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新田貞靖

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由良 貞靖/新田 貞靖
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天明5年4月9日(1785年 5月17日)
死没 明治2年2月9日(1869年 2月19日)
改名 松平寿之助、由良久之助(幼名)、頼靖(初名)、貞靖、新田貞靖
別名 新田四位侍従
戒名 徳勝院殿施道良門大居士
墓所 芝二本榎の國昌寺
官位 従四位上 侍従播磨守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉家慶家定家茂
氏族 守山松平家由良氏
父母 松平頼亮、川上氏
由良貞陰
兄弟 松平頼孝松平頼慎武田信典貞靖
知久頼衍、伴、都子
新田貞時正室
貞時
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新田 貞靖(にった さだやす)は、江戸時代後期の高家 旗本由良家11代当主。維新以前は由良 貞靖を名乗った。

生涯

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天明5年(1785年)、陸奥国 守山藩3代藩主・松平頼亮の四男または五男[1] として誕生。文化11年(1814年)3月27日、由良貞陰の養子となった。同年7月22日、貞陰の隠居により家督を相続する。同年9月22日、11代将軍・徳川家斉御目見し、表高家となる。

文政2年12月24日(1820年)、高家職に就任し、諸大夫と成り改名を命ぜられ、名乗りを久之助から播磨守と改める。天保13年(1842年)5月15日、従四位下に昇進する。嘉永5年(1852年)5月26日、高家肝煎となり、役料800俵を賜る。嘉永7年(1854年)2月18日、従四位上。文久3年(1863年)12月21日、高家肝煎を辞し、雁之間高家末席となる。元治元年(1864年)7月29日、養子・貞時に家督を譲る。その際500俵を隠居料として賜る。

慶応4年(1868年)、隠居の身ながら家臣と協議し、新田姓に復することを決議する。貞時と共に新田姓となり、「新田四位侍従」と呼称された。

明治2年(1869年)2月9日、死去。享年85。法名は徳勝院殿施道良門大居士。

菩提寺は、新田由良家歴代と同じく芝二本榎の國昌寺。

系譜

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脚注

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  1. ^ 「新田家系譜」[要文献特定詳細情報 ]
五三桐紋 由良(新田)家11代当主(1814年 - 1864年)
宗家

貞氏 - 貞治 - 貞国 - 国繁 - 成繁 - 景繁 - 泰繁 - 成繁 - 国繁 - 貞繁 - 忠繁 - 貞房 - 頼繁 - 貞長 - 貞整 - 貞通 - 貞雄 - 貞陰 - 貞靖 - 貞時 - 貞善 - 貞觀 - 貞康 - 義基 -

分家・支流

高家横瀬家

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