田原本藩
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(田原本県から転送)
田原本藩(たわらもとはん)は、大和国 十市郡田原本(現在の奈良県 磯城郡 田原本町田原本)の田原本陣屋に藩庁を置いた藩。ただし、正式に藩(大名の所領)であったのは明治維新期のごく短期間であり、江戸時代を通じては交代寄合(参勤交代を行う格式の旗本)平野家の知行地であった。平野氏は鎌倉幕府の執権 北条氏の庶流の子孫という。
概要
[編集 ]田原本藩の藩主家は平野氏である。ただし、藩としての成立は慶応4年(1868年)7月14日、新政府の計らいによって1万石の大名となってからであり、いわば「維新立藩」によるものであった。平野氏の祖である長泰は豊臣秀吉に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで戦功を挙げて「賤ヶ岳の七本槍」の一人となり、大和国内に5000石の知行を与えられた。その後、長泰の表立った活躍はあまり見られないが、領内においては支配体制を固め、善政を敷き、特に領内における寺内町は「大和の大坂」と呼ばれ、大いなる賑わいを見せたという。
長泰の死後、跡を継いだ長勝は、陣屋の構築などに尽力している。しかし小領主のため次第に財政が悪化して、江戸時代中期以降は領民に御用金を課すことも少なくなかった。平野氏は9代にわたったが、実際に正式な藩主だった期間は石高が1万石となって大名になっていた長裕のわずか3年間だけであった。
歴代領主
[編集 ]- 平野家
交代寄合表御礼衆 5000石→1万石
- 平野長泰(ながやす)
- 平野長勝(ながかつ)
- 平野長政(ながまさ)
- 平野長英(ながふさ)
- 平野長暁(ながあき)
- 平野長里(ながさと)
- 平野長純(ながずみ)
- 平野長興(ながおき)
- 平野長発(ながゆき)
- 藩主 平野長裕(ながひろ)
幕末の領地
[編集 ]北海道地方 |
| |
---|---|---|
東北地方 | ||
関東地方 |
| |
北陸・甲信地方 | ||
中部地方 | ||
近畿地方 |
| |
中国地方 | ||
四国地方 | ||
九州地方 | ||
関連項目 | ||
藩庁の置かれた地域を基準に分類しているが、他の地方に移転している藩もある。順番は『三百藩戊辰戦争事典』による。 明治期の変更: ★=新設、●くろまる=廃止、○しろまる=移転・改称、▲さんかく=任知藩事前に本藩に併合。()内は移転・改称・併合後の藩名。()のないものは県に編入。 |