荒川橋梁 (八高線)
荒川橋梁 | |
---|---|
荒川橋梁(2014年11月) | |
基本情報 | |
国 | 日本の旗 日本 |
所在地 | 埼玉県 大里郡 寄居町 |
交差物件 | 荒川 |
建設 | 1932年-1934年 |
構造諸元 | |
形式 | ワーレントラス橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 137.8 m |
幅 | 5.5 m |
最大支間長 | 66 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |
テンプレートを表示 |
荒川橋梁(あらかわきょうりょう)は、埼玉県 大里郡 寄居町寄居と同町折原の間で荒川に架かる東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の鉄道橋である。
概要
[編集 ]橋梁は荒川河口から95.7 kmの位置で[1] 折原駅と寄居駅の間を流れる荒川に架かる。両岸とも河岸段丘域になっていて低水路と断崖上の段丘面との高低差が大きいことから、堤防などの河川設備がないため、橋梁のアプローチ区間は存在せず、橋は右岸側と左岸側の段丘面を直接結んでいる。 形式は開床式鋼橋の鉄道橋梁で、橋長は137.8 mである。右岸側の1径間は単線上路平行弦ワーレントラス桁で、鋼材重量189 tf(重量トン)、支間長66 m(WTT466-2[注釈 1] )である。左岸側の3径間は単線上路プレートガーダー(内、寄居側の2径間はポーナル型プレートガーダー)である。キャットウォーク(作業用通路)が橋の下流側に設けられている。橋の両側はカーブしており、左岸側は半径300メートルの曲線で右にカーブしている[2] 。
諸元
[編集 ]- 構造形式 - 下路式平行弦ワーレントラス(1径間)
- 橋長 - 137.8メートル[1]
- 幅員 - 5.5メートル[1]
- 鋼重 - 189 tf
- 活荷重 - KS14
- 着工 - 1932年(昭和7年)11月1日[3]
- 竣工 - 1934年(昭和9年)4月15日[3]
- 開通 - 1934年(昭和9年)10月6日
- 施工主体 - 鉄道省
- 橋桁製作 - 川田工業(トラス桁)
歴史
[編集 ]当橋梁は鉄道省八高線の最後まで未開通だった小川町・寄居間の延伸工事に伴って架けられたものである。施工は請負で合資会社西本組(現、三井住友建設)が行い、1934年(昭和9年)10月6日に小川・寄居間が開通し[4] 、八高線は全通した。線形は折原から寄居の市街地に向けて直線的に設計すると、両地域の高低差が大きいことから、荒川に建設する橋梁は大規模なものを架けなければならず、さらに急勾配な路線となってしまうため、市街地の西側に大きく迂回して勾配を緩和するような線形となった[2] 。開通当時の橋梁は現在の秩父鉄道 荒川橋梁の様な5径間連続の単線上路式プレートガーダー橋であった[5] 。左岸側2径間は支間長19.50メートルのポーナル型プレートガーダー橋で、他の3径間よりスパン長が短くなっている。橋脚はコンクリート製である。橋桁の架設はトラスの手延べ桁を使用した押し出し工法が用いられている。 1949年(昭和24年)6月1日に日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)が発足し国鉄の橋梁となった。 また、荒川橋梁が架けられた当時、左岸は大里郡寄居町、右岸は大里郡折原村だった1955年(昭和30年)の合併により両岸とも寄居町となった。この橋は1958年(昭和33年)に橋脚が補修された[4] 。
最も南側の流心の箇所に存在した第1号橋脚は河床低下や流水による洗掘の影響を受け、根固め工の流失が生じた[6] ことから渡河部分である右岸側2径間のプレートガーダーと共に撤去され、代わりに1986年(昭和61年)[4] に耐候性鋼を使用した川田工業製(現、川田テクノロジーズ)の1径間の下路式平行弦ワーレントラス橋[7] に架け換えられ、現在に近い状況に改修されている。
1987年(昭和62年)4月1日に橋梁は国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された。
周辺
[編集 ]橋の左岸側は寄居町の市街地である。橋の周囲は埼玉県立長瀞玉淀自然公園区域に位置している[8] 。 また、この付近の荒川は河岸段丘域で[9] 深い渓谷を刻み、河岸は岩肌が目立つ。かつては橋が架けられている付近には、江戸期より子持瀬の渡し(上の渡しとも)と呼ばれる秩父道に属する私設の渡船場が存在した[10] [11] 。
風景
[編集 ]-
荒川橋梁のプレートガーダー桁。左側2径間はポーナル型プレートガーダー橋である。
-
右岸下流側より。
-
通常桁とポーナル桁との架け違い部分。
-
左岸側橋詰より望む。
隣の橋
