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蓮実進

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(2013年7月)
蓮実 進
はすみ すすむ
生年月日 (1933年02月12日) 1933年 2月12日(92歳)
出生地 栃木県 那須郡 那須町
出身校 明治大学政治経済学部卒業
前職 衆議院議長秘書官
所属政党 (自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
親族

選挙区 (旧栃木1区→)
比例北関東ブロック
当選回数 4回
在任期間 1993年 7月18日 - 2005年 8月8日
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蓮実 進(はすみ すすむ、1933年 2月12日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。

来歴・人物

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栃木県 那須郡 那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校明治大学政治経済学部を卒業する。

作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年江川事件にも関わった。

1983年栃木県選挙区参議院議員 補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。

1993年第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。その後、2000年第42回衆議院議員総選挙2003年第43回衆議院議員総選挙でも比例単独での当選となる。

2005年第44回衆議院議員総選挙でも渡辺との公認争いに敗れるが、党の方針により比例区単独での立候補が2回までとされているため、やむなく荒井広幸の参議院転出により空白区となっていた福島3区に転出。しかし、地盤に隣接する選挙区とは言え県境を超える急な転出であったための準備不足に加え、元々は郵政民営化に反対する荒井の地盤であることなど悪条件が重なり民主党現職の玄葉光一郎に大差を付けられ、落選した。

2007年第21回参議院議員通常選挙では、栃木県選挙区にて自民党現職の国井正幸ではなく民主党現職の谷博之を支援したとされる。この行動は保守地盤の那須地方において、民主党が自民党の得票を上回る原動力となった。

2008年、自民党を離党、次期総選挙は民主党公認で栃木3区からの出馬を目指している事を表明した。しかし、2009年1月に渡辺が自民党を離党した事を受け、同選挙区における自民党の公認を再度申請したが、公認は見送られた。結局、無所属でも出馬はしなかった。

外部リンク

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公職
先代
林幹雄
佐藤泰三
日本の旗 国土交通副大臣
岩井國臣と共同

2004 - 2005
次代
江﨑鐵磨
岩井國臣
定数5
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第41回
(定数21)
自由民主党
新進党
民主党
日本共産党
社会民主党
第42回
(定数20)
自由民主党
民主党
公明党
自由党
日本共産党
社会民主党
第43回
(定数20)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第44回
(定数20)
自由民主党
民主党
公明党
日本共産党
社会民主党
第45回
(定数20)
民主党
自由民主党
公明党
みんなの党
日本共産党
第46回
(定数20)
自由民主党
日本維新の会
民主党
公明党
みんなの党
日本未来の党
日本共産党
第47回
(定数20)
自由民主党
民主党
公明党
維新の党
日本共産党
第48回
(定数19)
自由民主党
立憲民主党
希望の党
公明党
日本共産党
第49回
(定数19)
自由民主党
立憲民主党
公明党
日本維新の会
日本共産党
国民民主党
第50回
(定数19)
自由民主党
立憲民主党
国民民主党
公明党
れいわ新選組
日本維新の会
日本共産党
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選

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