薬王寺 (真庭市)
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薬王寺 | |
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薬王寺の山門とイチョウ 薬王寺の山門とイチョウ | |
所在地 | 岡山県 真庭市台金屋193 |
位置 | 北緯35度04分29秒 東経133度45分45秒 / 北緯35.07475度 東経133.76247度 / 35.07475; 133.76247 座標: 北緯35度04分29秒 東経133度45分45秒 / 北緯35.07475度 東経133.76247度 / 35.07475; 133.76247 |
山号 | 岡松山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
寺格 | 中本山 |
本尊 | 薬師如来 |
法人番号 | 5260005008454 |
地図
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薬王寺(やくおうじ)は、岡山県 真庭市にある薬師如来を本尊とする真言宗御室派 中本山の寺院。岡松山薬王寺。
概要
[編集 ]薬師如来を本尊とする真言宗御室派中本山の寺院。山門は江戸時代初期に建てられ、客殿は江戸時代後期のもの(本堂が焼失したため、客殿は現在本堂として利用されている)。岡本豊彦など京都狩野四条派の作家たちによる襖絵、障壁画30余点があり[1] 、「円山・四条派の襖絵の寺」として知られている。
沿革
[編集 ]奈良時代、地元の豪族であった白猪臣が建立した寺、五反廃寺跡に建てられた寺と伝えられる。その後、弘法大師が訪れ、真言宗となった。当時は七堂伽藍の揃う大寺院であり、金堂や五重塔の礎石などが出土している[2] 。
1172年(承安2年)には、香川県 善通寺より僧が来て事務をとっている。僧が入山した記念として造像された小さな金銅仏が残り、背面に「承安2年」と刻まれている[2] 。襖絵は幕末の住職、竹処上人と四条派の作家岡本豊彦の交遊より生まれたものである。また、近くの五反地区には白猪屯倉跡の碑が残っている。
襖絵
[編集 ]- 襖絵「野水に兎図」岡本豊彦[3]
- 襖絵「滝山水図」岡本亮彦 [3] (子のいない豊彦が養子として迎えた弟子)
- 襖絵「雲龍図」塩川文麟 [3]
- 襖絵「楼閣山水図」塩川文麟[3] (壁画三間、襖絵四枚、障子腰絵四枚で構成。1449年嘉永2年[4] 。)
- 襖絵「釈迦修行図」岡本常彦 [3]
- 襖絵「孔雀図」古市金峨 [3]
- 襖絵「月下松雁図」古市金峨[3]