美作女王
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美作女王(みまさかじょおう/みまさかのおおきみ、生年不明 - 延暦8年7月7日(789年 8月2日))は、奈良時代後期の皇族・女官。官位は尚掃・従四位上。
生涯
[編集 ]系譜は未詳だが、宝亀7年(776年)、无位から従四位下に昇叙しているところから[1] 、親王の娘であることが分かる[2] 。延暦5年(786年)には従四位上に昇るが[3] 、同8年(789年)7月、尚掃で藤原春蓮と同日に没[4] 。
翌延暦9年(790年)、河内国 志紀郡にあった1町の位田は、大納言の職田に改置された[5] 。
官歴
[編集 ]『続日本紀』による
脚注
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参考文献
[編集 ]- 『続日本紀』5 新日本古典文学大系16 岩波書店、1998年
- 宇治谷孟訳『続日本紀(下)』講談社学術文庫、1995年
- 『日本古代人名辞典』6、p1680、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1973年
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