菊池文吾
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菊池 文吾(きくち ぶんご、1895年(明治28年)4月6日 [1] - 1946年〈昭和21年〉6月28日 [2] )は、日本の実業家。
日本レイヨン第2代社長。日本レイヨン初代社長菊池恭三の四男であり、妻は貴族院議員 下郷久成の二女[3] 。
人物・経歴
[編集 ]大阪府 菊池恭三四男。1895年に市立大阪商業学校(現大阪公立大学)卒業後、アメリカ合衆国にて遊学した。丸川商事社長、杉村倉庫取締役、尾三電力取締役、日本レイヨン取締役[3] 、日本レイヨン常務を歴任し、1938年から父の後任として日本レイヨン社長を務めた[4] 。また、南海鉄道監査役[5] 、スフ製造工業組合監事[6] 、日本化学繊維研究所監事なども兼任した[7] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 『菊池恭三翁伝』菊池恭三翁伝記編纂事務所、1948年、p.171。
- ^ 朝日新聞 1946年7月1日、2面。
- ^ a b 菊池文吾 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]名古屋大学
- ^ 1927年(昭和2年)〜1945年(昭和20年)昭和初期の世界恐慌と戦時下の経営ユニチカ
- ^ 南海鉄道(株)『南海鉄道発達史』(1938.09)
- ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 繊維工業(09-090) 大阪毎日新聞 1941年10月26日 (昭和16) 再編成絶対必要 当局積極的意向を闡明
- ^ 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 羊毛(5-007) 時事新報 1936年8月20日 (昭和11) 濠毛何ンぞ恐れん代用品制覇へ驀進 大阪の伊藤氏二十万円投出し京大に研究所を建つ
参考文献
[編集 ]- 『財界 Vol.16』財界研究所、1962年。