片岡我當 (2代目)
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二代目 片岡我當
性別 | 男性 編集 |
---|---|
国籍 | 日本 編集 |
名跡 | 片岡仁左衛門 編集 |
読み仮名 | かたおか にざえもん 9だいめ、かたおか がとう 2だいめ 編集 |
生年月日 | 1839 編集 |
死亡年月日 | 2 1 1872 編集 |
職業 | 歌舞伎役者 編集 |
二代目 片岡我當(にだいめ かたおか がとう、天保10年〈1839年〉 - 明治4年11月22日〈1872年 1月2日〉)とは、幕末から明治初期にかけての歌舞伎役者。屋号松嶋屋、俳名は我堂・芦燕。定紋は七つ割り丸に二引。
来歴
[編集 ]絵師の亀屋吉兵衛の次男。はじめ四代目三枡大五郎の門人となって三枡梅丸と名乗る。嘉永4年(1851年)、二代目片岡我童(のちの八代目片岡仁左衛門)の養子となり片岡待之助と改名、その後養父とともに江戸に下り、安政3年(1855年)江戸で二代目片岡我當を襲名。文久2年(1862年)大坂に戻り、以後は上方の舞台で活躍する。和事が得意で将来を嘱望されたが早世した。享年33。死後三十六年を経た明治40年(1907年)、九代目片岡仁左衛門を追贈されている。兄に初代三枡稲丸(京枡屋梅笑)、弟に三代目片岡市蔵がいる。
参考文献
[編集 ]- 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年
関連項目
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、片岡我當 (2代目) に関連するカテゴリがあります。