 中国 | ||
陸上競技 | ||
アジア競技大会 | ||
金 | 1990年 北京 | 女子マラソン |
趙 友鳳(ちょう ゆうほう、英 Zhao Youfeng、1965年 5月5日 - )は、中国の元陸上競技選手(長距離)で陸上競技指導者。1980年代末から1990年代初めにかけて女子マラソンでアジアのトップランナーであった。
来歴
[編集 ]中国・江蘇省 南京市郊外の出身[1] 。4人兄妹の末っ子だった(上に兄3人)[1] 。
1980年代半ばに愛知県陸上競技協会から江蘇省を訪問した竹内伸也(当時愛知教育大学教授で愛知県陸上競技協会強化委員長)に才能を見いだされ、もう一人の選手とともに日本に陸上留学する(滞在経費はすべて竹内が負担した)[2] [注釈 1] 。来日したのは1986年秋だった[3] 。来日当初は竹内の自宅に住み込み[1] 、競技と生活の両面で指導を受けた。
1987年3月の名古屋国際女子マラソンで初マラソンを走るが、直前の風邪による発熱もあり、2時間48分43秒に終わる[1] 。4月の兵庫リレーカーニバルでは10000mに出場し、荒木久美・浅井えり子・小島和恵ら日本のトップランナーを抑えて優勝した[1] 。
1988年3月、前年に続き2回目のマラソンとなる名古屋国際女子マラソンに出場[1] 。当時はまったくの無名選手であったが、レースでは連覇をねらったオランダのカーラ・ビュースケンス (英語版)との競り合いに勝って、マラソン初優勝を遂げる[1] 。ゴールタイムの2時間27分56秒は、1月の大阪国際女子マラソンで宮原美佐子が樹立したばかりの記録(2時間29分37秒)を、1分半以上も上回るアジア女子最高記録であった[1] 。この成績により、中国のソウルオリンピック女子マラソン代表に選出される。
同年9月のソウルオリンピック本番でも、20位台と不調の日本代表3選手(浅井えり子・荒木久美・宮原美佐子)を尻目に20kmまで先頭集団に入り、五輪メダル獲得はならなかったが2時間27分06秒の自己ベスト記録で、5位入賞を果たした[4] 。オリンピック女子マラソンでの入賞は、アジアの選手としては初めてだった。
名古屋国際女子マラソンでは翌1989年も2時間28分20秒で優勝、大会初の2連覇を達成する[5] 。1990年4月のロンドンマラソンに出場、2時間29分35秒で4位に入るが、このとき両足の指の付け根を痛める[6] 。痛みが完治しないまま迎えた9月の北京アジア競技大会では、途中で先行した日本代表の荒木久美を抜き返し、19秒差で抑えて、2時間35分15秒のタイムで故国の大会での金メダリストとなった[6] 。同年10月に愛知教育大学大学院の試験を受ける[6] 。のちに愛知教育大学大学院に進学。
大学院修了後は、竹内が監督を務める東海銀行の陸上部に進む。しかし、外反母趾や坐骨神経痛などを持病として抱えるようになる[7] 。治療のため手術も受けたが、以前のような好成績をあげることはできず、1995年に名古屋国際女子マラソンの完走(2時間40分45秒・25位)を最後に、競技から退いた。引退後もコーチとして東海銀行(のちUFJ銀行)の陸上部に所属し、世界陸上選手権代表となる大南博美・敬美 双子姉妹などを指導。この間結婚し、2000年に出産を理由にUFJ銀行を退社。
2001年より至学館高等学校陸上部で指導。2008年よりスズキの陸上競技部コーチに就任し、2010年に同部が企業直属の実業団チームからクラブチームであるスズキ浜松アスリートクラブへと体制が変更された後も指導をしていた(2021年現在は退任)。
家族
[編集 ]2000年に生まれた娘の牛佳慧(ぎゅう かえ)は、浜松開誠館高等学校時代の2018年と2019年に全国都道府県対抗女子駅伝に出場している[9] 。2019年春からは拓殖大学に進学し[10] 、2021年12月の全日本大学女子選抜駅伝競走大会では2区に出走して3人を抜いた[11] 。2023年1月の全国都道府県対抗女子駅伝では静岡県チームの1区に起用されたが、33位と苦戦した[12] 。2023年4月からは日本郵政グループ女子陸上部に所属する[13] 。
その弟で2003年生まれの牛誠偉(ぎゅう せい)は静岡県立浜松商業高等学校時代の2019年と2020年に全国高等学校駅伝競走大会に出場した[14] (2021年からは東京国際大学所属[15] )。
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b c d e f g h 「新星 趙(中国)が初優勝 名古屋国際女子マラソン」朝日新聞1988年3月7日、20頁
- ^ a b 「ひと 女子マラソンで中国選手を優勝させた竹内伸也さん」朝日新聞1988年3月7日、3頁
- ^ a b 「『恩返しは金メダル』マラソン留学の中国・趙選手」朝日新聞1990年8月23日、22頁
- ^ 朝日新聞1988年9月24日19頁
- ^ 「趙が底力、2連覇」朝日新聞1989年3月6日、25頁
- ^ a b c 「趙、荒木かわす」朝日新聞1990年10月1日、24頁
- ^ 【マラソン】土佐、右足激痛で失速中日新聞2008年8月18日[リンク切れ ]
- ^ Rotary Weekly Bullten Vol.52 (PDF) - 浜松南ロータリークラブ(2017年3月)2021年12月30日閲覧。
- ^ "浜松開誠館・牛佳慧「優勝に貢献したい」13日駅伝". 日刊スポーツ . (2019年1月10日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201901100000661.html 2021年12月29日閲覧。
- ^ 〜今、つなぐ思い〜 全日本大学女子駅伝 直前SP」 - 価格.com(2020年10月24日放映の内容紹介)
- ^ "拓大6位、浜松開誠館高出身の牛佳慧が3人抜き、不破に刺激...全日本大学女子選抜駅伝". スポーツ報知 . (2021年12月30日). https://hochi.news/articles/20211231-OHT1T51028.html?page=1 2022年5月21日閲覧。
- ^ "<全国都道府県対抗女子駅伝競走大会> 県勢19位". 中日新聞 . (2023年1月16日). https://www.chunichi.co.jp/article/618295 2023年1月23日閲覧。
- ^ "日本郵政グループに3選手が新加入!名門高エースの杉森心音と田島愛梨、拓大卒・牛佳慧の強力トリオでクイーンズ駅伝V奪還へ". 月陸Online. (2023年4月3日). https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/97150 2023年4月5日閲覧。
- ^ "浜松商・牛が都大路へ気合「粘りの走りを見せたい」". 日刊スポーツ. (2020年12月10日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202012110000182.html 2021年12月29日閲覧。
- ^ 部員・スタッフ紹介 -駅伝部- - 東京国際大学(2021年9月現在)2021年12月29日閲覧。
外部リンク
[編集 ]1980年代 | |
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1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
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1983年までは20km、2011年までは名古屋国際女子マラソン、国は当時 |