竹内正志
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竹内 正志(たけのうち / たけうち[1] まさし、1854年 5月12日(嘉永7年4月16日) - 1920年(大正9年)9月3日)は、明治期の政治家、ジャーナリスト。正五位。
経歴
[編集 ]岡山藩士の息子として生まれる。漢学を修め、大阪の開成学校を経て慶應義塾へ入学。栗原亮一らと共に藩閥打破を目指して新聞を創刊。
沼間守一の毎日新聞に入って、板垣退助の自由党創立に参加。1894年(明治27年)衆議院議員に当選し(以後当選8回)、中国進歩党を組織。農務省水産局長に勅任。主戦論を主張し、大同倶楽部へと入党。
脚注
[編集 ]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』387頁。
参考文献
[編集 ]- 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、375-376頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777715 。 (近代デジタルライブラリー)
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
東京海洋大学学長(水産講習所長:1898年) | |
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