西雲院
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西雲院 | |
---|---|
西雲院 | |
所在地 | 京都府 京都市 左京区黒谷町121 |
位置 | 北緯35度1分12.1秒 東経135度47分22.3秒 / 北緯35.020028度 東経135.789528度 / 35.020028; 135.789528 |
山号 | 紫雲山 |
宗派 | 浄土宗 |
寺格 | 金戒光明寺 塔頭 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 元和2年(1616年)4月8日 |
開山 | 心誉宗厳 |
正式名 | 紫雲山西雲院 |
別称 | 紫雲石 、萬日寺 |
札所等 | 通称寺の会(紫雲石) |
法人番号 | 6130005002428 ウィキデータを編集 |
西雲院の位置(京都市内) 西雲院 | |
テンプレートを表示 |
オープンストリートマップに西雲院の地図 があります。
西雲院(さいうんいん)は、京都市 左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。大本山 金戒光明寺の塔頭。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称の「紫雲石(しうんせき)」で知られる。
歴史
[編集 ]当院は、元和2年(1616年)4月8日に朝鮮の出身で、文禄・慶長の役の際に日本に連れてこられて後に僧となった宗厳によって開創された。
その際、金戒光明寺に保存されていた承安5年(1175年)に法然上人が座ったという石・紫雲石を、金戒光明寺第27世桑誉了的により授けられている。
元和9年(1623年)に中坊長兵衛により紫雲石堂が建立されたが廃れ、後に宗信により延宝8年(1680年)に再建されている。
一心不乱に念仏を唱える宗厳の下には多くの僧侶が集まり、また多くの寄進を集めたという。宗厳が始めた千日念仏惣回向は宗厳死後も続けられ、万日念仏惣回向、三万日念仏惣回向、四万日念仏惣回向(約100年)まで続けられた。そのために当院は萬日寺とも称せられた。
金戒光明寺は文久2年(1862年)以降は京都守護職・松平容保率いる会津藩の本陣となっていたことから、当院は京都で亡くなった会津藩士の菩提寺となっている。
四季折々に花の絶えない寺で、春は牡丹、夏は蓮やサルスベリ、秋は紅葉が美しい。
境内
[編集 ]- 本堂
- 庫裏
- 東門
- 紫雲石堂 - 延宝8年(1680年)に宗信により再建。承安5年(1175年)に法然上人が座ったという石・紫雲石を安置している。扁額「紫雲石」は照高院道晃による筆。
- 山門
- 松平容保像
- 会津藩士352名の墓 - 毎年6月に会津松平家の当主を招き法要が行われている。
- 海保青陵の墓 - 儒者。
- 池玉瀾の墓 - 池大雅の妻。
前後の札所
[編集 ]- 通称寺の会(紫雲石)
住所
[編集 ]- 京都府京都市左京区黒谷町121
交通アクセス
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 梅原猛、京都新聞社編集局、連載「京都遊行」より
- 山折哲雄、槇野修「京都の寺社505を歩く」PHP新書2007年 ISBN 978-4-569-69247-0