片岡孝
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月30日 - 1999年(平成11年)8月13日)は、大阪外国語大学の外国語学部(ロシア語科)名誉教授で、ロシア語 学者。号は枕流(ちんりゅう)。
経歴
[編集 ]- 兵庫県 朝来郡 枚田村生まれ。
- 旧制大阪商科大学(現 大阪市立大学)を卒業後、ロシア語修学を志して、1941年(昭和16年)旧制大阪外国語学校(現 大阪大学外国語学部)ロシア語科に入学(20回生)。卒業直前に結核のため喀血し、余命半年を宣告され徴兵免除となる。転地療養のため四国八十八箇所の巡礼を行い、奇跡的に恢復する。その後、満州に渡り、満ソ国境附近でコサック兵に見つかり一旦捕虜となるも、間もなく脱走して帰国を果たす。
- 1945年(昭和20年)4月、母校である大阪外事専門学校(のちの大阪大学外国語学部)に教員採用され、以後42年間奉職する。
- 1960年代にモスクワに滞在し、語学伝習を行う。
- 1970年代中頃にレニングラード大学に、交換教授として勤務する。
- 1987年(昭和62年)3月、同校を退官する。
- 1999年(平成11年)8月13日死去。享年79。法名は游露探道居士。
研究発表
[編集 ]- 『ソビエト連邦における外国人に対するロシア語教育施設瞥見』片岡孝、1969年6月
家族
[編集 ]1720年(享保5年)、片岡氏は出石郡香住村(現 豊岡市香住)から出石城下に移り居住した[1] 。
- 高祖父:片岡常七( - 1875年)香住片岡家第6代
- 高祖母:片岡美祢( - 1881年)
- 曾祖父:片岡精三郎(1857年 - 1891年)第9代
- 曾祖母:片岡登美子(1858年 - 1925年)
- 祖父:片岡清助(1877年 - 1929年)第10代
- 祖母:片岡千恵(1879年 - 1967年)[2]
関連系図
[編集 ]注釈
[編集 ]関連項目
[編集 ]参考
[編集 ]- 『片岡孝先生のご逝去を悼む』(所収『アヴローラ』第8号(2000年版)大阪外国語大学ロシア語学科同窓会誌)
- 『善いと思ふて実行し、良いと信じて考案した筆記』(片岡清助回顧録)
- 『アヴローラ1』web版
- 『アヴローラ2』web版