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藤島誠剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤島 誠剛
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県 岩国市
生年月日 (1969年10月03日) 1969年 10月3日(55歳)
身長
体重
182 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手内野手(一塁手)
プロ入り 1987年 ドラフト3位
初出場 1992年4月4日
最終出場 2004年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

藤島 誠剛(ふじしま せいごう、1969年 10月3日 - )は、山口県 岩国市出身の元プロ野球選手(外野手内野手)。右投右打。

来歴

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岩陽高では高校通算68本塁打を放つなど活躍。これは同期の鈴木健に次ぐ当時の2位の記録であった。

1987年のプロ野球ドラフト会議において、日本ハムファイターズから3位指名を受け入団した。

1992年は、一軍にプロ入り初出場を開幕スタメンで果たす。

1994年イースタン・リーグで打率.318(首位打者)、少ない打席ながらも19本塁打(2位)、60打点(3位)を記録するが、一軍では1安打しか打てず、後半は二軍暮らしだった。

1995年は、4月2日にプロ入り初本塁打を記録するなど、8月末まで一軍に帯同した[1]

1996年は、一軍では16打数0安打で、通算打率が1割を切るようになった(153打数15安打、打率.098)。二軍では10本塁打を放つ[2]

1997年は4月22日の対福岡ダイエーホークス戦(東京ドーム)で1点を追う9回二死一塁の打席でホセ・ヌーニェスから逆転サヨナラ2点本塁打を放った[3]

1999年には満塁本塁打を2本放つなど、一軍で活躍した時期もあった。また、同年9月25日の福岡ダイエーホークス初優勝決定時の最終打者であり、三振を喫している。

2002年はオープン戦の首位打者となり、開幕スタメンとなった。4月22日の大阪近鉄バファローズ戦では2本塁打8打点と活躍した。

2003年にはイースタン・リーグ史上3人目の100本塁打を記録する[4] (最終的に108本塁打)。

2004年5月29日、イースタン・リーグの西武ライオンズ戦でファーム通算100本塁打を達成した。同年オフに球団から戦力外通告を受け、17年間の現役生活を終えた。

引退後はタクシー運転手に転職し、その後不動産 コンサルティング会社勤務を経てジーレップス·パートナーズ株式会社の取締役を務めているが、2023年2月現在、法人としての登録は存在するものの会社のホームページやリンクが確認できない。

2023年シーズンから応援歌が今川優馬に流用されている。

選手としての特徴・人物

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目を見張るパワーを備えているが[5] 、好不調の波が大きかった[6]

ニックネームは「ジャイアン[7] 。容貌が『ドラえもん』のジャイアンに似ているということからその愛称が付いた(このことは、日外アソシエーツから発行していた「プロ野球人名事典」にも取り上げられた)。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1992 日本ハム 31 52 49 6 6 1 0 0 7 3 0 0 0 1 2 0 0 24 2 .122 .154 .143 .297
1994 25 31 29 3 1 1 0 0 2 1 0 2 0 0 1 0 1 11 1 .034 .097 .069 .166
1995 52 70 59 5 8 1 0 1 12 6 3 2 1 0 10 0 0 19 2 .136 .261 .203 .464
1996 25 19 16 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 2 0 1 7 0 .000 .158 .000 .158
1997 73 22 20 16 3 1 0 1 7 2 4 0 1 0 0 0 1 10 0 .150 .190 .350 .540
1999 50 121 110 14 27 3 1 7 53 21 3 1 0 0 11 0 0 35 4 .245 .314 .482 .796
2000 35 46 39 7 6 2 0 1 11 4 0 0 1 0 5 0 1 12 0 .154 .267 .282 .549
2001 38 108 98 11 25 5 0 4 42 19 1 1 1 1 6 0 2 25 2 .255 .308 .429 .737
2002 47 140 127 15 29 3 0 5 47 23 3 0 2 3 8 1 0 38 3 .228 .268 .370 .638
2003 21 49 42 6 12 3 0 3 24 6 0 0 0 0 5 0 2 13 3 .286 .388 .571 .959
2004 8 21 18 3 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 3 0 0 8 0 .167 .286 .333 .619
通算:11年 405 679 607 88 120 20 1 23 211 86 15 6 6 5 53 1 8 202 17 .198 .269 .348 .617

表彰

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記録

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背番号

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  • 36(1988年 - 2004年)

脚注

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  1. ^ 12球団'96プロ野球全選手百科名鑑159頁
  2. ^ 12球団'97プロ野球全選手百科名鑑131頁
  3. ^ 「藤島今季初打席逆転サヨナラ弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)4月23日付朝刊、18 - 19面(スポーツ面)。
  4. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/news/202106240000363.html
  5. ^ 『プロ野球選手名鑑2001』ベースボール・マガジン社、2001年、256頁。ISBN 4-583-61131-5 
  6. ^ 『プロ野球選手名鑑2003』ベースボール・マガジン社、2003年、309頁。ISBN 4-583-61214-1 
  7. ^ "日本ハム野手の番号だった「36」 和製大砲・藤島誠剛が歴代最長17年間 - プロ野球 : 日刊スポーツ". nikkansports.com. 2021年11月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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