藤堂長守
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤堂 長守(とうどう ながもり、正保4年4月18日(1647年 5月22日) - 元禄10年閏2月7日(1697年 3月29日))は、津藩士名張藤堂家(藤堂宮内家)第3代。伊賀国 名張1万5000石の領主。通称は九八郎、右近、宮内。父は名張藤堂家第2代・藤堂長正。母は生駒正俊の娘。祖父は藤堂高吉。兄弟は藤堂長宥、藤堂長定、桂草因室、藤堂隼人長好室、本阿弥光常室、隅屋惣左衛門室、有馬涼竹室、小澤宇右衛門正言室。子は長源。
父長正より名張1万5000石の領地を相続する。残された書状から関白 鷹司房輔とも付き合いがあったことがわかっている。元禄16年(1697年)閏2月7日没。享年51。葬地は名張徳蓮院。家督は嫡男の長源が相続した。弟の兵部長宥は3000石格で分家した。
外部リンク
[編集 ]宗家 | |
---|---|
分家・支流 | |
久居家 | |
名張家 | |
出雲家 |