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矢野広美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 バスケットボール選手の「矢野祐未」あるいは愛媛県のローカルタレントの「やのひろみ」とは別人です。
矢野 広美
Hiromi Yano
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1955年01月05日) 1955年 1月5日(70歳)
出身地 山梨県 南巨摩郡 増穂町(現富士川町)
ラテン文字 Hiromi Yano
身長 174cm
体重 67kg
選手情報
ポジション 主にセンター
利き手
獲得メダル
バレーボール
オリンピック
1976 女子
世界選手権
1974 女子
1978 女子
ワールドカップ
1977 女子
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矢野 広美(やの ひろみ、現姓:池田、1955年 1月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。

来歴

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山梨県 南巨摩郡 増穂町(現富士川町)出身。増穂商業高校入学直後からバレーボールを始める。インターハイは3年連続出場し活躍した。

増穂商業を卒業後、日本リーグの日立武蔵(当時)に入団。

1973年に日本代表に選ばれて、1976年モントリオールオリンピックで金メダルを獲得した。

1979年に現役引退後は、竜王中[どこ? ]などのコーチを務め、2009年4月より山梨県の日本航空高等学校バレーボール部の監督に就任[1] 。同月山梨県高校春季大会にて監督として初采配、母校増穂商業と対戦しフルセットの末、優勝を飾る。

人物・エピソード

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中学時代の部活動はコーラス部だったが、高校入学式当日にバレーボール部監督に、170cmの長身を見込まれて勧誘を受けた。農業を営む両親は、最初は「お好きなように」と認めてくれたが、農繁期でも家業を手伝いできず、矢野がバレーボール部活動を続けることに後に反対にまわったという。

日立武蔵に入団を決めたのは、山田重雄が言った「モントリオールオリンピックを目指しているから協力してくれ」の一言だったという。日立武蔵入団後には前年のレギュラーが4人同時に抜けたこともあり、吉田真理子高柳昌子との同期ライバル競争に勝ち、都市対抗バレー(現・黒鷲旗大会)からレギュラーを獲得した。

球歴

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受賞歴

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所属チーム

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脚注

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  1. ^ 月刊バレーボール 2009年6月号 89ページ

参考文献

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  • 月刊バレーボール 1973年10月号 172-175ページ

外部リンク

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日本の旗 バレーボール全日本女子

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