コンテンツにスキップ
Wikipedia

藤原幸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"藤原幸子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2015年6月)

藤原 幸子(ふじわら の こうし、天永3年(1112年) - 久寿2年6月1日(1155年 7月2日)[1] )は、藤原頼長正室。父は徳大寺実能、母は藤原顕隆の娘。二条天皇の皇后育子の姉。待賢門院璋子は父・実能の妹で叔母に当たる。

頼長14歳、幸子22歳の年に結婚したが、子宝には恵まれず、弟公能の娘多子(のちの近衛天皇の皇后)を養女とした。

頼長は男女いずれに対しても好色で知られるが、幸子は嫡室として大切にされたようである。

脚注

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /