瀬川四郎
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瀬川 四郎 | |
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生誕 |
1887年 9月11日 日本の旗 日本 石川県 |
死没 | (1951年09月01日) 1951年 9月1日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1937年 1939年 - 1940年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
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瀬川 四郎(せがわ しろう、1887年(明治20年)9月11日 [1] - 1951年(昭和26年)9月1日 [1] )は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集 ]1887年(明治20年)に石川県で生まれた[1] 。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第28期卒業[1] 。1933年(昭和8年)8月に陸軍歩兵大佐進級と同時に高知連隊区司令官に着任[2] 。1935年(昭和10年)3月に歩兵第73連隊長に転じ[2] 、1936年(昭和11年)8月に第4師団司令部附となり[2] 、関西学院大学に配属された[3] 。1937年(昭和12年)11月1日に陸軍少将進級と同時に待命[2] 、11月30日に予備役に編入された[1] 。
1939年(昭和14年)1月4日に召集され北支那方面軍司令部附となり[1] 、2月13日に独立混成第8旅団長(北支那方面軍)に着任[1] 。晋中、北部冀中で討伐戦に当たるが、八路軍を中心とする中共軍に苦戦した[1] 。1940年(昭和15年)3月9日に召集解除となる[1] 。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、平壌陸軍兵事部長兼平壌地区司令官に着任[4] 。
栄典
[編集 ]- 勲章
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。