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諫山春樹

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(2016年2月)
諫山 春樹
生誕 1894年 2月11日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1990年06月12日) 1990年 6月12日(96歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915 - 1945
最終階級 陸軍中将
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諫山 春樹(いさやま はるき、1894年(明治27年)2月11日 - 1990年(平成2年)6月12日)は、日本陸軍 軍人陸軍中将

福岡県出身。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年 10月25日国民政府代表との降服式典に台湾総督 安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。

経歴

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官吏・諫山虎鹿の二男として生れる。中学明善校熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、陸軍士官学校を卒業。1915年12月、陸軍歩兵 少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。

1925年8月、歩兵第38連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、フランス大使館武官補佐官などを経て、1930年8月、歩兵少佐に昇進。歩兵第24連隊付、参謀本部員などを歴任し、1937年11月、歩兵大佐に進級し参謀本部課長に就任。独立歩兵第11連隊長を経て、1940年8月、陸軍少将に昇進し陸大付となる。1943年10月、陸軍中将に進み、終戦を第10方面軍参謀長として台湾で迎えた。

1946年4月、戦犯容疑により逮捕され、同年7月、終身刑の判決を受けた。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1] 1955年9月に仮釈放となった。のち、富士自動車工業 専務を務めた。

年表

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栄典

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勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  2. ^ 『官報』・付録 1941年11月14日 辞令二
  3. ^ 『官報』第4705号「叙任及辞令」1942年9月14日。
  4. ^ 佐藤徳外十六名外国勲章記章受領及佩用允許の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504000 

関連項目

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