[編集 ]脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b c "企画展「荒川の橋」荒川・隅田川の橋(amoaノート第8号)" (PDF). 荒川下流河川事務所(荒川知水資料館). 2005年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月4日閲覧。
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究 東京北部・埼玉篇(2)』草思社、2003年12月1日、191頁。ISBN 978-4-7942-1267-2。
- ^ a b 『八高線建設工事概要』 222頁。
- ^ a b c 荒川橋1934年10月6日 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2022年6月1日閲覧。
- ^ 『八高線建設工事概要』 220頁。
- ^ "橋梁の変状と地盤の関係の考察 website=土木学会" (PDF). 2022年6月1日閲覧。
- ^ 耐候性鋼橋梁 実績資料集 第14版(2007 年度受注まで) (PDF) - 日本橋梁建設協会(2009年1月). 2022年6月1日閲覧。
- ^ "埼玉県の自然公園". 埼玉県ホームページ (2014年10月1日). 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月4日閲覧。
- ^ "かわはくだより第9号". 埼玉県立川の博物館 . p. 5 (2000年12月25日). 2015年1月4日閲覧。
- ^ a b 埼玉県立さきたま資料館編集『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』24頁-41頁・67-74頁、埼玉県政情報資料室発行、1987年(昭和62年)4月
- ^ "「埼玉の舟運と現在も残っている河岸の歴史」調査報告書 - 調査表 北本・本庄・熊谷方面" (PDF). 彩の川研究会. p. 199 (2015年3月). 2020年3月29日閲覧。
参考文献
[編集 ]- 「八高線建設工事概要」『土木建築工事画報』第10巻第11号、工事書報社、1934年11月1日、219-222頁。 (土木学会図書館)
外部リンク
[編集 ]- 荒川橋梁 - 有限会社フカダソフト(きまぐれ旅写真館)
- 彩の国デジタルアーカイブ - プレートガーダー橋だった頃の荒川橋梁の写真が収録されている(写真検索で「八高線 荒川橋梁」の検索結果を参照)。
荒川 (関東)の橋 | |
---|---|
(上流) - 入川橋 - 二瀬ダム - 秩父湖大橋 - 三十槌橋 - 大滝橋 - 大中橋 - 新神岡橋/神岡橋 - 登竜橋 - 上石橋 - 大血川橋 - 万年橋 - 白川橋 - 平和橋 - 荒川橋(国道140号) - 日野鷺橋 - 久那橋 - 柳大橋 - 巴川橋 - 櫻橋 - 佐久良橋 - 秩父公園橋 - 武之鼻橋 - 秩父橋 - 和銅大橋 - 秩父やまなみ大橋/新皆野橋 - 皆野橋 - 栗谷瀬橋 - 親鼻橋 - 秩父鉄道秩父本線荒川橋梁 - 金石水管橋 - 高砂橋 - 白鳥橋 - 葉暮橋 - 寄居橋 - 玉淀ダム - 末野大橋 - 折原橋 - 八高線荒川橋梁 - 正喜橋 - 東武東上本線荒川橋梁 - 玉淀大橋 - 花園橋 - 荒川橋(関越道) - 重忠橋 - 荒川第二水管橋 - 植松橋 - 押切橋 - 熊谷大橋 - 荒川大橋/新荒川大橋(国道407号) - 久下橋 - 大芦橋 - 荒川水管橋 - 糠田橋 - 滝馬室橋(滝馬室冠水橋) - 御成橋 - 原馬室橋(原馬宮冠水橋) - 高尾橋 - 荒井橋 - 圏央道荒川橋 - 太郎右衛門橋 - 樋詰橋 - 西野橋 - 開平橋 - 上江橋 - 川越線荒川橋梁 - 治水橋 - 羽根倉橋 - 秋ヶ瀬橋 - 武蔵野線荒川橋梁 - 幸魂橋/幸魂大橋 - 笹目橋 - 戸田橋 - 東北新幹線・埼京線荒川橋梁 - 東北本線荒川橋梁 - 新荒川大橋(国道122号) - 鹿浜橋 - 五色桜大橋 - 江北橋 - 扇大橋 - 日暮里・舎人ライナー荒川橋梁 - 西新井橋 - 千住新橋 - 千代田線荒川橋梁 - 常磐線荒川橋梁 - つくばエクスプレス線荒川橋梁 - 東武伊勢崎線荒川橋梁 - 京成本線荒川橋梁 - 堀切橋 - 新荒川橋 - 四ツ木橋 - 新四ツ木橋 - 京成押上線荒川橋梁 - 木根川橋 - 平井大橋 - 総武本線荒川橋梁 - 小松川大橋/新小松川大橋 - 荒川大橋(首都高7号線) - 船堀橋 - 新宿線荒川橋梁 - 葛西橋 - 東西線荒川中川橋梁 - 清砂大橋 - 荒川河口橋 - 荒川湾岸橋 - 京葉線荒川橋梁 - (河口) | |
コモンズ コモンズ・カテゴリ カテゴリ |
座標: 北緯36度6分46.7秒 東経139度11分4.1秒 / 北緯36.112972度 東経139.184472度 / 36.112972; 139.184472