神明社 (白石市)
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神明社 | |
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拝殿(2018年8月) | |
所在地 | 宮城県 白石市益岡町1-17 |
位置 | 北緯38度0分10.8秒 東経140度36分57.3秒 / 北緯38.003000度 東経140.615917度 / 38.003000; 140.615917 (神明社 (白石市)) 座標: 北緯38度0分10.8秒 東経140度36分57.3秒 / 北緯38.003000度 東経140.615917度 / 38.003000; 140.615917 (神明社 (白石市)) |
主祭神 |
天照大御神 伊達政宗 片倉景綱 |
創建 | 大同2年(807年) |
例祭 | 4月15日、10月16日 |
地図 |
神明社の位置(宮城県内) 神明社 神明社 |
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神明社(しんめいしゃ)は、宮城県 白石市にある神社。旧社格は郷社。
祭神
[編集 ]- 天照大御神(アマテラスオオミカミ)
- 伊達政宗
- 片倉景綱
歴史
[編集 ]当社は平安時代初期の807年(大同2年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の勧請が創始とされる。その後藤原秀衡、当社に南接する白石城を築いた蒲生氏郷、会津加増時に当地を治めた上杉景勝に庇護された。1600年(慶長5年)、白石城の戦いによって伊達政宗が城を奪取。1602年、その先鋒として活躍した片倉景綱が城主となり片倉家の崇敬社、同城の鎮守社となった。1871年(明治4年)、仙台藩廃藩に伴い衰微したが、1876年に村社に列した。1899年に起こった大火で社殿の大部分を消失し、翌年に白石城二の丸跡であった現在地に移転し本殿を再建、1906年には拝殿を造営する[1] 。1909年から1914年にかけて5つの神社を合祀。1927年(昭和2年)郷社となる[2] 。
現地情報
[編集 ]- 所在地
- 交通アクセス
- 最寄駅:東北本線 白石駅から徒歩15分
- 自動車:東北自動車道 白石インターチェンジより車10分
脚注
[編集 ]出典
[編集 ][脚注の使い方]