藤原中正
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時代 | 平安時代前期から中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 仲正 |
官位 | 従四位上、摂津守 |
氏族 | 藤原北家 魚名流(山蔭流) |
父母 |
父:藤原山蔭 母:筑前介有孝の娘(姓不詳) |
兄弟 | 有頼、公利、如無、遂長、言行、兼三、中正、元善子、娘(藤原定方室) |
妻 |
源友貞の娘 橘巌子(橘澄清の娘) |
子 | 安親 、為保、景興、茂秀、時姫、藤原雅材室 |
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藤原 中正(ふじわら の なかまさ)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。名は仲正とも記される[1] 。藤原北家魚名流(山蔭流)、中納言・藤原山蔭の七男。官位は従四位上・摂津守。
経歴
[編集 ]醍醐朝で右近衛少将を、朱雀朝で左京大夫・弾正大弼を歴任。また、時期は明らかでないが受領として摂津守も務めた。
子女に恵まれ、中正の娘たちは藤原兼家や藤原雅材へ嫁ぎ、藤原道長・東三条院(藤原詮子)は中正の外孫にあたる。また、伊達氏など有力な武家がその子孫と称した。
官歴
[編集 ]- 時期不詳:蔵人 [2]
- 延長4年(926年) 正月29日?:右近衛少将 [3]
- 承平4年(934年) 12月27日:見左京大夫 [4]
- 天慶5年(942年) 11月25日:見弾正大弼 [4]
- 時期不詳:摂津守 [2]