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荘穆王后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荘穆王后
高麗王后

全名 忽都魯掲里迷失
別称 元成公主
安平公主
斉国大長公主
荘穆仁明王后
仁明王太后
出生 憲宗9年6月28日
(1259年 7月19日)
モンゴル帝国
死去 大徳元年5月21日
(1297年 6月11日)
開京
埋葬 高陵
配偶者 忠烈王
子女 忠宣王
父親 クビライ
母親 阿速真可敦
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荘穆王后(そうぼくおうこう)は、高麗の第25代王忠烈王の正妃。モンゴル人で、本名は忽都魯掲里迷失(クトゥルク=ケルミシュ)。の世祖クビライの娘で、1274年5月に忠烈王に降嫁される[1]

1275年9月に生まれた長男の益知礼普花(イジリブカ)は高麗の第26代王となった忠宣王である。同年に高麗より元成公主、1294年に元より安平公主に封じられた。没後には、高麗より荘穆仁明王后、仁明王太后と追号され、1310年に元において斉国大長公主を追封された[1]

家族

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夫の忠烈王との間で2男1女を儲けたが、長男の忠宣王以外の子女は早世し、詳細は分からない。

登場作品

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ a b 森平雅彦 2008, pp. 12

参考文献

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王后

神恵王后 / 荘和王后 / 神明順成王后 / 神静王后 / 神成王后 / 貞徳王后 / 義和王后 / 文恭王后 / 文成王后 / 大穆王后 / 献粛王后 / 献懿王后 / 献哀王后 / 献貞王后 / 文徳王后 / 文和王后 / 宣正王后 / 元貞王后 / 元和王后 / 元成王后 / 元恵王后 / 元容王后 / 元穆王后 / 元平王后 / 敬成王后 / 孝思王后 / 容信王后 / 容懿王后 / 容穆王后 / 仁平王后 / 仁睿王后 / 貞懿王后 / 宣禧王后 / 思粛王后 / 懐純王后 / 明懿王后 / 敬和王后 / 順徳王后 / 文貞王后 / 廃妃李氏 / 恭睿王后 / 宣平王后 / 荘敬王后 / 荘宣王后 / 光靖王后 / 宣靖王后 / 成平王后 / 思平王后 / 元徳王后 / 安恵王后 / 静順王后 / クトゥルク=ケルミシュ / 也速真 / ブッダシュリ / 恭元王后 / イリンチンバル / 金童 / バヤンクトウグ / イリンチンバル / ブッダシュリ / 定妃安氏 / 謹妃李氏 / 順妃盧氏

追尊王后

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