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花山院家長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
花山院家長
時代 鎌倉時代中期
生誕 建長5年(1253年)
死没 文永11年7月2日(1274年 8月5日)
官位 従二位権中納言
主君 後嵯峨上皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 花山院家
父母 父:花山院通雅、母:藤原国通の娘
兄弟 家長家教通定、雲雅、円雅
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花山院 家長(かさんのいん いえなが)は、鎌倉時代中期の公卿太政大臣花山院通雅の長男。官位従二位権中納言

経歴

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以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の記事に従って記述する。

  • 建長7年(1255年)1月5日、叙爵。
  • 正嘉元年(1257年)12月20日、従五位上に昇叙。
  • 正嘉2年(1258年)1月6日、正五位下に昇叙。同年3月8日、従四位下に昇叙。
  • 正元元年(1259年)11月16日、左中将に任ぜられる[1] 。同年12月25日、従四位上に昇叙。
  • 正元2年(1260年)3月29日、武蔵権介を兼ねる。
  • 弘長2年(1262年)1月5日、正四位下に昇叙。なお、同日に弟の家教が叙爵されている。また、同年7月16日には父・通雅が右大将に任ぜられている。
  • 文永3年(1266年)2月1日、土佐介を兼ねる。
  • 文永5年(1268年)8月25日、春宮権亮を兼ねる。同年12月2日には父・通雅が内大臣となる。
  • 文永6年(1269年)1月5日、従三位に叙せられる。中将は元の如し。同年4月に父・通雅が右大臣に転任。
  • 文永8年(1271年)3月21日に父・通雅が右大臣を辞し、同月27日代わりに家長が参議を経ず権中納言に任ぜられる。同年4月8日、勅授帯剣を許される。
  • 文永9年(1272年)正三位に昇叙か。
  • 文永11年(1274年)1月7日、従二位に昇叙。同年7月2日、薨去。

脚注

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  1. ^ 公卿補任』によれば元侍従

参考文献

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