茨田久比麻呂
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茨田 久比麻呂(まんだ の くひまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓はなし。山背国 紀伊郡の人。
記録
[編集 ]孝謙朝の天平勝宝3年(751年)3月の「茨田久比麻呂解」によると、一族の石男・大垣とともに、大宅賀是麻呂と良賤を争い、山背忌寸族登与足らの東大寺奴婢18人(見寺侍17人)が庚午年籍より五比七比の祖父母籍に良人として貫され、賤民にあらざることを訴えたことが見えている[1] [2] 。
脚注
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参考文献
[編集 ]- 竹内理三・山田英雄・平野邦雄編『日本古代人名辞典』6 - 1635・1636・1637頁、吉川弘文館、1973年
- 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』591頁、吉川弘文館、1990年
- 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』255頁、三省堂、1993年
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