由利正通
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由利 正通(ゆり まさみち、1899年(明治32年)8月7日[1] - 1963年(昭和38年)9月14日[1] [2] )は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集 ]華族・由利公通の二男として生まれ、兄・公真の養子となる[1] [3] 。兄の隠居に伴い、1926年(大正15年)11月1日、子爵を襲爵した[1] [3] [4] 。
1923年(大正12年)3月、東京帝国大学 経済学部商業学科を卒業[2] [3] [5] 。同年、三菱銀行に入社[2] 。その後、三井信託に勤務した[2] 。
1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6] [7] 、研究会に属して活動し1946年(昭和21年)7月22日まで1期在任した[2] [8] [9] 。
著作
[編集 ]- 訂補、三岡丈夫 [編]『子爵由利公正伝』由利正通、1940年。
親族
[編集 ]- 祖父:由利公正 [1]
- 妻:満子(みつこ、石川慎一三女)[1]
- 婿養子:由利淳三郎 - 旧姓・山中。三井石油開発社長・会長。慶応義塾大学経済学部卒業、同大学院修了。祖父の山中清兵衛は豪商「亀清両替店」の長男で、安田善次郎の手代として長年奉公ののち安田の援助で現物屋となり株式仲買人として成功した人物[10] [11] 。父の2代目山中清兵衛(旧名・木村金之助)は、祖父の夫婦養子となって家業の株屋を継ぎ、東京府高額納税者に名を連ねた[12] [1] 。実兄の山中清一郎は三井信託銀行社長・会長。甥に氏家卓也。守安祥太郎とは慶応幼稚舎時代からの友人でピアノ仲間だった[13] 。
- 長女:洋子(淳三郎妻)[1]
脚注
[編集 ]- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』820頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』59頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ユ3頁。
- ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正12年 至大正13年』東京帝国大学、1924年、卒業生姓名21頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
- ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、56頁。
- ^ 『官報』第5872号、昭和21年8月10日。
- ^ 山中清兵衛氏『財界名士失敗談. 上巻』 朝比奈知泉 (碌堂) 編 毎夕新聞社 明42
- ^ 【1907年】証券(明治40年)▷「亀清両替店」(山中清兵衛、兜町)ジャパンアーカイブス
- ^ 山中清兵衛『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『そして、風が走り抜けて行った - ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯』植田紗加栄、講談社、1997年、p98
参考文献
[編集 ]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 由利公真 |
子爵 由利(公正)家第3代 1926年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |