若合春侑
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若合 春侑 (わかい すう) | |
---|---|
誕生 |
(1958年08月11日) 1958年 8月11日(66歳) 日本の旗 宮城県 塩竈市 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本の旗 日本 |
教育 | 学士(文学) |
最終学歴 | 國學院大學 文学部神道学科卒業 |
活動期間 | 1998年 - |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『海馬の助走』(2002年) |
主な受賞歴 |
文學界新人賞(1998年) 野間文芸新人賞(2002年) |
デビュー作 | 『腦病院へまゐります。』(1999年) |
ウィキポータル 文学 | |
テンプレートを表示 |
若合 春侑(わかい すう、1958年 8月11日 [1] - )は、日本の小説家。
経歴・人物
[編集 ]宮城県 塩竈市生まれ[2] 。本名は山野辺優子(やまのべ ゆうこ)[3] 。仙台白百合学園高等学校を卒業する[1] 。東北学院大学 経済学部 経済学科を卒業する[1] 。広告代理店営業社員、新聞社アルバイト、添削指導員などを経る[1] 。
1998年、「腦病院へまゐります。」で第86回文學界新人賞を受賞する[4] [5] 。同年、同作が第119回芥川龍之介賞の候補作に選ばれる[6] 。同年5月より、執筆活動に専念する[7] 。同年、「カタカナ三十九字の遺書」が第120回芥川龍之介賞の候補作に選ばれる[7] 。1999年、「掌の小石」が第121回芥川龍之介賞の候補作に選ばれる[7] 。同年、『腦病院へまゐります。』が第21回野間文芸新人賞の候補作に選ばれる[6] 。2002年、『海馬の助走』で第24回野間文芸新人賞を受賞する[6] 。2005年、國學院大學 文学部神道学科を卒業する[7] 。
作品リスト
[編集 ]単行本
[編集 ]- 『腦病院へまゐります。』(1999年7月 文藝春秋 / 2003年7月 文春文庫)
- 腦病院へまゐります。 - 『文學界』1998年6月号
- カタカナ三十九字の遺書 - 『文學界』1998年12月号
- 『世閒樣かくありき』(2001年9月 集英社)
- 世閒樣かくありき - 『すばる』1999年7月号
- 産婆コト始メ - 『すばる』2000年6月号
- たをやめの木乃伊 - 『すばる』2001年4月号
- 『無花果日誌』(2002年2月 角川書店 / 2005年7月 角川文庫)
- 無花果日誌 - 『本の旅人』2001年2月号 - 2002年1月号
- 『海馬の助走』(2002年9月 中央公論新社)
- 海馬の助走 - 書き下ろし
- 掌の小石 - 『文學界』1999年6月号
- 『蜉蝣』(2003年6月 角川書店)
- 蜉蝣 - 『鳩よ!』2000年4月号 - 2001年6月号
アンソロジー収録
[編集 ]単行本未収録
[編集 ]- 小説
- 「奏楽の午後」 - 『東京新聞』2000年1月29日夕刊
- 「義眼を拾った生娘の話」 - 『群像』2000年12月号
- 「せせらぎ」 - 『群像』2003年8月号
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
出典
[編集 ]- ^ a b c d ウーラノス | 東北学院大学
- ^ e-hon 『蜉蝣』の若合春侑さん | 全国書店ネットワーク
- ^ 若合春侑の履歴
- ^ Webマガジン ブンゲイ・ピュアフル
- ^ 楽天ブックス: 海馬の助走 - 若合春侑 - 4120033112 : 本
- ^ a b c 若合春侑-芥川賞候補作家|芥川賞のすべて・のようなもの
- ^ a b c d 文化の港 シオーモ | 作家・若合春有
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- 若合春侑事務所 - 公式サイト
- 「厭離穢土」は「飛翔」に非ず。 - 公式ブログ