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芦沢真矢

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芦沢 真矢
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県 中巨摩郡 櫛形町
生年月日 (1958年01月01日) 1958年 1月1日(67歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1975年 ドラフト5位
初出場 1978年 5月17日
最終出場 1987年 10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
この表について
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芦沢 真矢(あしざわ しんや、1958年 1月1日 - )は、山梨県 中巨摩郡 櫛形町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。選手時代の登録名は「芦沢 優」(あしざわ まさる)。

役者の芦澤梨沙(作家名義:沙川りさ)は娘[1]

来歴・人物

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プロ入り前・プロ入り後

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巨摩高では、四番・捕手として1975年 夏の甲子園予選北関東大会決勝に進出。群馬の強豪である樹徳高を破って高校初の甲子園出場を果たすが、選手権大会では2回戦(初戦)で三重高に敗退[2]

同年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。

1978年に一軍へ初昇格し、同年は6試合に先発マスクを被る。その後も大矢明彦の控えとして起用される。

1981年には大矢の衰えや、二番手捕手であった八重樫幸雄の不振もあって30試合に先発出場を果たす。

1983年からは正捕手に定着した八重樫の控えとなる。

1986年には秦真司が台頭、出場機会が減った。

1988年限りで現役引退[3]

引退後

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引退後は広島東洋カープに移籍し、ブルペン捕手(1989年 - 1990年)→一軍バッテリーコーチ補佐(1991年 - 1992年)→二軍コーチ補佐(1993年 - 1994年)→一軍コーチ補佐(1995年)→一軍ブルペンコーチ(1996年 - 1997年)を歴任。

1998年から2000年までは家族を広島に残し、台湾大聯盟台中金剛でバッテリーコーチを務めた[4]

2001年に山梨へ帰郷。

2004年までの約4年間は産業廃棄物の処理センターに勤務。

2005年四国アイランドリーグ香川オリーブガイナーズ初代監督に就任。

2006年にはチームを優勝へと導いたが、同シーズン限りで監督を退任。その後は同球団のチームアドバイザーとなる。

2007年には新たに発足した北信越BCリーグ石川ミリオンスターズ運営部長も兼任した。2007年のシーズンはこの2つのチームがそれぞれのリーグで優勝を果たし、グランドチャンピオンシップを争う形になったが、芦沢は石川の運営部長として参加した(結果は香川が優勝)。

2008年、BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督に就任し、2年ぶりに現場に復帰。2008年7月12日、前年最下位のチームを上信越地区の前期優勝に導き、改めて指導力を示した。後期は地区2位。後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズは2連敗し、年間プレーオフ進出はならなかった。

2009年は前後期とも2位となり、前後期優勝の群馬と対戦した地区優勝決定シリーズ(群馬は1勝すれば優勝)に敗退し、前年に続いて地区年間優勝を逃した。

2010年は前期地区3位、後期地区2位の成績で通算勝率2位。3年連続の出場となった前後期優勝の群馬との地区優勝決定シリーズは前年に続いて敗退し、地区年間優勝はならなかった。2010年シーズン限りで契約満了に伴い退団[5] 2011年横浜ベイスターズ一軍ブルペンコーチを務めた。

退任後は工事現場での勤務を経験。

2014年学生野球資格を回復し、日本航空高等学校の臨時コーチを務めた。

2015年2月に啓明学園高等学校の監督に就任した[6]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1978 ヤクルト 17 27 25 2 3 1 0 0 4 0 0 0 1 0 1 0 0 6 0 .120 .154 .160 .314
1979 6 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .000 .167 .000 .167
1980 17 20 19 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .211 .250 .211 .461
1981 81 162 153 14 36 8 1 3 55 21 0 1 4 0 4 0 1 37 3 .235 .259 .359 .619
1982 31 41 36 7 4 0 0 1 7 4 0 0 0 0 5 0 0 9 2 .111 .220 .194 .414
1983 13 22 21 2 6 1 0 0 7 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .286 .318 .333 .652
1984 37 41 38 2 6 2 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 2 7 1 .158 .220 .211 .430
1985 36 41 37 3 11 4 0 1 18 7 0 0 1 0 2 0 1 10 0 .297 .350 .486 .836
1986 31 56 50 3 10 1 0 0 11 1 0 0 3 0 3 0 0 11 1 .200 .245 .220 .465
1987 11 19 19 0 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .211 .211 .211 .421
通算:10年 280 435 403 33 84 17 1 5 118 38 0 1 9 0 19 0 4 93 8 .208 .251 .293 .544

年度別守備成績

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年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1978 17 13 10 3 .231
1979 3 3 1 2 .667
1980 3 0 0 0 ----
1981 41 19 14 5 .263
1982 10 5 4 1 .200
1983 7 4 0 0 .000
1984 16 6 4 2 .333
1985 19 19 13 6 .316
1986 23 24 18 6 .250
1987 10 8 7 1 .125
通算 149 101 75 26 .257

背番号

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  • 29 (1976年 - 1988年)
  • 97 (1989年 - 1997年)
  • 88 (1998年 - 2000年)
  • 3 (2005年 - 2006年、2008年 - 2010年)
  • 89 (2011年)

登録名

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  • 芦沢 優 (あしざわ まさる、1976年 - 1988年)
  • 芦沢 真矢 (あしざわ しんや、1989年 - )

脚注

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  1. ^ 渡辺弥生「新入社員研修・司会業・講演:ヤクルトOB芦沢優さん 娘さんが作家デビュー」『今より輝く 心と言葉の使い方 〜プロ野球名選手と中村天風の教えから〜』2020年4月28日。2024年9月13日閲覧
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ "一般職の経験から痛感した「人間力」の大切さ 元プロ・啓明学園の芦沢監督歩んだ紆余曲折の道". 高校野球ドットコム (2019年2月15日). 2021年5月31日閲覧。
  4. ^ 芦沢真矢- 台灣棒球維基館
  5. ^ http://www.niigata-albirex-bc.jp/news.php/archives/id/492/ [リンク切れ ]
  6. ^ "啓明学園・芦沢真矢監督 「努力を発揮してほしい」". 月刊高校野球チャージ! (2021年9月14日). 2021年10月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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監督歴

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