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熊谷堅直

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(2017年3月)

熊谷 堅直(くまがい かたなお、永享2年(1430年) - 文明10年(1478年))は室町時代後期の安芸武田氏の家臣。父は熊谷信直 [1] 。子に熊谷宗直 [1] 、直次[1] 、助三郎[1] 、直綱[1] 。通称は二郎三郎[1] 、二郎左衛門[1] 、法名電景[1] 。官途は美濃守[1]

1438年に9歳で家督を継いだ。しかし、一時期だけ、父・信直の命で姉の「こら」に家督を譲っている。

ゆづりわたす しょうりょう等の事 あき国三入しんしゃう分之内 みとりみの上らのあと右件所領は
信直先祖より さうてんの地なり しかるを 息女こらに 一期の間ゆつり あたふる所なり 御公事等は
下地のふんきんによて つとめらるへく候 仍為後 ゆつり状如件
永享十年 八月十五日 信直
(熊谷家文書第242号)

安芸武田氏に従い、大内氏との戦いに明け暮れた。1461年の9月には武田信賢より、河内国への出陣を要請されている。1465年8月の安芸国国府の戦いでは、息子の宗直を引き連れて参戦している。この戦いで大内方は陶弘正が討死している。

1478年伊勢ヶ坪城で死去。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 今井尭ほか編 1984, p. 335.

参考文献

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関連項目

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