田中亮一 (政治家)
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田中亮一 たなか りょういち | |
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生年月日 | 1890年 8月29日 |
出生地 | 日本の旗 日本 佐賀県 |
没年月日 | (1945年12月26日) 1945年 12月26日(55歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済科卒業 |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(立憲政友会→) (無所属→) 日本自由党 |
選挙区 | 佐賀県第1選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1928年 - 1930年 1月21日 1932年 - 1945年 12月18日 |
千歳村長 | |
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田中 亮一(たなか りょういち、1890年(明治23年)8月29日 [1] - 1945年(昭和20年)12月26日 [2] [3] )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、佐賀県 神埼郡 千歳村(のち千代田村→千代田町、現・神埼市)長[2] 。
経歴
[編集 ]佐賀県出身[2] 。1915年 早稲田大学政治経済科卒[2] 。卒業後は佐賀県に戻り農業を営む傍ら千歳村長、同農会長、神埼郡会議員、同農会長、佐賀県会議員、同参事会員、肥前麺業(株)社長、肥筑軌道 取締役などを経て[2] 、1928年の第16回衆議院議員総選挙で立憲政友会公認で立候補して初当選[3] 。1930年の第17回衆議院議員総選挙で落選したが、1932年の第18回衆議院議員総選挙で復帰して以来4回連続当選した[3] 。1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した[3] 。1945年の幣原内閣で海軍 政務次官に就任[2] [3] 。同年11月で海軍省が廃止され、第二復員省となったため引き続き第二復員政務次官になった[2] [3] 。同年12月18日の議会解散後、同月26日に死去した[3] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
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